第78話 フラグは別のところに立った
と、思っていたんだけど……。
「レティ、お疲れ様」
ゴール地点の泉まですんなりたどり着いてしまった。
あれぇ?
こういう時、普通は主人公がフラグを立てるんじゃないの?
森の道から現れた私の姿を見て顔をほころばせるお兄様にときめいた後、私は思わず首を傾げた。
勇者アベルにラスボスお兄様に小説での聖女フィオーナ姫と、現時点で聖女候補になってるらしいマリアちゃん。そして前世の記憶を持つ私、と、オールスターが出そろってるから絶対に何か事件が起こると思ってた。
でも実際は何事もなく校外学習が終わりそう。
ここに来るまでは絶対に何かが起こると思ってびくびくしてたけど、肩透かしになっちゃった。
私は改めて、ここまで通ってきた道を振り返る。
木々は青々と茂り、風がそよぐ葉音が心地いい。その合間に、小さな鳥たちが競うように歌うのが聞こえる。
地面には柔らかな苔や草が生い茂り、木々の間からそっと降り注ぐ木漏れ日の光が、複雑な模様を描きだしている。
深呼吸をして森の香りを感じると、心が落ち着き、癒やされた。
張り詰めていた神経が、穏やかになっていく。
(なんだか……無事に済みそう)
色々な準備が徒労に終わりそうだけど、何事も起こらないのなら、それに越したことはない。
ほっと息を吐いて、再びお兄様に向き直る。
お兄様の後ろにある泉の水は透明で、青く輝いているかのように見えた。
泉の中には小さな石が散りばめられ、水の流れを優雅に変化させていた。
風が吹くたびに、木々が揺れ動き、泉のそばの草や花々も揺れる。
泉の前にたたずむお兄様の姿とあわせると、まるで一幅の絵のように完璧な美しさだった。
「綺麗……」
思わず呟いた私に、お兄様が「そうだね」と頷いて、視線を巡らせる。
さらりとこぼれた銀色の髪が、木漏れ日を浴びてきらきらと輝いていた。
(景色も素晴らしいけど、もっと素晴らしいのはお兄様です。とっても眼福です!)
気分が高揚すると共に、体の中の熱が膨らむ。
(魔力が……でも、これは仕方ない)
まるで護衛をするかのように私の隣にいたモコが、さっと体を寄せてくる。
体の中にたまった熱が、一気に引いて行くのを感じた。
「モコ、ありがとう」
小さな声でお礼を言うと、モコはどういたしましてというように、白いしっぽをフリフリと振った。
「さあ、この水を汲んで終わりだよ」
お兄様に促されて、竹筒のような水筒に泉の水を詰める。
これを持って帰れば、校外学習は終了だ。
「ありがとうございます。セリオス先生」
アベルが礼儀正しくお礼を言ったので、私たちもそれにならう。
お兄様にこっそり手を振ると、ちゃんと振り返してくれた。
えへへ。嬉しい。
なんていうか、色々と身構えていたけど、いくらアベルが小説の主人公だっていっても、魔王が復活してない以上、魔物が襲ってくる心配なんてないんだって分かって、安心した。
お兄様と私の魔力をこめている魔石のついたスペシャルな指輪とか、シンプルな銀の指輪に擬態してもらった聖剣ランとか、何かあった時のためにって用意したものは全部無駄になっちゃったけど、この風景の中にたたずむお兄様を見られたんだから、それだけで大満足だ。
フィオーナ姫がお兄様に話しかけることもなく、そのまま帰りの道についた。
「ほら、何もなかっただろ?」
アベルが気さくにマリアちゃんに話しかける。
「このあたりにいる魔物は弱すぎるから、俺やセリオス先輩がいるところには現れないよ」
新入生の時と違って、今のアベルは強くなってるだろうしね。
もしケルベロスが現れても、すぐに倒せちゃいそう。
「それに、これがあるしさ」
そう言って、アベルは腰に佩いた剣を鞘の上からぽんぽんと叩いた。
そこにあるのは聖剣グランアヴェール……ではなく、鍛冶神ヘパトスの打った剣のうちの一つだ。
さすがに魔王と対峙するのに何か強い剣が必要だろうってことで、ランに手頃な剣がないか探してもらったのだ。
そしてその剣をアベルの故郷の例の洞窟に差しておいてもらった。
聖剣ほどじゃないけど魔王を倒せるくらいのスペックはあるし、柄には豪華な宝石がついてるから、本物の聖剣よりもよっぽど聖剣らしい。
さすがにお兄様とエルヴィンには本物の聖剣じゃないってことは伝えた。
だって本物は私に執事になっちゃってるのを知ってるんだもん。
「それが勇者様の持つ聖剣ですのね」
今まであんまり喋らなかったフィオーナ姫が口を開いた。
風になびく髪を手で押さえている。
昔火傷を負った傷を隠すためにずっと白い手袋をしているんだけど、それがかえって高貴な印象を与える。
「勇者様以外の人が手にすると、あまりの重さに耐えられないというのは本当ですの?」
「持ってみますか、と言いたいところだけど、男でも取り落としてしまうので姫には無理だと思いますよ」
「そう……。それは残念だわ」
とても残念そうなフィオーナ姫に、小説では聖女としてみんなの怪我を回復してる描写しかなかったけど、結構武闘派なのかなと思う。
そういえばアベルは小説の中で「守られるだけの女は嫌いだ」って言ってたっけ。
戦う聖女様だったフィオーナ姫だから、恋に落ちたのかな。
えー。でもさー。それはそれとして、親友の婚約者に横恋慕するなんて、ひどくない?
こうして話してると、感じのいい青年、って感じだけど、恋は人を変えるんだろうか。
ちょっとモヤモヤしながら学校に戻ると、なんだか校内がざわざわしていた。
どうしたんだろうって思っていると、ひどく慌てた様子の先生が私たちのところへ走ってきた。
「急いで校舎の中に入りなさい」
「どうしたんですか?」
アベルの問いに、先生はチラリとアベルの持つ剣に視線を向けた。
「王都に魔物が出て、今討伐中だ。学園には結界が張られているから安心だけれど、念のため校舎の中で安全を確保しなさい」
「王都で魔物? どんな魔物が出たんですか」
まだ森の中にいる生徒たちに伝えようと走り去ろうとしていた先生は、足を止めて振り返った。
「ケルベロスだ」
ケルベロスが、なんで王都に!?
出るとしたら、学園の森の中じゃないの!?
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