2.サークルと宇宙の話
大きくため息をつくと、由加ちゃんは察してくれる。
「彼氏ができないサークルだっけ?」
「そうなの。サークルで私が好きになった人には彼女がいて……」
以前にも少し打ち明けたことがある。
「確か一つ上の先輩だったよね?」
由加ちゃんも覚えていた。
「うん、神田先輩。すごく格好いいんだよ。でも、明日美先輩に教えてもらったの。神田君には美人の彼女がいてラブラブなんだ、ってね」
私は勢いに乗って話してしまう。
「しかも、続きがあるの。神田先輩にはサークル内でファンの子が何人かいたんだよ」
「モテるんだね、その先輩」
「うん。それで、私、他の子に誘われたんだ」
「誘われた?」
「ファンクラブにね」
そう、私の大学生活はまあまあ順調。サークル活動自体を楽しめているので、入ったことも後悔していない。
けれど恋愛方面に関しては、完璧にこけている。
由加ちゃんみたいに、大学入学後にすぐ素敵な彼氏がいる生活を手に入れたかったなと、やっぱり考えてしまう。
まだ桜の花も散りつくしていなかったころのこと。
入部したての私は、明日美先輩に聞いて、週末のサークル行事に参加した。
新入生は先輩方からオリエンテーリングの競技を実地で説明してもらうことになっていた。
はからずも私は、二年生の神田先輩に教えてもらったのだ。
「地図上のこの部分が、実際の地形ではこうなっているの、分かるかな? コンパスと地図を持って、よく見てね」
春風の吹く林のなかで、神田先輩の声が響いたとき、胸がときめいた。分かりやすかったし、とても優しくて、何より格好よくて。
他の人たちと全く違って、輝いて見えた。
私にとっては、本当に大袈裟じゃなくて。
そのあと、新入生歓迎会があって、幸運なことに神田先輩と席が近くになった。互いの大学のことなどで話も弾んだ。しかし、それはわずかな時間にすぎなかった。
他の大学の女の子が隣に座って、お喋りを始めたのだ。
呆然としているところへ、その子は話しかけてきた。
「私ね、密かに神田先輩のファンクラブ作ってるの。嶋本さんも会員になってよ」
「わあ、ぜひ」
気持ちとは裏腹に、私は思いっきりノリのいい声を出してしまう。
「会員番号四番ね」
「はーい」
高い声で応えたけれど、心はずしんと重くなっていた。
ファンクラブ会員の一人にすぎないなんて。しかも、四番……。
「うわあ、それは悲しい」
ここまで聞いた由加ちゃんは同情してくれる。
「でしょ? 私は、ファンクラブとかふわふわしたものには興味ないよ。あくまで、私だけを見てくれる人と恋人同士になるのがいいの」
強い口調で言い切ってしまったことに気づき、ひと息置いてから続ける。
「それなのに、サークルに行くと自称会員のみんなと神田先輩の話題できゃあきゃあ騒いでいるの。別にそれが楽しくないわけじゃないんだけど、何だか完全に方向が間違ってしまってるんだよね。どうしたもんかなあ。もうサークルの同期や上級生にはほとんど会っているから、神田先輩より素敵な人って見つからなさそうだし」
「まあ、これから親しくなる人もいるんじゃない。あと、後輩とか」
「えーっ、私、年上が好みなんだけど」
低い声で話すと、由加ちゃんもしみじみとする。
「そうかあ」
何だか話題が暗くなりすぎ。少し明るいトーンに戻す。
「まあ、出会いはサークルだけじゃないし。これから本格的にアルバイトも始めるつもりだし、何かのきっかけで、って思うことにする。由加ちゃんが羨ましいのは変わりないけどね」
大学生になった春も終わりに近づき、もう出会いも恋の予感も何もない。
このまま十九歳の誕生日が来ちゃうのかと思うと、寂しいのだけど。
翌日、二人で草川駅に行くと、松岡さんが声をかけてくれた。
「こんにちは」
増田君とごっち君も一緒だった。
「今日もよろしくお願いします。あの、提案があるのですが」
松岡さんが言い出した。
草川駅には東口と西口がある。せっかくなので、二手に別れて、それぞれ同時に配るのはどうか。
松岡さんの案は、理にかなっている。すぐにそうすることに決まった。
「組み合わせはどうすれば?」
由加ちゃんの疑問に、松岡さんは迷わず答えた。
「とりあえずグーパーでいいですか? 森野さんと嶋本さん、増田君とごっち君でそれぞれやってみて。僕は時々抜けることがあるから、東口の組に加わります」
間もなくラッシュアワーを迎える駅の端っこで、私たちはグーパーをして決めたのだった。
私はごっち君と二人で、西口でチラシ配りをすることになった。
「ええと、この辺でいいですかね?」
ごっち君は、昨日と同じように改札口からやや離れたところで、私の後ろに並ぶ。
「そろそろ電車が着くころかな」
「はい」
相変わらず、ごっち君は敬語。親しみやすい増田君とは、対照的だ。
もっとも、私と由加ちゃんも、たまたま家が近いとか学科が一緒だとか共通点がありながら、性格や好みなど割と違う。異なる点がありつつ仲が良いところ、向こうの二人と似ているのかもしれない。
仕事を終えての、帰宅途上らしき人がどんどん増えてくる。
しばらくは、時折「どうぞ」とか「お願いします」とか、口にしながら配るだけで精一杯だった。それが過ぎると確実にチラシが減っていた。
意外と私とごっち君の組はうまくいっているらしい。
「順調だね」
話しかけると、ごっち君はぱっと明るい表情になった。
「そうですね。皆さんもらってくれますよ。嶋本さんのおかげです」
「私だけじゃないよ。ごっち君も……」
あ、ごっち君って言っちゃってもいいのかなと思う。本当は向後君なのに。
本人は気にしていないようで、ほっそりした白い手でダンボール箱からティッシュを出していたが、急にこちらを振り返った。
「嶋本さんって、学部は何ですか」
「え?」
突然の質問に一瞬反応できない。仕事の話じゃなくて、大学の話だとやっと気づいた。
「文学部」
「僕は理学部です」
「理系なんだね」
「ええ。宇宙のことが知りたいんです」
「宇宙?」
非現実的な言葉に戸惑う。
「天文学科なんですけど、僕は宇宙の秘密を解き明かしたいんです。宇宙のことは、まだほとんど分かっていないんですよ。でも、小さな人間が大きな宇宙に挑むって何だかロマンがありますよね」
「え、うん……」
これまで、ほとんど増田君しか話していなかったので、ごっち君がこんなに喋るとは思ってもみなかった。
何となく二人で並んで話をすることになる。
「ごっち君、宇宙に行ってみたいとか?」
そんなふうに訊いてみる。
「いえ、行きたいとは思わないです。やはり地球の人間は、地球に住むべきだと僕は思っています。でも、宇宙をどこまでも深く追究したいですね」
「はあ」
ちょっと間抜けな相槌になってしまうけれど、構わないらしい。
「宇宙はどうやってできたのか、生命はどうやって誕生したのか、とか」
「宇宙人はいるか、とか?」
つられて問いかけると、ごっち君はとても嬉しそうだった。
「そうです。宇宙人とコミュニケーションをとる方法を考えるとか、いいですね」
宇宙人がいることを疑っていないんだな。
何だかほほえましい。
そのあとも、電車が到着して人が降りてくるたびにチラシを配っていった。