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第15話:因視

 ———ヴィエルジュ・アインザム。


 魔王の懐刀と呼ばれた盲目の騎士。魔王イリス・フォン・アイデンベールに絶対の忠誠を誓ったという忠義の騎士としても有名であった。


 奴の手によって生み出される剣技は『絶技』と呼ばれ、もはや剣術の域を超えたもの。魔法や異能によって生み出すことさえできないような、次元を超えた剣技を有していた。


 異世界では幾度も殺し合った。時には戦場で、時には街中で、時には魔王城で。


 言葉数は少ないが、魔王軍においても絶対の信頼を置かれており、この男を倒せば魔王軍は瓦解するとすら読んでいたほどだ。


 その男が————。アリスに跪き、首を垂れている。あの魔王以外にはほとんど口を効かず、氷の刃を思わせたあの男が。


 一瞬、アリスを魔王と勘違いしていると思ったが、すぐさまそれは勘違いだと否定されることになる。奴のアリスへの視線は冷たく氷の様だった。


 おそらく奴の狙いはアリスではない。


「何が狙いなの、ヴィエル」


 アリスが盲目の騎士へと語りかける。


 そうか。あいつはイリスの記憶があるから魔王軍は以下の魔族を知っているのか。


「貴様の様な人間に気安く名前を呼ばれる覚えはない。私の目的はただ一つ———貴様の中にいらっしゃる陛下だ」


「————っ!? 下がれアリス!」


 即座にアリスとヴィエルの間に割って入る。瞬間、右手に握った小刀から凄まじい衝撃を感じた。なんとか衝撃を受け切ると、アリスと共に僅かに後退する。


 奴は微動だにしていないというのに生じた剣戟。感覚を、音を、光をも置き去りにした絶世の剣技。


「『絶技』———因果逆転の剣技。相変わらずえげつないな」


 純粋な技術よる因果の逆転。『原因』から『結果』の時系列ではなく、『対象を切る』と言う『結果』があるから、『斬るという動作』が『原因』として生じる。


 奴の前では剣戟というものは存在しない。なぜなら、戦いが始まったその時にはすでに斬られている(・・・・・・)から。一度も刃を合わせることなく、悉くを斬り伏せていく。


「それを言う貴様も随分ではないか。(なま)ったものだと感じたが、その眼による干渉は健在のようだな」


 奴が俺の両眼に視線(・・)を向ける。


 まだ起動させていないというのに、両眼に熱がこもり、どこか頭痛がする。


「何百、何千と敵を斬り伏せてきたが、私の剣に刃を合わせるという芸当をしたものは未だにお前だけだ。『最上の』」


「そうかよ。————で、アリスの中にいるってどういうことだよ」


「気がついていると思っていたが。————相変わらず鈍いようだな。簡単な話だ。その人間の中には陛下、イリス様の『因子』が眠っている。それを回収するまでのこと」


「————イリスの『因子』だと……?」


「貴様が殺した(・・・)陛下の『因子』は流転の波に乗り、この世界へと漂流された。それをその人間が簒奪せしめたのだ」


「…………」


 人間は『肉体』と『魂』で構成されている。


 そして肉体は『細胞』によって構築され、細胞は幾多にも分裂し増殖を繰り返し人体の回復、運営に携わる。


 それと同じように魂にも構成要素が存在する。それが『因子』。魂を構成する根本的な要素であり、因子が集まることによって魂は構築、運営される。


 生物が死ぬと肉体から因子は解き放たれ、世界を流転する。世界を漂った因子は、時が来ると再び世界に取り込まれ、生物の肉体へと取り込まれる。これが一般的な『生まれ変わり』と呼ばれるモノの正体である。


「『因子』は次元の壁を越えられない。どこまで行っても世界が生み出したものであり、その世界の範疇は抜けることはできないはずだ」


「あぁ………そうだろうとも。それは貴様が一番よく知っている。それでは、その人間をどう説明するのだ?」


「————どういう意味だ」


 俺の言葉に、ヴィエルは白々しく笑うと「貴様とて気がついているのだろう?」と、そう問うた。


「記憶の引き継ぎ、意思の共有は『因子』による流転の最たる事例。陛下の記憶を持っていることは、この娘の中に陛下の『因子』があることに他ならない」


「————っ」


 薄々気がついていたこと。いや、考えない様にしていたこと。無意識のうちに遠ざかっていた思考が、一気に湧き上がってくる。


 アリスが、イリスの『因子』を持っている。


 それはあり得ない。


 世界によって生み出された『因子』は世界の壁、次元の隔たりを超えることができない。どこまで行っても人間の魂は世界に縛り付けられる。


「あり得ない………仮に次元の壁を越えたとしても、俺はあの時、確実に、イリスの『因子』を殺した。———この手で消滅させたはずだ」


「『最上の暗殺者』といえど、最後にしくじった様だな」


 ヴィエルの推測はおかしい。どこか理屈として破綻している。頭ではそう考えているというのに、余計な思考が止まらない。


 アリス(イリス)をみる。


 生物を構成する『肉体』と『魂』の二つ。ヴィエルの言っていることが正しいのであれば、『肉体』はアリス、『魂』はイリスであることになる。すなわちイリス(アリス)の半分はアリス(イリス)、ということになる。


 かつてこの手で殺した、消滅させた彼女の魂がある。そう思うだけで、余計なことを、必要のないことを考えてしまう。


 すでに失ったと思っていたもの。自分の手で手放した大切なものが、目の前にあるかもしれない。自分の過ちを取り返せるかもしれない。


 イリスを………。

 彼女を………。


 その時、頬に痛みが走った。


「…………っ!」


 気がつくと目の前にアリスがいた。目尻に涙を浮かべ、歯を食いしばっている。今にも泣き出しそうで、今にも怒りだしそうで。どこか不安げな彼女。


「私は————アリスよ! イリスじゃない! 私は私なんだから!!」


 叫んでいるが、いつもより覇気のない声。強がっているような、彼女の表情を見て、ガツンと後頭部を殴られたような衝撃を感じた。


 ———あぁ。そうか。そうだよな。


 彼女のビンタで余計な思考が、遥か彼方まで吹き飛んでしまった。心を支配していた余計な感情もなくなり、どこか晴れやかな気分になる。


「悪い………気が抜けてた。そうだ。お前はアリスだ。イリスじゃない」


 アリスの目を見て強く応える。あのような思考に陥っていた自分が情けない。


「当然だ———貴様はイリス様ではない。だが、その魂は陛下のもの。返してもらうぞ」


 ゾクリと、背後から吹き上がる凄まじい殺気に背筋が凍る。


 しかし、そのような分かりやすい攻撃、対処することは容易い。不可視の『絶技』による衝撃を小刀で受け斬る(・・)


「腕、落ちたんじゃないか? 懐刀さんよ」


 撃鉄が落ちる。


「————貴様」


「こいつはイリスじゃない。アイツはもっと可憐で、お淑やかで、上品な女だ」


 かつてのイリスとの思い出が蘇る。


「………ちょっと、旅人?」


 後ろから発せられる怒気は、この際無視することにする。さっきの件もある、ここから生きて帰ったら、甘いものでも奢ってやろう。


「確かにコイツは、イリスに似ているところもあるし、イリスの記憶も持っている」


 この数日間の彼女(アリス)との記憶が蘇ってくる。魔族を思わせるその雰囲気、膨大な魔力、イリスに似た相貌。確かに彼女(アリス)魔王(アイツ)に似ている。


「———何が言いたい」


 ヴィエルの研ぎ澄まされた殺気が頬を撫でる。鋭い眼光が、尖った牙が、今にも俺を殺そうと機を待っている。


「なんでだろうな。俺はコイツがどうしても気になっちまう。イリス・フォン・アイデンベールじゃない。一ノ瀬有朱って人間を守りたいって思っちまうんだよ」


 ———だからな。そう呟き、小刀を構える。


「コイツを殺そうってんなら————」


 両眼が灯る。


 堰き止められていた俺の時間が動き出す。体内の魔力は巡り、閉じていた経路が次から次へと開いていく。月明かりよりも儚く、黄金よりも深い。神から簒奪した権能のが脈動する。


 視界が、感覚が、世界が切り替わる。見えていたもの全てに情報が上書きされ、人間の知覚を超えた、神の視点へと挿げ替わっていく。


「————『因子』ごと、殺し返してやるよ」


 動き出しは同時だった(・・・)


 すでにそれは過去。時間にして1秒。交わされた剣戟の数は10を超える。


「————っ!」


 吹き荒れる暴風。迸る衝撃。一度の剣戟によって地面に亀裂が走る。


 どこから取り出したのか、奴の両手には大剣が握られていた。魔王城を思わせる白亜の(つるぎ)。剣というには些か巨大すぎるそれを、奴はまるでペンの様に自在に扱う。


 振り下ろされる巨剣。風を切る刃。定められた『原因』。決定される『結果』。すでに俺が切られることは、ヴィエルの剣技によって固定されている。


 ———しかし。


 小刀を振るう。


 ———奴によって固定された因果を破壊する。


 瞬間、世界に(ひび)が入った。俺だけに見えた光景、俺にだけ知覚できる世界。何もかもが黒くて白いフィルターを通してみたような淡い世界。


 そこに見える無数の過去と未来。原因と結果。幾多にも分岐していく因果を断ち斬っていく。


「———『絶技:断空(だんくう)』」


 大剣が振われる。空気を切り裂いた真空の刃が、俺とアリス諸共両断しようと迫り来る。回避しようにも、すでに俺たちが斬り伏せられることは決定した斬撃。


「………旅人っ!」


 後ろからアリスの声が聞こえる。そうか、イリスの記憶があっても、初めてみる本物の魔族。確かに不安だろう。恐怖があるだろう。


 それなら、———それごと、叩き斬るまでだ。


 音速の域で迫る真空の刃の両眼で捉える。


「———『因視(いんし)』」


 瞬間、世界は二重になる。


 黒で描かれた『原因』と白で映し出される『結果』。過去と未来、原因と結果。不可逆的で、同時に存在しえない時間によって阻まれた二つの世界が、目の前に現出する。


 揃えるべき原因。辿り着くべき結果。それらを無数に存在する世界の可能性から取り揃えていく。ここに必然性はない。あるのは因果の平行化。一方通行の原因と結果を同じ次元に捉えるだけだ。


「————因劫集積(ファクターセレクト)


 無限に続いていた黒の世界が伐採されていく。原因の否定と選択。これによって、ヴィエルの刃が生じた原因が選び取られる。


「————劫果予測(エフェクトアウト)っ!」


 白の世界が俺と同化していく。重なり合う実像と影。白の影に合わせるように、小刀を斬りあげる。


 ————暴風。


 大剣によって生み出さた巨大な真空刃はたちまちに両断され、後方へと流れていく。


「———過去……『原因』の否定だけでなく、————『結果』をも決めるか! 暗殺者!!」


 狂気を顔に浮かべ、牙を剥く盲目の騎士。奴にとっては刃を交えること自体が貴重で、興奮させるものなのだろう。


 無理もない。結果を決めて原因を後出しできるイカれた剣技だ。普通の時系列に生きる人間や生物にとっては敵いようもない相手だろう。


 しかし———。


 この目を持つ俺は違う。


 今の俺は、縦に流れる因果の流れを抜け出し、その列を平行化した存在。時間の流れを『縦』ではなく、『横』に俯瞰して捉えることができる。


 俺は『結果』を決めているわけではない。


 この目にとって『原因』と『結果』はイコールであり、入れ替えることができる対象に過ぎない。


 この眼は———因果を捉える。


 原因と結果を捉え干渉するこの眼を持つ。すなわち————。魂の『原因』。『因子』すらも捉える———。


 魂の揺らぎ。思考感情の変化を捉え、奴の意識合間を縫い、一瞬にして懐に潜り込む。


「捉えた———。お前の魂も———因果も」


 一閃。ヴィエルの右腕が宙を舞う。大剣が後方に突き刺さり、奴の体を守るものは何もない。


「—————貴様っ!」


 怒りに表情を歪めるヴィエル。しかし魔族はこの程度の痛手では止まらない。残された左上で、外套の内側に隠していた小型の剣を抜き、俺の首に突き立てる。


 予想外の反撃。俺が認知していなかった武装の登場。認知していなかった可能性はこの眼でも捉えきれない。


 ———しかし。その感情、『魂の揺らぎ』をこの両眼は捉える。


 魔眼によって捉えられたヴィエルの感情に本能的に反応して、ナイフを抜くという原因を、抜かれる前(・・・・・)に認知する。


「————っ!」


 紙一重。奴の刃が僅かに頬を掠める。が、俺には届かない。俺の命に届きうるその瞬間に、一歩踏み込み間一髪のところで回避した。


 そして———小刀を逆手に持ち変える。


 踏み込んだ勢いを利用し、奴の左腕も撥ね飛ばした。

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