第45話 最愛の妹(セリオス視点)
弟か妹が生まれるのだと聞いた時から、その日が待ち遠しくて仕方がなかった。
母は生まれてくる赤ちゃんの為にレースのおくるみを編み始め、父はそんな母を優しく見守っていて……とても、とても、幸せだった。
でもお腹が大きくなるにつれ、母はベッドから起き上がれなくなってしまった。
それと比例するように、父の表情も暗くなっていく。
そんなある日、両親が口論をしているのを聞いてしまった。
いつも仲の良い二人が喧嘩をするのを見るのは初めてで、僕は咄嗟に扉の陰に隠れた。
「だめだ、エミリア。医師から君の体がもたないと言われた。残念だが子供は諦めよう」
「絶対に嫌。だってあなたと私の子供なのよ? それに分かるの。この子はこの世界に必要な子なのよ」
「世界よりも君が大切なんだ」
「大丈夫よ、エルンスト。私が丈夫なのはあなたも知っているでしょう? 私も、子供も、絶対に死なないわ」
「エミリア……」
そう言っていた母だけれど、体調は悪くなる一方で、どんどんやつれていってしまう。
見守る父は、母の前では平気な振りをしていたけれど、家令から酒量が増えていると心配されていたのを知っていた。
そして運命のあの日。
母の部屋からは、今まで聞いた事のないような、父の慟哭が聞こえてきた。
医師の手招きで部屋に入ると、ベッドの上には眠ったままの母がいて、取りすがって号泣している父が見えた。
その横には沈痛な面持ちの司祭様がいる。
教会に無理を言って常駐してもらっている、回復魔法に長けた方だ。
「母上……」
そっと反対側から近づくと、いつも頭をなでてくれた優しい手は、僕が握っても握り返してくれなかった。
もうその命が尽きているのだと、誰に言われずとも分かった。
司祭様が必死に回復魔法をかけてもダメだったのだろう。
じわじわと悲しみが襲ってくる。
けれど父のように声を上げて泣く事はできなかった。
なぜかその時は、父の嘆きを邪魔してはいけないと思ってしまったのだ。
声を殺し、肩を震わせ、ただ目を開けぬ母を見つめる。
どれほどの時が経っただろうか。
僕は生まれた赤ちゃんはどうなったのだろうかと、この場にいる誰一人として意識を向けない、見捨てられた揺りかごの中を見てみた。
そこには母によく似たピンクブロンドのふわふわとした髪の毛を持つ、赤ちゃんがいた。
髪と同じ色のまつ毛に縁どられた目はしっかりと閉じていて、泣き声一つ上げない赤ちゃんは、小さな手をぎゅっと握ったままピクリとも動かない。
ああ、この子もきっと母と同じで儚くなってしまったのだろうと思いながら震える手を伸ばすと、驚く事に、弱々しいながらも小さな手が僕の指をつかんできた。
「先生!」
慌てて先生を呼ぶと、医師が僕の指を握る小さな手を見て驚いた。
そして急いで控えていた司祭様を呼ぶ。
司祭様はすぐ赤ちゃんに回復魔法をかけてくれた。
それでも赤ちゃんは泣き声を上げない。
どういう事だろうと先生を見ると、先生は難しい顔で赤ちゃんを見た。
「原因は分かりませんが、どうやらこの子は仮死状態にあるようです」
「仮死状態? それはどういう事ですか?」
「肉体的には生きている状態と言えますが、このままずっと目覚めない可能性も……」
号泣している父に聞こえないように小さな声で喋る先生に、僕は思わず反論した。
だってこの小さな手には確かなぬくもりがある。
このまま死なせてしまう事なんてできない。
「でも僕の手を握ってくれているんです」
「原始反射があるので望みはあると思いますが……断言はできません」
後で知ったが、原始反射というのは赤ちゃんが生まれつき持っている反射で、その反応がある場合は回復の望みがあるのだという。
ただ意識して行動しているわけではなく、生理的な反射に過ぎない。
それがただの生理的な反射による反応だったとしても、僕に一縷の望みをいだかせるのには十分だった。
「絶対に目覚めます」
母は自分の命が危険だと分かっていても、この子を産む決心をした。
父も母も、そして僕も、こんなにもこの子が生まれるのを楽しみにしていたんだ。
どんなに高名な医者も、どんなに地位の高い聖職者も、僕が必ず呼んであげるから。
だから絶対にこのまま死なせたりはしない。
生まれた子は妹で、母が生前に考えていた「レティシア」という名前がつけられた。
それから僕は、母の死のショックから立ち直れない父の代わりに、回復魔法を使える医師を必死に探した。
幸い、ロバート先生という治癒魔法に優れた方に主治医をお願いできた。
子供の闘病の為に職を辞して看病に専念していたがその甲斐なく亡くなってしまったらしく、失った子の代わりのように、懸命にレティシアの治療に取り組んでくれた。
けれどもレティシアの目が開く事はなく、ただ回復魔法で命を繋ぐ日々。
まだ母の死から立ち直っていない父がレティシアの容態を見に来る事もなく、僕だけが毎日レティシアの部屋を訪れていた。
父の代わりに家令に教わりながら執務をするのは、さすがにきつかった。
幼い頃から天才だと賞賛されていても、その時の僕はまだ六歳だったからだ。
それでも父が使い物にならない以上、僕が頑張るしかない。
そんな日々の中で、レティシアの顔を見る事だけが唯一の癒しだった。
でもレティシアの目が開く事はなく、さすがにもう諦めなくてはいけないのかと思い始めた頃――。
突然レティシアの体が輝いたかと思うと、ピンクブロンドのまつ毛が震え、その下から綺麗な紫色の瞳が現れて僕を見つめた。
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