第■■話:残響
燃え盛る大地、血溜まりに沈む戦士、響き渡る怒号。かつての戦場、遥かな闘争。人間と魔族が争い、命を奪い合う戦場。誰かが死に、誰かが殺し、誰かが怒り、誰かが泣く。失うばかりで、得るものは何もない。
数多の剣戟が響き渡り、戦士たちの声が轟きあう。
青空を久しく見ていない。昼も夜もなく、燃え盛る大地から巻き上がる煙によって、空は常に黒い。時折覗く月明かりで照らされる戦場は酷く、見るに耐えない。
「ここにいらっしゃったのですか、イリス様」
僅かの休息。何度目か分からない人間との衝突を退けた私は一人、丘の上から戦場を見渡していた。
「———。あなたはどうしてここに? 先の戦いでも貴方の活躍は聞いています。休むこともまた戦士の務めですよ」
「陛下がお休みになられていないと言うのに、どうして私が休息を取れると? そう仰るのであれば、まずは陛下からお休みください」
盲目の騎士は言う。月明かりに照らされた金髪。その両目は常に閉じられており、久しく光を見ていないという。そんな彼は私の隣に立つ。
「私は大丈夫よ。私の魔力は無限。それは貴方も知っているでしょう?」
「しかし気疲れというものは、誰でもございます。陛下は我ら臣民にお優しい方ですが、些かご自身には厳しすぎる。まずは御身をお気遣いください」
「そ………貴方にそう言われては仕方ないわね。後で少し休むから、今はここに居させて」
「承知しました。各将も天幕へと集っております。じきにお戻りになるのがよろしいかと」
盲目の騎士は一礼して、その場を後にした。
相変わらず堅苦しい物言いだけど、私は彼が信用できる人物であることを理解していた。
「………人間との戦争も遂にここまで来たのね。アイツとの約束果たせなかったや……」
眼下に広がる戦火を眺めながら、後悔の念に苛まれる。
人間との本格的な戦争は今日でちょうど10ヶ月を迎える。遥か昔から人間と魔族の間柄は健全ではなかったが、ここまで大々的な戦争は初めてのことだ。
各大陸間の狭間を舞台に、数多の命が散っていく。魔法が飛び交い、血飛沫が舞い、世界は刻一刻と終わりへと進み続ける。
「アイツ、今頃どうしてんだろ………」
脳裏には一人の人間の男性が思い浮かぶ。
漆黒の髪に、冷たい瞳。私を見透かすようなあの瞳に見つめられるだけで、胸がキュンとしてしまう。
戦場にいるというのに、場違いな感情を抱いてしまうことも慣れてしまった。こんな感情を持ってしまうのも『全部アイツが悪い』。そう思うことで溜飲を下げる。
「ここまで来たら私たちは引き返せない。あとはアイツ次第。———世界のルールだって殺してみせるんでしょ、暗殺者さん?」
燃え上がる煙に従うように、戦場から空へと視線を移していく。
どうしようもないほど行き詰まったこの世界。だけど、この空と大地だけは、彼と繋がっているから。
「世界を頼んだわよ。———旅人」
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世界を超えた。
かつての同胞を、同志を、仲間を、同族を、友人を、家族を。全てを切り捨てた。何もかもを捨て、男はこの場へと辿り着いた。
無数の不確定を超え、無限の可能性を掴み取った。
———コツン。
靴底の裏から知らない感触が伝わる。
雨が降ったのだろうか。水分が蒸発したような生臭い匂いが鼻腔に刺激を与える。見知らぬ土地、見知らぬ光景。
全ての既知を捨てた先に男が手に入れたのは、無知の世界だった。何もわからない。何も知らない。
だが。
だが!。
だが!!!。
男の『魂』は、『因子』は、為すべきことを克明に告げる。
どれだけ世界を越えようと、どれだけの無知に襲われようと。
———私から何を奪おうと。
男の為すべきことは変わらない。
奪われたものを取り返す。男にとって最も重要なもの。世界を越えるために差し出したどんなものよりも価値のあるもの。それを取り戻すために、男は歩みを始める。
男の行動と同期するかのように、隣にある巨大な室外機が起動を始める。見知らぬ機器だというのに、そんなものに目もくれない。
夜の帳が降りた繁華街。
週末だからだろうか、この日を待ちに待ったと言いたげなサラリーマンたちと学生に溢れかえった夜の街に一人、男は歩みを進める。
行先も、頼りもない。男が唯一持っているもの。それは————。
「あぁ————っ」
自分の心を無くしてしまわないように。自分に残った唯一のものを握りしめるように、男は擦り切れたローブの上から自身の胸を握り締める。
何かを呟くと男は夜の街へと溶けていった。
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———間違えた。
———間違えた。
———間違えた。
どうしようもない自分の誤りに。取り返し用のない己の過失に。
「あ、あぁ…………あぁぁぁぁぁあああああ!」
篠突く雨。まるで俺の体を痛みつけるように、世界が俺に怒るように、雨が頬に突き刺さる。
膝をつきどれだけ叫ぼうが何も変わらない。水溜りに映り込んだ黄金の瞳が、俺を睨みつける。
奪われた最後の希望。何もかもを壊してしまったことへの後悔と懺悔。自分はこの世界に現れたその時から、奴の手のひらの上だったのだ。
自分たちを救おうとしていたモノを疑い、そして————殺した。権能を奪い、利用し、自分のものとして取り込んだ。奴の『因子』は跡形も消えてなくなり、魂の流転の輪から外れてしまった。
『因子』とは魂の構成要素。それを失った魂は流転の輪から外れ消滅する。
神と言えどそれは例外じゃない。
簒奪した権能によって『魂』を見れるようになった俺には手に取るようにそれが理解できた。昨日まで理解することも、捉えることもできなかったと言うのに、今では感覚的にも視覚的にも、全てを理解してしまっている。
もう、あの神は存在しない。
唯一存在した証拠は、俺の両眼だろう。
まるで取り込んだ神が泣いているかのように、両目から止めどない涙が溢れる。
「あぁ………あぁ……あぁぁぁ」
これまでの積み重ねも、これまでの思いも、大切な人たちの命も、この世界も。何もかもが手遅れになった。
「………何も救えない」
身の丈に余る願望。
人間と救おうとした。魔族を守ろうとした。世界を変えようとした。そんな身の丈に合わない強欲さが招いた結果。
悲劇でもなんでもない。
初めから気が付けていたはずだ。もっと良い手はあったはずだ。それなのに俺は思考を放棄して、言われるがままに、刃を振るった。
「何が……何がっ! 何が世界を救うだ! ふざけるな、ふざけるな————」
地面に頭を何度も叩きつける。大理石のような地面で額が割れ、地面いっぱいに広がる雨水に血が滴り落ちる。
「俺は———俺は————っ」
慟哭は続く。しかし気が晴れることも、過去が変わることもなかった。
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