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再審の男  作者: 藤澤トオル
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センキュー・ブラザー・センキュー・ファザー・センキュー・マザー

 朽ちるようにして消え去った触手から解放されるカリーナ。空中から落ちた彼女は崩れ落ち、全身を骨折した。ジョセフを止めることに力の大半を使い果たしてしまったカリーナの意識はおぼろげとなっていた。


 それでも彼女は立ち上がる。肋骨が肺に突き刺さり口から血反吐を吐こうとも、二本ある脚の骨の一本が砕けてもう一歩を貫こうとも、頭蓋骨が割れて脳機能に影響を及ぼしていようとも立ち上がる。


 踏みしめるように一歩前に進む。触手が伸び、カリーナの片足を切り飛ばす。膝をつくが、近くにあった金属パイプを杖代わりにして立ち上がる。

「……まだだ。まだ終わってない……!!」


 怪物はなにも言わずにカリーナの右目を貫く。紙一重で避けるも、まぶたを切られる。右側の視界が真っ赤に染まる。

「構うものか……あと一回。あと一回なんだ……!」


 左足を前に出す。地面から伸びてきた触手が掴んできた。

「このっ!」

鉄パイプを突き刺す。触手は足を離した。再び怪物に視線を戻す。

「……あ」

口を大きく開けた触手がカリーナを呑み込んだ。




 おかしい。痛みがない。呑み込まれた時の痛みはこんなものではなかった。もっと悲しく、苦々しく、嫌悪感があった。

「各員!速く彼女をつれて逃げろ!」

この声、聞き覚えがある。誰の声だっただろうか?


 ああくそ、聴覚も死んできた。誰の声だ?カリーナは目を少し開ける。

「……リーナ!!……カリ……!!」

別な女の声。これは、わかる。


「カリーナ!!!!」

カリーナの意識が戻ったとき、彼女は担架に乗せられていた。横ではジルが涙を流して並走している。

カリーナは震える手でジルの頬を撫でる。

「……へへ。久しぶり」

「今はそれどころじゃない!!速く逃げないと……!!」


 ジルが治療魔術をかけてくれていたのか、先程よりは体が軽い。カリーナは自身の右目を治しつつ言う。

「ああなってしまったのは私の責任。私が止めないと」

「カリーナ様、ご自愛ください。あなたに死なれては私どもも困りますので」


 担架を運んでいる男……リンボのボスだ。

「今はまず逃げることが先決です。ある方から聞きました。あなたの身体も大分限界が近いのでは?」

「……ええそうよ!クソ妹の彼氏に精神平衡を崩され、カルロスにその隙を突かれて錬成していたストックを奪われ、こっちに来てから得たものは全部ジョセフにぶつけたから私の魔力はすっからか……ちょっと待って。それ誰?」


 ボスは少し沈黙してから答える。

「あなたをお救いになり、現在足止めしている方です」

「止めなさい」

「出来ません」

「止めろリンボ!!!」

「出来ません!!!!」


 カリーナは少しだけ身体を起こして怪物の方を見る。


 遠目でもわかる。あの胸くそ悪いほど『流麗な』戦い方。戦闘理念の基本を抑えておきながらも芸術性のある美しい剣さばき。妹を護るために失った左腕に宿る、高潔な精神をたたえるアダムとイブラハ謹製の義手。佐伯の人体実験から得た技術を元にラルフとテレーゼが造り出した装備の数々。


 そして、その纏うコートの背に描かれた『シュタインベルク家』の紋章。かの者は……

「ラインハルト兄さん!!!!」



 ホルストの支援のもと、ラインハルトは触手を破壊していく。

「ラインハルトよ、カリーナが目覚めたようだ」

「承知しました父上。このまま押しきりますか?」

「……やめておけ。私とお前の目的はこれを倒すことではない」

「御意」


 ホルストの命令に従い、ラインハルトは足止めに徹する。ラインハルト一人でも問題なく倒すことが出来るが、ホルストの支援がより彼にゆとりを持たせ、住民への被害にも気を使う暇を与えている。


 突如民家から生えてきた触手が、とある母子を狙う。

「む。父上、少しお暇を」

「許す」

ラインハルトは瞬間移動しながら触手を七等分し、そのまま触手の根本を掴む。


 片眼を起動し、左腕と接続。

「安全装置限定解除。出力57%で使用。アセンションモード」

『承認。ブースター起動』

左腕がまばゆい光に包まれた瞬間、ラインハルトは触手を地面から引き抜いた。


 大地が引き裂かれ、触手の根本である怪物のいる海淵まで巨大な裂け目が出来た。僅かに覗かれた大地には、まるで毛細血管のように触手が張り巡らされていた。裂け目にはすぐに海水が流れ込むが、大地に波が打ち上げられる前にホルストが護り抜く。



 ラインハルトは片眼を解除。

『ブースター停止。アセンション再使用まで約100

秒』

「なるほど、これは『堕ちる』わけだな。どうします?まだお救いになられますか?」

ラインハルトはいつの間にか背後に立つホルストに尋ねる。


 ホルストは杖で軽く地面をつつきながら答える。

「私はもう当主ではない。ラインハルト、お前が決めなさい」

「……妻の生まれ故郷であるこの土地を見棄てるのは忍びない。かといってこのままにしておくのもあまり良くありませんね」


 ラインハルトはゆっくりカリーナのいる方を眺める。何となく殺意が伝わってきた。様々な感情がいっしょくたになって襲ってきた結果選んだ感情が『それ』なのだろう。


 ラインハルトは軽く鼻で笑い、結論をだす。

「この土地を『良く知る者』に委ねましょう。ただし除去はする。これでいかがですか?」

ホルストはゆっくり頷いた。


 ラインハルトはそれを見て踵を返す。

「私は除去の手伝いに参ります。父上を使い走りにするのは気が引けますが……よろしくお願いいたします」

「構わん。私は隠居の身だ」


 去ろうとしたホルストの背中にラインハルトが言う。

「父上!これは『私個人』のお願いなのですが……妹に伝言を」


 伝言を聞き終えたホルストはニヤリと笑う。

「当主失格だな」

「これは手厳しい。ですが申し上げたように、『私個人』ですので」

「わかっているさ」

ホルストはそう言い残すと杖で地面をトントンと叩き、その場から煙のように消えた。



 ホルストはカリーナ達が移動した臨時救護所に出現する。彼を見た入り口の衛兵がすぐにひざまずく。ホルスト手を軽く出し、ひざまずくのをやめさせる。

「娘はいるか?」

「はい。現在最優先で治療を進めていますが……正直な話、危険な状態です」


 ホルストは救護所に入り、一番奥に寝かされている。カリーナの元へ向かう。入ると辺りの者は皆ひざまずき、ホルストの前には自然と道が出来た。


 カリーナはゆっくりとベッドから起き上がる。

「お久しぶりですね、父上」

「無様な姿だな、我が愛娘」

「開口一番それってどうなの?」

「事実を述べたまで。調子はどうだ?」

カリーナは自身の右足を指さす。断面は苔むしたような痕があり、あの触手による侵食があることを示唆していた。


 ホルストはカリーナの腹を杖で突く。カリーナが吐き出すと、中から触手の欠片が出てきた。

「だからお前は弱いのだ。抗争の中で道化を演じ、曲芸をこなすのも構わん。世界の守護者として常に余裕を持つのも構わん。だがそれでこの始末か」

ホルストは紙を一枚取り出して何かを書き、投げ捨てながら出入口へと向き直す。


 カリーナは紙を掴み、その内容を読む。

「……これは……事実で……ありますか?」

「然り。さようなら、カリーナ」



 カリーナはベッドから飛び降り、土下座をする。

「もう一度……!!もう一度だけ、私に機会をお恵みください!!」

ホルストは向かぬまま尋ねる。

「その時間は十分にあった。だが活かせなかったのはお前自身にある。虫が良すぎないか?」

「わかっています!ですが……ですがお願いします!!」


 ボスがカリーナの持っていた紙を拾い上げる。

「……なるほど」

それはとある人間のカルテ。患者の名前は『アンジェリカ』。カリーナ達の母親である。ホルストが線を引いたり詳細を書いたりした部分によると、アンジェの状態は決して良いとは言えなかった。


 さらに見るべきはこのカルテの日付。3ヵ月前。カリーナが家族の内容に全く関心をもたず、自身の任務と欲求の赴くままに行動していた時期のものだ。つまり、カリーナの預かり知らぬところで彼女の愛する母親は危篤状態に陥っていたことになる。


 ラインハルトやホルストはあえて何も言わないが、これは唾棄するべき行為である。確かに彼らにとって任務は最重要項目の一つである。だがそれはアンジェに寄り添わない理由にはならない。



 カリーナとアリシア、アリスの喧嘩。あの事件はずっとアンジェの心に深い傷痕を残していた。ラインハルト達は見ていながら何もせず、自身に矛先が向かうのを避け続けていた。その事がアンジェを傷つけた。


 ホルストがアリシアとアリスを家から追い出したのにも深い意味はなく、『頭を冷やしてこい』くらいの意味合いだった。実際はそうならず、アリシアとアリスは偉大な父の言葉を真に受け、帰ってこなかった。その行き違いにアンジェは悲しんだ。


かといってホルストも言ってしまった以上後には引けず、高圧的な態度を取りつづけた。そこで家族は離れ離れになり、決定的に冷めた家庭となった。その結末にアンジェは心を痛めた。


 結果として、家族全員が寄ってたかってアンジェの心を壊してしまったのだ。全員が彼女のことを愛していたというのに。全員が幸せであろうとしていたのに。あの喧嘩が『引き金』となり、シュタインベルク家は壊れていったのだ。



 何がいけなかったか。気がついたのはラインハルトが自身の家庭を持った時。自分達の子供を仲裁した時にやっと気づいた過ち。そこで初めて彼は母の苦悩の意味と、それでも気丈に笑みを浮かべていた母の強さを知り、一回り老け込むほど泣き叫んだ。


 数カ月後、やっと自室から出てきたラインハルトは自らの行いを恥じ、家族に宣言した、『やり直そう』と。


 そこにカリーナとアリシアはいなかった。


 しかし彼らはどこかで繋がっており、カリーナもそれに同意した。今回破ったのはまさしく『それ』であった。歩み寄る決意をした家族を引き裂く行為をしたのだ。



 カリーナは再び地面に頭を叩きつける。

「お願いします!!母に……母さんに会わせて!!」

「駄目だ。お前は罪深い」

ジョセフに言った言葉が鏡の様に返ってきた。歯を食い縛り、再び頭を叩きつける。

「お願いします!!!」


 ホルストは一歩出口へと近づく。

「お願いします!!!!」

「カリーナよ、お前は自らの快楽を優先したのだ。その意味、わかるな?」

「力なら全てお返しします!この身も塵1つ残らず捧げましょう!」


 ホルストは再び一歩踏み出す。カリーナは叩きつける。

「お願いします!!!!!私に……母との再会の機会を!!!」

「罪状を述べよ」

「他者の命を弄びました!自らの使命を忘れ、快楽に溺れました!肉親の心を壊しました!血を分けた兄弟姉妹を貶めました!理を無視し、世界の破壊を助長しました!弱者に手を差し伸べませんでした!強者であることに固執しました!決して敗北してはならない悪に屈しました!守護者としてあるまじき行為をしました!」


 ホルストは救護所内にある灯りを見つめる。

「その行為の被害者のうち、どれほどの人間がお前と同じ願いを持ったか考えたことは?」

「ありません!私はあまりにも愚かで、外道な、最低最悪の人間でした!返す言葉もございません!」

「しかし、一人前に人並みの願いを叶えたいというのか」

「はい!」


 ホルストはカリーナに向き直る。

「人は皆罪人である。その罪は違いこそあれ、皆罪を背負ったことを恥じながら生きている。お前はどうだ?」

「無恥であり、無知でした!」


 ホルストは杖でカリーナの髪を持ち上げる。

「この髪は誰からだ?」

「母、アンジェリカの家系からです」

ホルストは杖でカリーナの足を軽く叩く。

「この健脚は誰からだ?」

「父、ホルストの家系からです」

杖で腕を軽く叩く。

「この剛腕は誰からだ?」

「父母の教育からです」

杖で背中を叩く。

「この肉体は誰からだ?」

「両家系の長きに渡る研鑽からです」


 ホルストは杖でカリーナの後頭部を軽く叩く。

「この力は誰からだ?」

「……」

「どうした、答えられぬのか」

「いえ。……己と、己を創りあげてきた全てです」


 ホルストはカリーナから杖をどける。

「汝は悪の権化だ。しかしてその心は善でもある」

「承知しております」

「汝の罪は決して償いきれるものではない。しかして償いの手段がないわけではない」

「心得ております」



 ホルストはカリーナの髪を掴みあげ、無理矢理視線を合わせる。

「自分を偽るな!!!!!!」

ホルストの一喝により、場の空気が静まり返った。

「俺が聞きたい言葉はそんなんじゃない。『自らの正しさを愚直に信じる』お前の言葉だ!『悪であっても、それがいつか善のためになると信じて疑わない』娘の言葉だ!」


 カリーナは眼に涙をためながらも、ホルストから視線を反らさない。ホルストはカリーナを突き飛ばしてベッドに叩きつける。

「……これが最後だ。カリーナ、お前が私にかける言葉はなんだ?」

カリーナは涙を拭い、深呼吸して答える。


「……お母さんに会わせて、『お父さん』」



 ホルストはカリーナに近づき、その頭を優しく撫でながら言う。

「シュタインベルク家当主……いや、お前の『兄』より伝言を授かっている」


「……『子ども達と遊んでほしい』」


 カリーナは頭を垂れ、静かに呟く。

「……不肖カリーナ・シュタインベルク。その命、謹んでお受けします」

ホルストはカリーナの肩に杖を当てる。

「これより汝を『守護者』として正式に承認する」

カリーナは目を閉じ、ゆっくりと頷いた。


 それを確認するとホルストはとある文言を唱えはじめる。その言葉はラテン語のようであり、ゲルマン語のようでもあり、アラビア語のようでもあり……あらゆる言語の面影を感じさせるものであった。


 おそらく言語学者ならそれを『原初の言葉』といい、神父なら『創世記に記された言語分裂前の言葉』と言うだろう。それもまた、正解であり不正解。


 唱え終えたホルストは踵を返し、救護所を出る。去る直前、彼は呟く。

「『祖父』として言う、孫はかわいいぞ」

「……御意」


 カリーナは立ち上がる。いつの間にか傷は全て塞がっており、精神に『淀み』はなく、瞳は輝き、纏っている礼服にはシュタインベルク家の紋章が刻まれていた。

「……カリーナ」


 そう呟いたジルの頭をカリーナは撫で回す。

「行ってきます、ジル」

「いってらっしゃい」

カリーナは救護所を飛び出していった。




 圧倒的戦闘力で怪物を封殺しているラインハルト。その動きに疲労は一切なく、ただ忠実に自身の仕事をこなしていっていた。

「戻ったぞ」

「感謝申し上げます」

「気にするな。一応報告しておく、『いい笑顔』をするようになった」


 ラインハルトは少し天を仰ぎ、幼い頃を思い出す。僅かな期間しかなかったが、確かに幸せだったあの頃。無垢な少女であった妹の笑顔は今も思い出せる。

「あの笑顔か……」

そう言いながらラインハルトは大地に根付く最後の大元の触手を破壊した。



 海上。最早ジョセフは怪物を動かすための装置でしかなかった。その口から吐き出される不浄な言葉は共感を拒み、理解に難く、吐き気を催させる。


 地球の中心から大地に触手を張り巡らせ、そこに住む人々の精神を操り弄んでいたクトゥルフ神話からかけ離れた『何か』は、この星を辱しめていた。


 怪物のせいでこの星は他の星から侵略者が招かれ、異界の標的となり、原初の悪がはびこってしまっていた。事実、カルロスが作成した立方体の真の使い道は、この怪物を甦らせることだった。


 この世界の終わりとは、この怪物に星を喰わせて成長させ、他の星も食らいつくし、空間すら呑み込み、宇宙という監獄から解き放つということ。


 シュタインベルク家に代々課せられていた『任務』とは、この怪物の討伐である。何百年もかけて準備をし、あらゆる手を尽くして怪物を屠る手段を構築してきた。佐伯を人体実験したのも、この任務をより速く進めることが出来るかもしれないという打算的なものであった。


 しかし人の身で星の中心にたどり着くことは不可能。そのためにあえて封印を破り、地上に呼び起こす必要があった。ゆえに事情を知らぬカルロスの一族を利用し、怪物討伐のための人材を造り上げ、彼らの装置を使って怪物を復活させる算段を立てていた。



 佐伯陽介とマリー・デュカスにより計画が頓挫し、紆余曲折を経る事にはなったが、結果として怪物は『愚者』を媒介として召喚された。


 決戦は、今。



 夜空に5つの流星が瞬いた。

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