第4話:一ノ瀬有朱
「アリス……でいいのか? どうして魔族であるお前がこっちの世界にいるんだ。それに———イリスとはどう言う関係だ」
昼食を済ました俺たちは、中庭のベンチに腰掛けていた。昼休みはあと20分ほど。十分に情報を聞き出せるはずだ。
「アリスでいいわ。うーん……話すと長くなるんだけど、端的に言うと、私の一部がイリスなの」
「———は?」
「魔王城での最後の戦い。彼処で、イリスはタビト・トウマによって殺された」
燃え盛る魔王城。崩れ落ちる嘗ての繁栄の証。魔王の魔力によって天空へ浮かび上がっていた恐怖の象徴は、あの日地に堕ちた。
「彼女は『最上の暗殺者』の手によって殺された。現世からの解放、痛みもなく、ただ肩の重荷が降りたような感覚だった」
まるであの日、あの時の感覚を思い出すように語る。自分がイリスだったかのように———。イリスに瓜二つの少女は言葉を続ける。
「ちょっと待て、お前の一部がイリスってどう言うことだよ。確かに顔は似ているが……」
「もちろん、旅人との記憶もあるわよ? あんなに私のこと愛してくれたじゃない?」
「〜〜〜っ!?」
アリスが何を指しているのか分からないが、全てを見透かされたような視線に顔が熱くなる。イリスに指摘されるのはいい。だが、関係のない第三者の口から出ると、どうしようもない気恥ずかしさがある。
「あ、あのなぁ! 確かに俺はイリスのことを愛していた。いや、今だって愛してる。だけど、それはイリスであって、お前では———」
「もう、相変わらず鈍いなぁ。私は一ノ瀬有朱だけど、イリス・フォン・アーデンベールの記憶を持っているの。だから、貴方達の記憶や経験も知っているし、彼女の貴方への思いも全部わかる」
「————っ。………そうか」
顔はそっくり、振る舞いも性格も似ている上に、異世界でこの手で殺したイリスの記憶を持った少女。
一般的に信じがたいことだ。死人と記憶が共有されているなんて、インチキ霊媒師よりも怪しい。しかし、こちとら異世界を経験した身。大抵のことは受け入れてしまう。
加えて、俺とイリスの仲は、俺たちしか知らない。魔王と人間が深い関係にあったなんて、向こうの世界ではあり得ない事だからだ。
「———わかった。お前はイリスの記憶を持っている。ここまでは信じる事にする」
「疑わないの? 自分で言うのもなんだけど、かなり突拍子もないと思うんだけど……」
「自販機の買い方分からないのに、そこの常識はあるのな。———大丈夫だ。生憎、多少の常識外れには慣れている」
俺の言葉に、アリスは目を輝かせる。………本当、そう言うところがそっくりなんだよ。
彼女は溢れる感情に身を任せて、俺の手を取る。
「ありがとう旅人! 旅人に信じてもらえるのが一番嬉しい!」
「お、おう。想定以上に喜んでもらえて何よりだ」
俺の言葉を聞いて冷静に戻ったようだ。いつの間にか、俺の手を握っていることに気が付いたようで、慌てて手を離し、恥ずかしそうに少し俺と距離を置く。
「こ、コホン。えっと、イリスの亡くなるまでの記憶が私の中にあるの。こんな事、誰に離しても信じてもらえないでしょ? だから、旅人のことをずっと探していたの」
「俺のことを……?」
「うん。だから昨日は驚いちゃった。探していた人に、気が付いたら追いかけられていたもの」
駅前でアリスと見かけた時。俺もどこか我を失っていた。全ての荷物を投げ捨て、彼女を追いかけることに全てを賭けていた。
「ずっとイリスの記憶が私に呼びかけていたの。旅人を探しなさいって。彼を頼れば大丈夫って」
「そうか……アイツが。いや、ちょっと待て、昨日のお前、俺のこと殺しに来たって言ってなかったか?」
『————殺し返しに来たわよ。暗殺者さん?』
昨晩のセリフが蘇る。薄暗い路地に獰猛な瞳を浮かべる魔族。僅かに俺の細胞が、かつての戦いを思い起こしたほどの圧力。
「うん、初めは殺したいくらい憎かった。だって、私を殺したのよ?辛かったし、憎かった。それにあった事のない男の人がずっと記憶の中にいるんだもの。愛着よりも先に、憎さが出てきちゃう」
「————」
「貴方に追われているって気が付いた時は、本当に殺しちゃおうって思ったの。だから貴方を殺すつもりで攻撃した。さすが『最上の暗殺者』。なんなく躱されちゃったけどね」
昨晩の背後からの一撃を思い出す。確かに直撃していれば、深傷を負っていた。なるほど、だからあの一撃には十分な殺気が乗っていたのか。
魔王であれば、俺を殺せていただろうが、彼女は魔王じゃない。戦い方で、記憶は持っていても、別人であると理解できるってのも皮肉な話だ。
「それで、躱した貴方の顔を見た瞬間、胸がキュゥーって締め付けられたの」
「———は?」
自分の胸元に手を当てて、宝物を教えるかのように、大切そうに呟く。
「もう頭の中が大パニック! 感じたこともない感情だったの! 心はキュゥー、視界はグルグル。病気、もしくは貴方に魔法をかけられたのかと思った」
興奮気味にアリスのテンションが上がっていく。だが、怒っているわけでもなく、どこか嬉しそうな、何か貴重な体験を話しているような。そんな様子。
「途端に、殺す気も失せちゃって。むしろ一緒にいたい! お話ししたい! って思ったの」
全身全霊で警戒していた裏でそんな事を思っていたとは……。この一晩の俺の心労を返してほしい。
「だけど、彼処で邪魔者が来ちゃって……。昨日はあのまま帰っちゃった。それで帰り道に落ちていた旅人のカバンを拾って、それで学校が分かったから転校してきたの」
「………うん?」
「同じクラスになりたかったから、先生に無理言ったけど、意外と何とかなるモノね。一ノ瀬の生まれで本当に良かったわ」
昨晩投げ捨てていた、俺のカバンを交番に届けてくれていたのは、アリスだったようだ。これは助かった—————。じゃない!!!
「ちょっと待て、待ってくれ。もしかして、お前、昨日の今日で転校してきたのか!?」
「うん、何か変かな?」というアリス。常識を知らないとは思っていたが、ここまで常識外れだとは思っていなかった。
「はぁ……もう転校した事は仕方ないけど、どうしてそこまで俺に入れ込むんだ? 昨日までは殺す気だったんだろ?」
「私もすっごく不思議で、昨日ずっとお家で考えていたの」
うーん、とアリスは頭を悩ます仕草をする。教室ではお嬢様のような振る舞いだったが、二人っきりになると、思いのほか仕草や表情がコロコロ変わる。
「色々考えて、やっぱり結論は出なくて。だけど、イリスの記憶が私に言ってくるの。旅人大好きーって。だから、私もその感情に従うことにしたの」
「ハハ……確かに、アイツならそう言いそうだ」
彼女ほど俺を肯定して、俺を否定した存在はいない。そして同時に、俺も彼女を肯定して否定した。どこまで行っても俺たちは共存できなかったのかもしれない。
「でも、それはイリスの感情だろ? 一ノ瀬有朱の感情じゃない。———お前はそれでいいのか?」
他人の記憶が自分にあること。どれほどの苦痛なのか。俺には分からない。だけど、他人の記憶に、本人が流されていいはずがない。彼女は彼女なのだから。
「そっか、旅人はそれを心配してくれるんだ。うん、大丈夫。私の中で折り合いは付いているんだ。だから今は、心に従ってみようと思うの」
———例えそれが、他人の感情/記憶でも、か。
「アリスは、強いんだな」
俺はこの一年、イリスを殺した事を引きずり続けていた。どうしても前に踏み出せずにいた。だけど、彼女を見ていると、俺も前に進む必要があるのかもしれない。そんな気にさせられる。
「そんな事ないよ。私は自分がないから、他人に縋っているだけ」
「そう言い切れるのが、お前の強いところだよ」
彼女と魔王は違う。間違いなく別人だ。だからこそ、俺は彼女を一個人として、受け入れる必要がある。
かつて自分が愛した魔王ではなく、ただの友達として。
「これから、よろしくな」
手を差し出す。ただのクラスメイトだが、この学校で唯一、心を許して話せる存在かもしれない。俺が手伝えることも少ないだろうが、少しでも彼女の学校生活が良いものになるように手伝おう。
「うん! 旅人、よろしくね!」
そう言って、抱きつかれる。これが彼女と魔王どっちの感情なのか、分からないが、彼女の記憶と感情に整理が付くまでは……。
魔王を殺した俺ができる唯一の贖罪だ。
そろそろ主人公が活躍する時も近いです。
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