第93話 コミックス2巻発売記念SS 桜の咲く頃に、君と
グランアヴェールの世界は剣と魔法の世界ではあるけれど、季節は日本のものと良く似ている。
春は三月から五月、梅雨の時期が六月、夏は七月と八月、秋が九月から十一月、冬が十二月から二月となっている。
咲く花もほぼ日本と同じだけど、夏にはハイビスカスが咲いていたり、冬にはポインセチアが咲いていたりするのだ。
そして春には、桜が咲くのである。
桜――それは日本人の心を揺さぶる象徴的な花だ。
春になると一斉に咲き誇る、儚く可憐なピンク色の花。
新緑の鮮やかな緑の中、ただ一本の桜の木があるだけでそこは別世界になる。
満開の桜を見上げた時の、青い空と雲海のような薄紅色のコントラスト。
一陣の風とともに舞い散る、ハート形の花びら。
控えめに漂う甘い花の香り。
そして桜の原風景は卒業式や入学式の校門の桜だろう。
旅立ちや出会いの場に、桜の記憶が刻まれている。
そんな満開の桜の下で、最推しが微笑む姿を見たくないものがいるだろうか。
いや、絶対にいないと断言できる。
もちろん私、レティシア・ローゼンベルクはどんなことがあっても見たい派なので、お父様におねだりして桜の木を植えてもらいました。
夏にはちょっと近づけない、見渡す限り桜のお庭です。
じゃじゃーん! これが本当の千本桜だー!
和楽器で演奏するあの曲が頭に流れてきますね。
着流しのお兄様もとっても素敵だと思います。
……そのうち着物を作ってもらってもいいかも。
ソメイヨシノのような大振りの桜もいいけど、お兄様にはしだれ桜が似合うので、撮影スポットにはしだれ桜も植えてもらいました。
ふふふ。ちゃんと夜にはライトアップするんだよ! 完璧だよ!
「ということでお兄様、そこに立ってくださいませ」
「今度は何をするんだい?」
いつも私の突拍子もないリクエストに応えてくれるお兄様は、学園の制服を着ている。
もう卒業しているんだけど、やっぱり桜には制服が似合う、ということで着てもらった。
冬の透き通った空気の中でひときわ輝く月の光を集めたような銀色の髪に、雪景色の中で静かに凍りついた湖のようなアイスブルーの瞳。
三百六十度どこから見ても完璧な美貌に、思わず魔力があふれ出してピカーっと光ってしまった。
すぐに足元のモコがぴとっとくっついて魔力を吸収してくれる。
「ありがとうモコ」
つい光ってしまったけど、お兄様の制服姿が素敵すぎるのがいけないんだと思うの。
私もお揃いの制服を着て、お兄様の腕に手を伸ばす。
しがみつくと、お兄様が優しく笑った。
「ふふっ。こうして桜の木の下で並んで立ちたかったんです」
「絵本を読んだレティがいきなりサクラの花が見たいと言い出した時は驚いたけど、こうして見ると圧巻だね」
お兄様は桜を「サクラ」と発音する。
ちょっと違う発音を感じ取ってしまうのは、私が日本人だったからだろう。
何年か前に絵本で桜の花を見つけた私は大興奮して、お兄様に桜の木をねだった。
なんていうか、異世界だから桜なんてないと思ってたんだよね。でもこの世界にも桜はあった。
魔力過多ですぐ死にそうになってしまうせいでほとんど家から出てなくて、桜があるなんて知らなかったのよ。
残念ながら公爵邸に桜は植えられてなかったし。
それを知った私はお約束通り興奮しすぎて倒れたんだけど、お兄様とお父様でたくさん桜の木を植えてくれた。
その桜が満開になったので、お兄様と一緒に見にきたのだ。
「本当に綺麗……」
うっとりして、桜とお兄様を堪能する。
何度も言うけど、神様、本当にこの世界に転生させてくれてありがとうございます。
「うん。本当に綺麗だ。レティの髪色に似ているから、余計に綺麗に見えるのかもしれないね」
そう言って、お兄様は眩しそうに桜の木を見上げた。
吐息のような春の柔らかな風が吹いて、はらはらと桜吹雪が舞う。
まるで愛を乞うように、ピンクに色づいた花びらが、お兄様の銀の髪や制服の肩に落ちた。
あああああああああ。
絵になるわぁぁぁぁ。
神様、どこにお布施すればいいですか。
推しに貢ぐにはどうすればいいですか!?
全財産を貢いでも悔いはないっ。
『娘、落ち着け。また倒れるぞ』
呆れたような聖剣の声が聞こえる。我に返って周りを見ると、腕を組んでいる執事姿のランが、呆れるようにこっちを見ていた。
(モコが吸収してくれてるから大丈夫!)
魔力を吸収中で毛が逆立っているモコを抱き上げて見せてサムズアップする。
桜を見上げていたお兄様が視線を巡らせて私を見た。
「サクラはすぐに散ってしまうけれど……レティはずっと側にいてくれるかい?」
一瞬、桜がリコリスの花に変わった。
リコリスが一面に咲く花畑の中で、仰向けに倒れるお兄様の幻影が見える。
ああ、これは小説で見たお兄様の最期だ……。
「もちろんです! 私はずっとお兄様の妹ですもの!」
安心してください。私は絶対お兄様にあんな顔はさせないから。
私はぎゅーっとお兄様にしがみついた。
「お兄様、来年も再来年も、きっとまた桜を見にきましょう。そうだ。来年はお花見をしませんか? みんなで桜を見ながら食べたり飲んだりするんです。きっと楽しいですよ」
私の言葉に、お兄様は頬を緩めた。
「そうだね。父上も誘ってこようか」
「お父様、お酒飲むと泣き上戸になるから、お酒は厳禁にしましょう」
酔って暴れるよりはいいけど、お母様を偲んで泣き続けるのよね。ちょっとメンドクサイ……。
いや、うん。お母様を今も愛しているのは良いことだと思うんだけどね。
でも限度っていうものがね……。
「レティが気に入るような、おいしい飲み物を用意しておこう」
「わーい、楽しみです」
私も桜を見上げる。
前世の苗字と同じ名前を持っているから、私にとっても特別だった花。
この世界でもきっと特別になるんだろうなと思いながら、私はお兄様と一緒に、いつまでも桜の花を見上げていた。
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