第13話:巣窟
「ここが半魔の巣窟………」
目の前に鎮座する古ぼけた洋館を見上げる。
街の郊外。駅から徒歩一時間ほどの場所に、その洋館はひっそりと佇んでいた。
侵入者を阻むための大きな塀と巨大な門。かつての繁栄を感じさせるその意匠から推測するに、建築されたのは半世紀は前のものだろう。塀には蔓が周り、金属の門には所々錆と腐食が見受けられる。
レンガで作られた塀の向こう側に、同じような素材で構築された巨大な洋館。いくつもある窓からは、夜だというのに、一つも光がない。
「放棄されてずいぶん時間が経っているようね」
「あぁ……俺もこんな所に、立派な屋敷があるなんて知らなかった」
目の前の門を見上げてそう呟く。
見たところ、電気や水道などの生活インフラも止まっている。持ち主に放棄されて、手入れもなく悠久の時を街と共に一人で過ごしていたのだろう。
「この数日、半魔の出現場所や動きを統計した結果、この場所が浮かび上がったの。半魔が出現した箇所をマッピングした中央にあって、この佇まいで何の成果も無かったら、むしろ怪しいくらいよ」
時刻は22時。半魔の巣に乗り込むということで、周囲の危険性も鑑みて、この時間の行動となった。
静かな夜だ。風もなく、雲もなく。綺麗に澄み渡った夜空と、そこに輝く月が妙に印象的だ。
「結局、半魔を生み出している犯人は分かったのか?」
「分からずじまい。あれだけ露骨に半魔を狩っていたんだから、尻尾くらい見せると思ったんだけど……。ここまで穴熊を決め込まれると、どうしようもないわ」
「とは言っても、半魔の巣ってことは、間違いなく奴らの巣窟だろ? いきなり本拠地に突入するってどうなんだ?」
流石に俺たち二人で奴らを殲滅するのは骨が折れる。何かしらの作戦、もしくは協力者が必要だ。
「このまま半魔狩りを続けていても、被害者が増えるだけ。むしろ、犯人は私たちを誘ってすらいるわ」
「………なるほど。その誘いに乗ろうって話か」
「あれだけ露骨に半魔を配置されれば、私だって気がつく。犯人は私たちがこの洋館に入るまで、明確な行動を起こさないつもりよ」
「ちょっと待て。それなら、犯人の狙いは俺たちってことにならないか?」
「どうだろ。そこまでは分かんない。だけど、これ以上被害者は増やしたくない。」
相変わらず、その辺りはメチャクチャなアリス。
「被害者を増やしたくないってのは同意だが————」
しかし、敵は半魔を生み出す奴で、その本拠地に乗り込むわけだ。元来の俺の性格だろうか。こういう危険性が見えている行動や作戦ってのはどうしても忌避感がある。
「それに————癪だけど、何かあれば管理局も出張ってくるわ。いざとなれば、アイツらのことだから、この屋敷ごと封印/消去するはずよ。最悪、私たちはこの屋敷で犯人の素性さえ掴めればいいの。あとは管理局に消されないように、脱出すれば作戦成功」
「管理局が…………。やっぱり、この数日感じていた気配って管理局のものか」
「あら、旅人も気が付いていたの?」
「流石に、あれだけ数日尾行されれば気がつく。こちらへの敵意はないから、放置していたが、お前も気がついていたのか」
「私は魔力でこのエリア一帯を常に索敵しているから。………って、魔力も使っていないのに、気がつく旅人の方がどうかしてる」
いやいや、魔力でエリア一帯を索敵って、どんな化け物なんだよ。魔力の貯蔵量が多いとは思っていたが、それ以上にアリスは回復速度が早いのか?
「と・に・か・く! ここで撤退の選択肢は無いわ。私たちは私たちの目的のために、行動しましょう」
「………分かったよ。俺も十分に協力するが、いざとなったらお前担いで逃げるからな」
「か、担ぐなんて乱暴な言い方しないでよ。もっとお姫様みたいに————」
「あーはいはい。わかりましたよ」
文句を垂れるアリスを無視して、目の前の門を飛び越える。
「ちょっと旅人—————」
門。それは屋敷に入る侵入者を防ぐための物であり、屋敷と外界、内と外の境界線。それを超えた瞬間に世界が変わった。
「————っ! 何だよこれは!!」
瞬時に学ランの胸ポケットから小刀を取り出し、一閃。
高さ五メートルほどの門から落下する、その1秒にも満たない時間で5体もの半魔を殺す。両断された飛行型の半魔、胴と頭が切り離された半魔の破片が宙を舞う。
着地。地面は血のような赤い何かで満たされており、どこか泥濘んでいる。
————ピチャ、ピチャ。と半魔たちの足音が鼓膜を揺さぶる。奴らも俺が来ることを予想していなかったのか、奴らとの距離はまだある。
「————っ!? アリス!」
同行者を思い出し、頭上に視線を向ける。
「————きゃっ」
門を飛び越え頭上から降ってきたアリスを抱き止めた。血で満たされたような特殊な地面。彼女であれば足を取られる可能性もある。
「ちょ、た、旅人!? お姫様みたいにって言ったけど、今じゃなくても———」
「惚けるのは後だ。少し———走るぞ」
彼女を抱えたまま、地面を蹴り上げる。地面に薄く貼られた血のようなモノが、僅かに足取りを狂わせる。が、五歩目には修正し、肉体の使い方を最適化する。
「■■■■■」
自分たちの住処に現れた客人を歓迎するかのように、半魔が押し寄せる。原因は分からないが、街中と異なり奴らは魔法を行使せず、身体だけで俺を捕らえようと試みる。
「半魔は事前に行動を入力されないと複雑な動きはできないわ。恐らくここの半魔は、屋敷に入った侵入者を捕らえるように、命令されているのかも」
腕の中のアリスは周囲を確認しながら、そう呟く。
前方に現れた半魔の側頭部に蹴りを叩き込む。凄まじい勢いで吹き飛んだそれは、何人もの半魔を巻き添えにする。その空いたスペースを利用し、跳躍する。
「た、旅人の体って本当にどうなってるの!?」
「さぁな。俺も気がついたらこうなっていた!」
明らかに外から見た光景よりも広い庭。見た所、現在位置から屋敷までは150m程度はある。小学校の校庭がこの程度の長さだった気がする。
「魔法で空間を歪ませているわね……。実際の距離は見た目以上にあるかも」
「———分かった。可能な限り戦闘は避けて、屋敷に突入するぞ。下手に時間をかけると、奴らが集まってくる」
屋敷を見据える俺に徐々に群がってくる半魔たち。
「多分、500mくらいかな……。それくらいはあると思って」
見えている距離以上に、実距離を生み出すなんてどういう魔法なのだろうか。
「行くぞ————口閉じてろよ。舌、噛むぞ」
地面を蹴る———いや、もはやこれは跳躍に近い。一歩で10mは殺すほどの、人体の域を超えた疾走。
「■■■■■————」
半魔の咆哮が、後ろへと流れていく。
最短距離、最善手を常に選び続ける。どうすれば最も損傷が少なく、最も疾く、屋敷に辿り着けるか。常に思考を巡らせ、先の先を読み続ける。
「前方に————」
「分かってる!」
どうやら奴らに命令が下ったようだ。周囲の夥しいほどの半魔が一斉に魔法の詠唱を開始する。魔力が迸り、気温が上がる。
初撃———。前方から炎塊が射出される。それに続いて、十数発の同魔法が俺たちの命を狙い飛来する。
「ちっ————。数で潰そうってか!」
しかし、足は止めない。屋敷への距離を殺し続ける。足元に広がった液体は、依然として俺の足取りを不安定にさせるが、そんなものは関係ない。
ただ、ただ————。一心に、駆ける。
「はっ—————」
息を吐く。
初撃の炎塊が目前に迫る。瞬間、前方に踏み込む。炎の熱が側頭部に移る。しかしそれだけだ。紙一重で炎塊を躱し、眼前に大量に展開された魔法の雨を見据える。
「ちょっと怖いぞ。目、瞑っとけ」
「わ、分かった!」
腕の中のアリスは俺の言葉に返事をすると、目を瞑り、キュッと俺の腕を掴んだ。
なぜか、その姿を見て笑みが溢れてしまう。異世界でもこれだけの魔法に晒されたことは記憶にない。しかし、俺には不思議と不安はなかった。
俺ならできる。俺なら————アリスを守れる。
疾走を続ける。すでに半分の距離は殺した。先ほどよりも屋敷は大きく、近くに感じる。残り250m。
追撃を僅かな隙を縫うように尽く躱していく。縦横、空間を全て使い、無限に感じさせる魔法の雨を掻い潜っていく。
燃え上がる炎の弾。降り注ぐ氷の槍。瞬き落ちる雷。ありとあらゆる属性の魔法が降り注ぐ。体感温度は理解できず、周囲の光景には目もくれない。
数多の魔法の炸裂によって光、音、熱という自身の五感が次第にあやふやになってくる。ただ、風を切る感覚だけが脳裏と肌に残る。
俺は前に進めているのか。
俺は守れているのか。
そんな疑問が生まれては、魔法を躱し、地面を蹴り上げる。
自分の感覚が信じられないのなら———。腕の中の体温が唯一の道標だ。
「————アリスっ」
「な、なにっ」
無限にも感じる魔法の熱と音。すでに感覚は麻痺していると思っていたが、彼女の熱と声だけは、俺に届く。
「いや———呼んだ、だけだ!」
彼女の存在で俺は走れる。彼女の存在を、腕の中の温もりを頼りに両足を駆動させる。もう自分を見失う事はなかった。
無数の炎塊、数多の氷槍、無限の雷撃の全てを躱し続ける。意識が先鋭化し、攻撃を躱し、彼女を守護する機械へと成り果てる。
そして———。
トンっ。
硬い感触が足の裏から伝わってくる。先程までの液体のような不安定なモノではない。見知った、歩きなれたコンクリートの感触。
「————ついた、か」
いつの間にか自分が屋敷に到着していた事に気がついた。どうやら屋敷の玄関口に到着したようだ。
背後を確認する。
屋敷の玄関口と庭の間に、薄く透明な壁のようなものがある。その向こう側に半魔たちが蠢きあっているが、この壁のおかげか、こちら側には入れないようだ。
「ついたぞ、アリス」
腕の中の彼女に声をかける。どうやら本当に今まで目を瞑っていたようだ。驚いた様子で目を開き、慌てて俺の腕から立ち上がる。
「あ、ありがとう旅人。すごく助かったわ」
「あぁ。そりゃよかった。それより、この壁はなんだ?」
気になっていた透明な壁を指さす。
「これは………結界ね。術者が指定したモノ以外は立ち入れないようにする、初歩的なモノ。私たちが入れているってことは———」
「どうやら歓迎されているようだな。ほら見ろ、扉開いたぞ」
結界から視線を切り、眼前の重厚な扉に視線を移す。
今にも朽ち果てそうな木製の扉は、凄まじい音立てて徐々に開いていく。人の気配を感じさせないその向こうから、頬を撫でるように静かな冷気が溢れだす。
「行きましょう旅人」
アリスの言葉に頷き、俺たちは屋敷の中へと踏み入った。
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