第5話:半魔
「で、いつまで着いてくるんだ?」
「うーんと、気が済むまで! 旅人がどんな通学路で帰ってるか気になるもの」
何が面白いんだ? と首を傾げ、帰路を進み続ける。
時刻は18時過ぎ。何とか退屈な授業をやり過ごし、待ちに待った放課後がやってきた。今日は家に帰ってゲームでもやろうかと思ったが、俺が教室を出るよりも早く、アリスに捕まってしまった。
「お前、俺と話してて楽しいのか? 自分で言うのは何だが、そこまで外交的でもないし、面白いことも言わないだろ、オレ」
俺と話している間、終始笑顔のアリスを見て、疑問を投げかける。こういう質問をする事自体が、人付き合いの下手さを表している。と、昔誰かに言われた。
「もちろん、楽しいわよ? だって、旅人は私の知らないことを知っているし、予想外のことを言ってくれるもの」
「そりゃ、お前が世間知らずなだけで……」
そこまで言うと、アリスは立ち止まり、腰をかがめて上目遣いをする。沈みかかった太陽が彼女の銀髪を照らし出し、幻想的な雰囲気を醸し出す。
「旅人は私といるのが嫌なの?」
「あ、いや、そう言うわけじゃ……」
「旅人が嫌なら、正直に教えて欲しいの。私だけ楽しいなんて不公平でしょ?」
「すまん、俺が悪かった。————お前といると楽しいよ。だから遠慮せずに話しかけて欲しい」
なぜだろうか。不思議と自分の気持ちを溢してしまう。異世界から帰ってきてから、誰にも開かなかった心の扉が、静かに開き始めている、そんな気がする。
「————っ! わかった! それなら遠慮せずに、いっぱい旅人に話しかけるね!」
天使のような笑顔。彼女ほど美しい存在に出会ったことがない。と断言できるほどの、笑顔に俺の心も溶かされていく。本当に、不思議な奴だ。
「あぁ、期待してる————っ!?」
瞬時にアリスの手を引き近くに引き寄せる。そのまま彼女の腰を掴み、後方へ跳躍。
その瞬間、先程までいた場所が小さな光が現れる。しかしその場に止まったのはほんの一瞬。一瞬にして白は黒へと転じ、———爆ぜた。
爆風が前髪を撫で、砕け散った破片が頬を掠める。アリスに破片が届かないよう、いくつかは中空で叩き落とす。
「ちっ———。何だってんだ」
魔力による攻撃。地面は抉り取られ、左右の外壁は焼けつく。コンクリートを無慈悲に破壊するそれは、人を傷つけるには十分な威力と言える。
前方を目視する。
「———なんだ、あれ」
見た事のない生物の群れ。瞳孔の開いた黄金の瞳、血の気のない相貌、口端からは唾液がこぼれ、足取りは不安定だ。両手両足は黒く焦付き、あるモノは背中から翼が、またあるモノは額に角が。個体差はあれど、明らかに人間離れした存在が視界を埋め尽くす。
気がつくと辺りは暮れ、とっぷりと夜に染まっている。先程まで登っていた太陽はいつの間にか消え失せ、ここだけ黒のペンキをかけられたような錯覚に陥る。
「■■■■■■■■————」
言葉とは思えない。しかし、動物的な咆哮でもない。呻きのような、悲鳴のような、理解のできない音の塊が、奴らの声帯から発せられる。
「『隔離』されたみたいね。これで奴らは思う存分動ける。ま、向こうから来てくれた分には大歓迎だけど」
「————」
心を切り替える。
明らかに超常の現象。目の前には異形の存在。気になることは山ほどあるが、こう言う時こそ、落ち着く必要がある。知るべきこと、把握すべきこと、倒すべきモノを見定める。
「………どう言うことだ。突然暗くなったのは、何かの結界か?」
「『隔離結界』の一種。指定した対象だけど切り取って、結界の中に取り残す。人払も兼ねてるから、奴らも私たち以外には見られたくないようね」
アリスの視線に従い前方に目を向ける。
決して早くないが、確実にこちらに近づいてくる異形の者たち。瞳や動きには意思が感じられない。動き自体には素早さもなく、逃げることは容易いかもしれない。
しかし、奴らの身体中から迸る強大な魔力の奔流は無視できない。あれだけの魔力を浴びているだけで、一般人なら精神に異常を来すほどの圧倒的出力。逃げるのなら初手、戦うのであれば一撃でないと、こちらが保たない。
「なんでお前がここまで落ち着いてるのか、この際どうでもいい。細かい情報を抜きにして、あいつらは何なのか教えてくれ」
「さっすが。魔王を殺しただけの事はあるわね。ここまで落ち着かれると逆につまんないかも」
「…………」
「そんなに睨まないでよ! わかったわよ! 教えるから! ………あいつらは半魔。魔族と人間の間に位置する者たちよ」
「………聞いたことがないな」
異世界で数年か過ごした俺が言うのだから間違いない。あの世界にそのような存在はいなかった。そもそも魔族と人間は全く別の存在だ。犬と猫くらい違う。
アリスの説明が正しいとなると、目の前の存在は犬と猫の間に位置する存在ということになる。普通であれば存在し得ない生命体だ。
「不可能だ。ありえないって言うのは簡単だが、あれを目の前にして、そうは言えないよな」
普通であれば一蹴する存在であるが、目の前に現れてしまっては否定のしようがない。
「本当につまんない。もっと驚いてくれると思ってたのに! どうして貴方はいつも、ピンチの時ほど落ち着いちゃうのよ!」
イリスの記憶から、かつての俺を引っ張り出してきて文句を言われても、俺にはどうしようもない。事実こういう性格だから仕方がない。
「って、お前………こいつらが出てくること知っていたのかよ! それならそれで、早く言え!」
「ぶぅー。せっかく驚いてくれると思ってたのにぃ」
不満げなアリスを他所に、半魔たちの魔力の波長が変わった。
「■■■■■■■■」
詠唱か定かではない音塊。しかし、奴らの魔力は正常に作動し、魔法陣が組み上げられていく。魔法陣の数は目視できる範囲で、10を超える。すなわち半魔の数もそれ以上になると言うことだ。
「っ———。足触るけど、許してくれ」
「へっ!? ————きゃっ!?」
アリスを両腕に抱き10mほど跳躍し、隣にあった民家の屋根に着地する。眼下では、そこに居たはずの俺たち目掛けて数多の魔法が炸裂する。
火/風/水/土の四大元素の簡易魔法が十数発。魔法の構成そのものは単純だが、警戒すべきは、その威力と数。半魔一体であれば、大した脅威ではないが、十数匹集まられると厄介だ。
「えっと………その………た、旅人。降ろしてもらっても、いい? 」
「あぁ、悪い」
「恥ずかしがってるの私だけだし。………ムカつく」
両腕に抱えたアリスを降ろし、再度眼下に視線を向ける。
「————アイツらは人間なのか?」
純粋な疑問。人間と魔族の間。そう言う種族なのか、それとも………。どちらかに居た者たちが、変容したのか。
「………全員、元々人間よ。人間で微弱な魔力を持っていた人たち。人造魔族実験の成れの果てよ」
「————なんだよ、それ」
————人造魔族。聞き慣れない単語だが、ここまで情報が集まれば理解はできる。要するに犬を猫にしようとした奴がいるって事。理由はわからないが、愚かにも程がある。
「彼らの中にあった微弱な魔力を暴走させて、遺伝子ごと書き換えようとしたのよ。魔力は魔族並みだけど、外皮や内臓は人間と同じ半端者」
「………その内側の魔力に耐え切れずに、手足が焼けてるのか」
人間の中にも魔族並みの魔力を持った存在はいる。アイツらは生まれた時からそう言う構造で生を受けているため、自分の魔力に焼かれることはない。
しかし、半魔たちは自身の増大した魔力によって、その身を焦がし続ける。魔族特有の超回復によって、回復と崩壊を繰り返す。当人たちにとっては想像を絶する苦痛だろう。
「普通車にF1のエンジン積んだって事か。そりゃ走らないか、ぶっ壊れるかの、どっちかだな……」
大体、半魔の仕組みはわかった。
どんな実験なのか。誰が奴らを生み出しているのか。どうしてアリスが奴らのことを知っているのか。なぜここに現れたのか。数多の疑問はあるが、今は気にする必要はない。
———まずは目の間の存在を排除することから、だ。
「最後に聞いていいか?」
「むしろ、質問が少なくて退屈してるくらいよ」
「そりゃいい。————アイツらは人間に戻れるのか?」
一縷の望み。アリスの説明を全て信じるのなら、彼らは罪もない人々ということになる。叶うのであれば、以前の生活に戻って欲しい。
「無理よ。私も何度も方法を探ったけど、もう人間としての機能は完全に失っているわ。私たちにできることは————」
「弔ってやること、くらいか」
最悪の答え。あそこまで変容してしまった生命体が、元の形に戻れるとは思えない。戻れたところで、精神は壊れているだろう。俺にできることは、彼らを静かに眠らせてやることくらいか。
「———訳は聞かないの?」
「聞きたいことは山ほどある。この結界もアイツらを倒さないことには解けないんだろ? それなら、やることは決まっている」
「———そっか。協力してくれるのね」
「『今だけは』だ。あの程度なら力を使うまでもない。———手伝ってやるよ」
「うん。『最上の暗殺者』の本領発揮ね!」
何やら上機嫌になるアリスを他所に、心を研ぎ澄ませる。
燃え上がる炎。吹き荒れる暴風。打ち上げる濁流。砕け散る石塊。数多の魔法が眼下で対衝突を繰り返す。自然現象を操る人外の生物たちの視線が俺を射抜く。
ようやく俺たちが移動したことに気がついたらしい。
「————」
一年振りの戦闘に僅かに昂る。しかし、そんなもの俺の戦いには不要だ。俺に必要なもの。それは、相手を殺しうる最善手と最短手。この二つをいかに使いこなし、勝利を手繰り寄せるかだけを考える。
「———アリス。多少は援護くらいできるんだろ? 後ろ任せた」
「えっ……、ちょっと!?」
そう言って、民家を飛び降りる。頭上でアリスが何やら喚いているが、アイツのことだ、うまいタイミングで魔法の一つや二つで援護するだろう。
着地まで残り2秒。眼下には半魔の群れ全ての視線が俺へと集中する。俺の動きに応じて、奴らは機械的に魔法陣の展開を始める。
着地まで残り1秒。かつての愛刀はない。身体能力だけでの討伐が求められる。半魔とはいえ、魔族に片足を突っ込んだ存在。一般的な魔法使いと同等に考えてはならない。そんな異形の者たちを、ただの体術だけで討伐する必要がある。
———可能だとも。『力』を使うまでもない。
———着地。瞬間、全身の筋肉を駆動させる。
落下へと作用していた力の向きを操り、前進方向へと切り替えた。
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