第1話:帰還
「———じゃあな、魔王。ここまで殺すことに手間取ったのはお前が初めてだったよ」
愛刀を逆手に持ち、眼下の女の心臓に狙いをつける。
燃えるような長い紅髪。吸い込まれそうなを美しい瞳。そして———整った美貌。彼女ほど、整った相貌を見たことがない。ある意味で神懸かっているとすら言える。
「その神すらも、貴方が殺したっていうのにね」
「………」
魔王城が崩壊していく。
彼女の魔力によって保たれていた、この世界最大の建造物にして、支配の象徴が炎と共に崩れ落ちる。
俺が元いた世界の西洋を思わせる建築物。しかし所々の意匠は異なり、やはり魔族なりの美的感性が垣間見える。
————燃え上がる炎。人体の許容範囲を超えた爆炎が前髪を焦がす。すでに空気は焼き尽くされ、呼吸をすることすら儘ならない。息を吸うだけで肺が焼ける。身体中の血液が沸騰しているかのような感覚。内臓が焼ける感覚が手に取るように分かる。
「………私を殺して、貴方は元の世界に戻るの?」
「———そう、なるな。魔王を殺すならまだしも、神も殺したんだ。最大の脅威がなくなれば、俺は用済みだろうさ」
「そっか………思いの外、長い付き合いだったね」
————この世界に来て5年。長かった。本当に———長かった。
数多の死線を超えた。幾多も生死を彷徨った。何度も諦めかけた。だけど、ここまで戦い続けることができたのは、この世界の心優しい人たちのおかげだ。
だから、俺はこの場で彼女を殺さなければならない。
「そして………最大の誤算は、魔王に惚れたってことかしら?」
「うっせ。次言ったら、すぐに殺すからな」
二人でクスリと笑う。これが俺たちのいつものジョーク。
「私だって誤算よ。自分の命を狙う暗殺者に惚れちゃったんだから。人間に惚れた魔王なんて、末代までの笑われ者よ」
互いに命を狙いあって、お互いに腑が煮え繰り返るほど憎んでいて。そして———お互いどうしようもないほど惹かれている。
何度も自己嫌悪に陥った。何度もどうしてコイツが魔王なんだと思った。何度も———神を呪った。
「あーあぁ。………これでお終いかぁ。———ねぇ、旅人」
眼下の愛しい人。彼女の輝くような瞳が、俺を射抜く。「何だよ」といつも通り、ぶっきらぼうに答えて、最後くらいもっと愛想良くできないものかと嫌になる。
だけど、この態度を彼女は受け入れてくれる。いつも通り、彼女は綺麗な表情を浮かべ————。
「———大好き」
「あぁ……俺も、大好きだ」
これまでみた中で一番の笑顔。彼女と愛し/殺し合った記憶が蘇る。どうしようもない激情が心の奥底から湧き上がってくる。
あぁ————。どうして————。
数々の想いが走馬灯のように流れていく。だけど、俺はここで後悔したくなかった。
彼女に感謝を伝えるために、この世界の人々の思いに応えるために。
俺は、彼女を殺した。
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————日本。
東アジアに位置し、日本列島を代表する数多の島々から形成される民主主義国家。一昔前は軍事政権が樹立し、戦争を行なっていた時代もあったようだが、それは昔の話。
今では、首都東京を中心に、世界を代表する国家として名を馳せている。
一定以上の生活が保障されたこの国に生まれたことは、感謝すべきなのだろう。———いったい、誰にどう感謝すればいいのか、さっぱり分からないが。
「あざしたー」
コンビニ袋を片手に学校への道を歩く。
男子高校生が一人暮らしをしても自炊をするはずもない。ましては朝の弁当なんて作れるわけがないのだ。てなわけで、俺がルーティンのように、毎朝このコンビニで菓子パンを買うのは至って自然な行為と言える。
「ふぁ………」
春の空を見上げ、呑気な欠伸を一つ。これだけ天気のいい日なのだから、視界の端に映る桜でも眺めていたいものだが、相変わらず東京の朝はうるさい。隣の幹線道路を通ったトラックの音で、思考が現実へと戻される。
ふと———、ここ1年の出来事を思い出した。
「本当に帰ってきたんだよな………」
自分の現状を確かめるように、呟く。
着慣れた制服。文房具や教科書が入った通学バッグ。少し傷はあるが、一年をかけて吐き慣れた革靴。どこからどう見ても、ただの高校生にしか見えない。
———これでも、異世界にいたんだぜ?
あの頃の自分とかけ離れた現状。まるであの5年間が夢だったかのような感覚。だけど、あの経験が本当だったことを告げるように、体内の魔力が胎動する。
「………暴れんなって。疑ってねーよ」
魔王を殺した俺は、気がつくと、こっちの世界に帰っていた。文字通り気がつくと、だ。特別な魔法やゲートみたいなモノを潜ったわけじゃない。
いつの間にか日本に戻って来ていた。
特に驚いたことは転移する5年前と同じ年齢に戻っていたこと。向こうで過ごした時間は全てこっちの世界では否定され、無かった事になっていた。
そして、この世界に戻った次の日————。
「おはよう。当麻旅人くん」
「えっと………加納、さん? おはようございます」
通学路を歩いていると、歩道沿いのガードレールに高級車が止まっていた。その横のガードレールに、一人の男がタバコをふかしながら腰掛けていた。大きなクマのある目を細めて、ガードレールから立ち上がる。
「おいおい、どうして疑問系なんだよ。こっちに戻って来たばかりの君を支援したのは、この僕だぜ?」
「そう言っても、あれ以来、会っていないじゃないですか」
元々面識がない上に、ほぼ一年会っていない年上の男を鮮明に覚えているなんて、細かい芸当は俺にはできない。
「まぁいい」と言って、加納はポケット灰皿にタバコを放り込んだ。
「……ん? 今はポイ捨てに厳しいからね。これでも公務員。条例くらいは守るさ」
この世界に戻ってきた翌日。俺の実家に押し入ってきた目の前の男は『異能管理局』とかいう役職に属する公務員だ。
なんでも異世界から帰ってきた者がいた際は、特殊な魔力が現れるらしく、それを政府がキャッチして、こちらに接触したらしい。
「で、なんですか? これから学校なんですけど」
「相変わらず君は無愛想だなぁ。そんなことじゃモテないぞ?」
面倒くさい大人の小言は聞き流していると、加納は苦笑した。彼は顎髭を撫でながら、頭上の桜を見上げる。
「これから学校なのは知っているさ。その学校を紹介したのは僕だってこと忘れたのかい?」
「紹介したって良い言い方しないでくださいよ。ほぼ無理矢理入れたくせに」
「——はは。そう尖った言い方しないでくれよ。君だって知っているだろ? 異世界帰還者や特殊な異能を持った少年少女は、須く、『魔法高校』に入学が必要なのさ」
魔法———。異世界にあり、この世界にある異能。始まりは第二次世界大戦ごろと言われているが、俺にも詳しくはわからない。とにかく、アメリカだか、中国だかの偉い学者さんによって、魔法の存在と理論が確立されると同時に、世界中にあった異能が表舞台へと出始めた。
俺が通う『東京魔法高校』はそんな異能を持った学生が在籍する教育機関だ。
「特に君の実家は対魔の———」
「で、用はなんですか? そろそろ朝礼なんで、急いでいるんですけど」
嘘だ。ここから学校まで歩いて15分ほど。朝礼には、まだ30分以上猶予がある。目の前の男は、その嘘を知っているのか、知らないのか、どちらとも言えない態度で、言葉を続ける。
「いや、君が学校で『無能者』って呼ばれてるって聞いてさ。どうしてるのかな、なんて思ったわけだよ」
嘘をついた俺への意趣返しなのか、明らかな嘘を述べる加納。一年前のわずかな期間の付き合いではあったが、この男は一個人の感情で、朝からこんな場所にいるような男じゃない。
「あぁ……そういえば呼ばれてますね。それがどうしたんですか?」
あくまで動じず。自然に答えを返す。
「魔力を持っているのに、魔法が『出せない・操れない・使えない』。そんな人間を魔法高校に入れたとなると、僕の出世街道にも影が刺すってものさ」
俺を責める目線。
「君が魔力を持っている事は間違いない。魔力を持っているものは、多少の違いはあれど、操ることができる」
魔力は言うなれば、血液だ。血液は人の意思によって操作はできないが、怪我をすれば傷口から溢れる。同じように魔力を持っているものは、何かしらの刺激や心の揺らぎがあれば、多少は魔力が溢れるものだ。
「それが全く魔力が現出しないってんだから、不思議な話だよねぇ?」
魔力があるのに、現出しない。それは血が流れているのに、どんな怪我をしても、何があっても血が出ることも、目視できることもない、と同等の意味だ。
すなわち、俺は魔力持ちとして欠陥品であると言える。
「だから自分は『無能者』って呼ばれるんでしょうね」
これ以上、答える義理もないと判断し歩みを再開する。せっかく綺麗な桜だというのに、ひどく嫌な気分だ。
「おっと、もう朝礼かい? 最近の学生は忙しいねぇ。———いつまでもカマトトぶっても、お前さんは魔法高校を辞める事はできねーよ。さっさと尻尾見せるんだな」
後ろから聞こえてきた面倒くさい大人の言葉を聞き流し、通学を再開した。
新連載になります。
異世界帰還ものです。よろしくお願いいたします。
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