第16話:夢幻
ヴィエルの両腕。そこにあったはずの2本の腕は切り落とされ、切断面から泉のように血が流れ出す。
「————勝負アリだ。ヴィエル」
「そのようだな」
腕を切り落とされたというのに、痛がりも、叫びもしない。もちろん魔族にも痛覚はある。あくまでの奴は自分の矜持を守ろうというのか。
「その体じゃもう何もできないはずだ。………ここで異世界に帰るってんなら、命だけは見逃してやるよ」
「————何をいう。貴様が見逃すべき命は、他にあったはずだ」
「————っ」
ヴィエルの言葉に心臓が跳ねる。痛いところを突かれた、そう表現するのが最も適しているだろう。
そうだ。俺は………俺にはこの男の命よりも見逃すべきものがあったはずなんだ。
「外の半魔の群れを見て、貴様は何を感じた」
「……お前への怒りと失望だよ。関係のない人間を巻き込んだ事は許せないが、俺の知っているお前は———ヴィエルジュ・アインザムはこんな手段を講じる魔族じゃなかったはずだ」
魔王軍の盲目の騎士。因果逆転の剣技を操り、どんな敵であろうと一刀の下に斬り伏せる。最強の剣士。
人間側としては最悪の敵ではあったが、それと同時に畏怖の念を抱いていた。その剣技に恥じない誇り高い剣士であり、真剣勝負を何よりも望む———と、
「かつての私はな————しかし、そんな誇りを持ってどうになる? 誇りは守るべきものを守ってくれるのか? 必要とするものを手に入れてくれるのか? ———否。であれば、私は喜んで誇りを、矜持を差し出そう。我が悲願のために」
奴の目が光る。イリスと同じ真紅の瞳が俺を射抜く。
「————何だこれは」
対峙していたヴィエルから距離を置き、アリスの元へと戻る。
「突っ走って悪かった。………気がついているか?」
背後のアリスにそう問いかけ、周囲を確認する。
「えぇ……。さっきの爆発の後に生じた霧と同じ……」
どこからともなく現れた白い靄が周囲を漂い、次第に屋敷内部を満たしていく。どこか冷たい霧のようなそれは、俺たちの周囲だけは避けるように、ヴィエルとその配下の魔族を徐々に隠していく。
俺と同様にアリスも嫌な予感がしたのだろう。
いくつかの魔法陣を展開し、魔法によって靄を打ち払おうと試みるが、効果はない。依然として靄は空間を満たしていく。
「…………ヴィエルっ! 何をする気だ!」
しかし俺の声は奴に届く事はない。白い靄に吸収されるように、声が溶けていく。音もなく静かな空間。窓から差し込む月明かりもなく、ただ靄による白い世界が広がる。
———カツン。
———カツン。
どこか、聞き知った音が木霊した。
———カツン。
———カツン。
誰かが歩く音。何かが響く音。
次第に靄は薄れていく。空中を漂っていた白の粒子は、どこかに流れ出していくように、徐々に徐々に消え去っていく。
ようやく周囲の光景が視認できるようになってくる。荘厳な屋敷、豪華な大階段、装飾が施された天窓。そして、そこから差し込む月明かり。
———カツン。
———カツン。
音の先。そこに魔族はいた。
先ほど同じ光景。月明かりの元を盲目の騎士が歩く。燻んだ金髪に閉じられた両目。地面につきそうな長い外套。そして————切り落としたはずの両腕。
まるで焼き直しだ。あったはずの血痕、生じたはずの破損、切り落としたはずの両腕。全てが跡形もなく消えており、元あった場所に還っている。
「————またかよ」
先ほどの取り巻きの魔族たちと同じ現象。まるで俺たちのだけ時間が進み、奴らだけ時間が巻き戻ったような。
しかし、先ほど異なる点は俺が『眼』を使っていること。
「因果に乱れはない……。何がどうなっているんだ?」
物事の原因と結果を見据えるこの両目を持ってすら、目の前で起きている事象を説明することができない。
「旅人でも理解できないの?」
「あぁ……俺の目は、事象や時間の因果を見据え干渉する。でも、目の前で起きている現象は、時系列的には何も問題がないことになっている」
時間の遡行や因果の逆転は、必ず世界に違和感を生じさせる。
当然の話だ。
地球において時間とは常に一方通行のものであり、干渉が不可能な非物質的存在だ。それに干渉する事、即ち、世界のルールに抵触する行為である。
奇跡的なバランスで運用されているこの世界は、そのような僅かな違和感ですら、何かしらの問題を生じさせる。
本来、俺の眼があれば、その生じた違和感を見抜くことができるはずなんだが……。
「問題がない、要するに時間の流れとして、当然の出来事が起きているってことよね?」
アリスの言葉に頷き、肯定を返す。
先ほどと同様に階段を降り、俺たちと対峙するヴィエル。その体には一切の傷がなく、先ほどの戦闘はなかったことになっている。
「おいヴィエル、お前、何をした」
しかし、奴からは返事がない。ただ真っ直ぐにアリスだけを見つめている。
「———本当に陛下によく似ている」
ヴィエルの言葉に俺も反応してしまう。確かにアリスは魔王とよく似ている。しかしその性格や個人としてのあり方は、正反対と言ってもいいだろう。
「貴様には———陛下への贄となってもらう」
対峙していたはずのヴィエルの姿は消えた。その瞬間、奴の声が背後から聞こえる。
「————っ! アリス!!!」
反射的に体を反転させ、後ろにいたアリスを守ろうとする。が、数手遅かった。アリスの手を掴み上げたヴィエルの姿はまたもや消え去る。
「何がどうなって————」
両目で眼前で起きている事象を確認するが、今目の前で起きた事象に何の違和感もない。
奴は純粋に俺たちの目の前を悠然と歩き、アリスを捕まえ、元の場所に戻っただけ。というのに、ヴィエルの動きにはそのような気配もない。
「離しなさい! ヴィエル!」
抵抗するアリスだが、ただの人間が力勝負で魔族に勝てるはずもない。
「五月蝿い女だ」
瞬間、アリスの体が斬られた。首元から腰まで縦に剣筋が入る。服は切り裂かれ、その向こうから僅かに肌が見える。
見たところ出血はない。しかし彼女の意識を刈り取るには十分な威力だった。
「————テメェっ!!!」
一瞬で感情が沸点へと到達する。無意識のうちに地面を蹴り上げる。最速の一手で奴の喉元を————。
「■■■■■」
俺の正面に出来損ないの魔族が飛び出してくる。半魔よりも膨大な魔力を有するが、動き自体は緩慢だ。
「————邪魔だ!!」
小刀を振るう。一瞬の両断。呻き声も、叫び声も上げさせない。死んだことすらも理解させない。断末魔もなく魔族は再び死に絶える。
「ヴィエル———っ!」
————『因視』。今後発生しうる数多の選択肢を視認する。俺と奴の選択肢はほぼ無限に存在存在しうるが、その中で確率の高いものだけど選び取る。
疾走。地面を蹴り上げ、凄まじい速度でヴィエルに接近していく。視界が後方に流れ、屋敷の光景なんて目に入らない。見るべきは俺と奴の因果のみ。
「その目は驚異だが————私の目的は貴様を殺すことではない」
気を失ったアリスを抱え、奴の体が宙へと浮かぶ。
視界がブレる———。
見えていた数多の選択肢がモザイクにかかったように、明確に捉えることができない。見えていた原因も結果も、過去も未来も、全てが現代へと収束していく。
目の奥にマグマを流されたような、凄まじい激痛が走る。
「————ガァッ」
思わず苦悶が漏れる。感じたことのない痛み。眼球を通して体全身が焼けるように熱く、全身の神経を傷つけられているような激痛を感じる。
しかし、今は痛みに悶える時じゃない。眼球から全身に走る痛みに歯を食いしばりながら、意識をしっかりと持つ。
「アリス———っ!」
浮かび上がったヴィエルに追従するため跳躍する。
「————ぐっ」
一度眼球を動かすだけで、享受し難い痛みと感覚に襲われる。視界がぼやける。因果だけでなく『現在』すらも捉えられないほど、視界が混濁していく。
ヴィエルは中空に漆黒の穴を出現させる。それは魔族が頻繁に使用する移動魔法。どうやら、あの魔法でこの場から離脱するようだ。
「いか、せるかっ!!!」
小刀を振るった俺を撃ち落とすように、ヴィエルの大剣が振われる。何とか『眼』を使い、自分が斬られるという『結果』を否定する。が、攻撃そのものはいなせない。
————墜落。
大剣を小刀で受けると、そのままの勢いで地面に叩きつけられる。
「ガハッ————」
屋敷の床にクレーターが生み出されその中央に横たわる。撃ち落とされたことによる痛みよりも、眼球から来る痛みによって、前後不覚へと陥る。
「貴様のその眼も、この世界では十全には使用できないようだな」
「だま、れ……。アリスを、返せ………っ!」
不安定な足取りの中、何とかその場から立ち上がる。しかし、眼から全身の神経が焼かれているような感覚は続く。堪えようのない痛みと吐き気、倦怠感、全てが押し寄せてくる。
「時系列の平行化など人間には過ぎた力だ————。処理は任せる」
ヴィエルは地上の俺から視線を切ると、屋敷の入り口へと視線を移した。そこには夥しいほどの半魔と魔族。人間から移り変わった人外の魔族たちが群がっている。
「なんだ、よ………。あれ———」
「貴様の命であれば、これだけの素体を利用しても十分であろう。貴様が刈り取った魔族の同胞たちに悔いながら、無慈悲に死ぬがいい」
「待て! アリ、ス————っ!!!!」
奴はそれだけ言うと、自身が生み出した穴の中にアリスと共に入った。そして、その穴は二人を収容すると、とっぷりと消えてしまった。
「————クソっ!」
ヴィエルを逃しただけでなく、アリスまでも連れ去られてしまった。受け入れ難い事実に、歯を噛み締める。
魔族による移動魔法は、あらかじめ指定していた場所に転移するもの。
「初めから、アリスが狙いだったのかよっ………」
この屋敷に入る前に感じた懸念。毎回、嫌な予感が的中してしまう自分が嫌になる。
連れ去られたアリスは意識こそ無かったモノの、まだ生きていた。それに奴は初めから魔王の因子が目的だ。因子の性質上、肉体が死んでしまっては観測することが原則的に不可能だ。
「———殺される心配はないか。………いや、『まだ』ないって方が正しいな。まずは自分の心配をしないとな」
両足に力を入れて前を向く。
絶望する事はもう飽きた。今、俺ができること。俺がしなければならないことに行動を移す。
「■■■■■■—————」
半魔と魔族の咆哮。言語として成立していないソレも、今になって僅かな恐怖を覚えてしまう。
通常であればこの場から離脱することは容易いが、全身を襲う意味不明な痛みが動きを阻害する。
「………この世界で、この『眼』を使う代償ってことか」
異世界で手に入れたこの『眼』は、その成り立ちから言って、あの世界限定の力と言える。だからこそ、次元の壁を超えた地球での使用には代償があると言うことだろうか。
「—————」
小刀を構える。
俺を中心に徐々に迫る魔族。すでに四方は包囲されており、逃げ出すことは不可能に近い。
『眼』の発動を終わらせれば、この痛みは無くなる。しかし、その選択肢は俺の戦闘経験から否定された。今この場で最も生存可能性が高い選択肢は、『眼』を行使して戦うこと。
「————やるしかないか。アリスを助けに行かないと」
痛みに歯を食いしばり、ぼやける視界の中から何とか外界の情報を掴む。
どうして俺はここまで、アイツのために頑張れるのだろうか。ふと不思議に思ってしまった。しかし、今はそれを考えるべき時ではない。
「————っ」
倒れ込むように駆け出す。
これだけ囲まれているんだ。音を殺す必要も、無理に気配を消す必要もない。この状況に追い込まれている時点で、俺は暗殺者として終わっている。
それなら————。生き残ることだけを最優先にする。
「ハァッ————!」
一体目の魔族を切り捨てる。その倒れ伏していく遺体を足蹴に跳躍する。上空から屋敷の入り口を確認する。その周囲には無数の魔族が蠢いており、突破することは不可能であると察する。
「となると————上か!」
屋敷上部を見上げる。階段の奥に設置された天窓。そこから差し込む月明かりが
俺に生存の方法を教えてくれる。
僅かな希望は見えた。が、その階段にもいつの間にか魔族が群がっている。数で言えば数十体。全てを殺して脱出することは不可能だ。
「■■■■■」
上空目掛けて、地上から数多の魔法が射出される。見慣れた半魔と魔族の魔法。シングルアクションによる単純魔法だが、威力は十分にある。
「————『因視』」
どうしようもない激痛が眼球から全身を駆け巡る。耐えなければ死。歯を食いしばり、白じむ視界を頼りに小刀を振るう。
「因劫集積………劫果予測っ!」
自分が唯一生存できるルートを採択する。因視による結果の予測。凄まじい精度での結果予測ではあるが、未来を決める行為とは異なる。
頭上から魔力の気配を感じた。落下しながら合わせて2階部分を見ると、そこから半魔による魔法の掃射が始まる。
咄嗟の防御体制を取る。しかし、そんなものでこの魔法の雨が防げるわけもない。
「ぐあっ————っ」
真横からの魔法の雨。対岸の壁に叩きつけられ一階へと落下する。身体中から焦げた臭いがする。肉の焼ける音、血が蒸発する臭い。何度経験してもこの感覚には慣れない。
「アイツを………アリスを助けないと————」
立ち上がり『因視』を試みる。
が、もう俺の眼に光が差し込むことはなかった。過去も、現在も、未来も、何もかもが混濁した黒。時間と空間が溶け合ったドロドロの混沌が視界を覆う。
何もかもが見えて、何も見えない。
「ちく、しょう————」
周囲から膨大な魔力の高まりを感じる。
魔法の発動ではない。これは屋敷に入った時に感じたもの。人智を超えた膨大な魔力の暴走。熱と風による純粋な破壊。
「アリスっ—————」
最後にそう呟き、俺は魔族たちの一斉爆発による光に包まれた。
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