第五話・妾が先か本妻が先か
反らされた首から赤い筋が伸びる…自称父親の血が垂れてきている。
ジッとしていれば良いものを、動くからだ。
剣から首筋を離そうと暴れかけているが、後ろからダグラス騎士様に髪を掴まれただけで動くに動けなくなっている自称。
「っ!?は、離せ!!やめろダグラス!ステイシア…」
ドゴっ!?と聞きなれない音がして、自称が身体を前屈で二つ折りにした状態で後方に移動する。
美少女に蹴りを入れられていた。
「…貴様に呼ばれる名ではない…二度とこの名を…母上が付けた名を呼ぶな!!貴様が父親とは思っておらぬわ!」
初めて美少女の瞳に感情が籠った様に思えた。感情に揺れる濃い紫の双眸は一瞬で凪ぎ、その後はまた感情が読めない瞳になった…どちらの瞳も綺麗だと、思って見つめていると不穏な音が後方から聞こえる。
「っ…がはぁ!?」
娘に蹴りを入れられたショックからか威力が強すぎたのか、自称が胃の辺りを押さえて苦しんでいる。
「旦那様!!」一応母親が慌てて駆け寄ろうとするが、それは周囲の騎士達に阻まれた。
「離して!離しなさい!!こんな不当な暴力が許されるとでも思っているの!?」暴れてはいるが、か弱い女性である一応の事など、『子猫』をいなすより簡単だろう。あっさりとまた拘束された。
辺境伯が、そんな逆毛を立てた『猫』の様な勢いの一応に声をかける。
「不当も真っ当も…お前は先ほどの国王陛下のお言葉を聞いていなかったのか?シクロホス共の処遇も新しい騎士伯に委ねられると言っておったろう。シクロホスの娘であるお前がどう言おうと足掻こうと、処遇に異議は認められん」
パニックになった『猫』はシャー!フゥー!?と喚くものだが…
「だからっ!新しい騎士伯様には旦那様…ウィリアム様がなるのでしょう!!」
一応は『猫』ではない…『猫』が喚いても可愛いが、一応が喚いても火に油だ。
「まだ言うか!?このっ!!…!?」
辺境伯が剣に手を伸ばすが、剣は美少女が持ったままだ。
「処遇なんて旦那様がお決めになるわっ!!」
この状況下で、なんでそう思えるのか…残念な思考回路を持っているとは思ってはいたが、これ程までとは。
美少女がくるりと姿勢を正したまま一応に振り向いた、辺境伯の剣が陽を反射して光る。
「お前の言う”旦那様”とやらは、騎士伯にはなれぬ。この騎士伯の爵位は実力のある血縁者に継がれるのだからな。見たであろう、私に一気に間を詰められ、首を跳ね飛ばされかけた哀れな姿を。実力の欠片も感じられぬ。そして、あの男に騎士伯との血縁関係はない」
光る剣が銀の髪を照らし、銀髪が輝いてみえる。
辺境伯が光る剣を奪いに行くが、少女は渡す気はない様だ。すっと身体を半歩引いただけで、辺境伯の手をかわしてしまった。
「騎士伯領の…領主の”夫人”になるとお前は言ったな?」
剣舞を披露する様にひらひらと騎士伯の手をかわし続ける美少女。会話をする余裕すら感じさせる。
「それは無理だ」
「だって、そんな、旦那様が…騎士伯様の跡を継ぐと!…継ぐと言う事は”何らかの関わり”があるのでしょう!?」
憎々し気に一応を見ながら、剣の奪取を試みる辺境伯から最後の通告に似た言葉が言い渡される。
「そのお前の言う”旦那様”だが、前騎士伯とは”何らかの関わり”はあった。それは事実だ。しかし、血縁ではない。だから元々爵位を継ぐ権利は持っておらん」
「そんな…貴族じゃないなんて…騎士伯の爵位を継げないなんて…嘘よ!そんなの認めないわ!!」
剣舞に飽いたのか辺境伯の鞘に剣を収め、一応と私の前に立つ美少女。
「お前が認めようが認めまいが、それが真実だ。もう一つ真実を教えてやろう。あの男と前騎士伯の”何らかの”関係とやらだが…お前はどのような関係だと思っておったのだ?」
美少女が笑みを深めながら質問をした。
「…騎士伯様の養子になったのではないの?旦那様は五男だったと聞いたわ、だからきっと騎士伯様の養子になったのよ。だって、旦那様はとても優秀だってお母様もセバスも言っていたもの」
詐欺師疑惑が濃厚なセバスの言葉をまだ信じているのが不思議で仕方がない。
笑みが一瞬にして霧散し呆れた顔を隠そうともせず、少女が隣に立つ辺境伯へ質問をした。
「…優秀…だったのか?辺境伯」
「いえ、全く。辺境伯領一の腑抜けです。何処に出しても恥ずかしい腑抜けでしたので、”辺境伯領内で何とかしよう”と”外に出したら辺境伯領の恥”が、あやつに対しての親族一同の共通認識でした」
「…だ、そうだが。優秀との評価が付いたのだな、お前達の中では。傀儡にうってつけと言う意味での優秀か?あっさりと騙されておるからな、操りやすさの優秀だったのだろうよ」
それもそうだが、見栄えだ。4年前に死去した祖母が『金髪碧眼の王子様よ!ウィリアムって名前も高貴だわ!!』と日本語でよくつぶやいていたからな。セバスやマイヤーも首をかしげながらその独り言を流していたし、私は理解できたが分かっていないふりをしていた。日本語を理解できるなんて祖母にバレたら、どんな扱いをされていたか…想像するだけで恐ろしい。
「…酷い!何てことを言うの!!貴方の子供でしょう!」
辺境伯を睨みながら、またとんでもない人にふっかけに行ったもんだな。もう除籍されて息子扱いは無いのに。
ここで激昂再びか!?と思っていたが、辺境伯は淡々と自身の気持ちを吐露していく
「息子と思うておったよ、このバカ騒ぎが起こるまではな。騎士伯領で己が責務を全うし、討伐部隊を任されるまでになったと聞いて、前騎士伯には感謝してもしきれんと思ったよ。辺境伯領では領主の息子として、末子として甘やかしたのが悪かったのだと。…ところが、蓋を開けてみれば…」
どんどんと変わる顔色、鬼がここに赤鬼が現れた。
「…他所に女を囲い、子供を産ませ、褒賞金を着服し。与えられた討伐にも向かわず…仕舞には、グギギ」
こめかみの血管の怒張が半端ない。おっちゃんアカンで!血管切れるで!?
「前騎士伯の喪明けの式に、この様な暴挙をぉ~!!同じ空気を吸っている事すら許し難いわ!犬馬でも餌を与えられれば恩を感じるのに、畜生にも劣る!!…腑抜けどころかっゴブリン以下じゃ!!
情けない、やはり領外に出すのでは無かった、騎士伯に対して申し訳が立たん…」
こんな評価をされ、どんな表情をしているのかと自称を見れば…腹の辺りを押さえ「ぐぁ~…ぐぉ~」と呻いている…棒読みな所が反省していない様子を上手く表現。近くのオーディエンスから「お前反省してね~だろ!」と罵倒されている。首根っこをダグラス騎士様に引きずられて、一応の近くまで連行されてきた。
「本題から逸れたな。”何らかの”関係とやらだが、養子に近い物はあるな…一族として迎え入れるのだから」少女が顔を歪めながら、言葉を吐き捨てる。
「前騎士伯とこの男は婚姻関係にあったのだ、互いに不本意ながらな」
「…は?…え!?今なんて?」…やっぱり世間知らずの一応は知らなかった様だ。
前騎士伯様が女性であり、女領主としてこの騎士伯領を治めていた事を。
「前騎士伯であった母が爵位の存続をかけて、婿に取ったのだよ、この男をな。領地領民のためとは言え、こんな男をな!」
「こんな男とは!?なんだ!私は、お前の父お…」
「母上との婚儀の前に、女を囲い子供を産ませた貴様にはこんな男で十分だ!!
だから、分かったであろう?こんな男が、単なる婿入りの屑が騎士伯の爵位を継げるはずがない」
「そ…んな、婿入り…。爵位が…無理…?」
項垂れる一応に誰も一瞥すらしない、やっと理解できたのか?程度だ。
私は私で驚いている。先に囲ってたのか、一応を。次代を残すという責務を果たす前に妾囲ったら、子供作ったらそりゃアカンだろう。