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再審の男  作者: 藤澤トオル
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アフター・スクール・サービス・オーバータイム

 明日以降の授業予定も確認し終わり、学院内の散歩も済ませ、施設についてもおおむね理解した。佐伯が使うことになるのは本館と多目的ホール、運動場と食堂、そして職員室のある管理棟くらいだろう。授業に関しても、基本的に佐伯が内容を考える必要はどこにもなかった。


 結局、もう一人のお世話になる先生には会うことが出来なかった。2年の学年主任であるらしく、忙しいらしい。ロゼも担任なので、どこかへ行ってしまった。他の先生への挨拶は、職員室にいる人達にはもうしてしまった。


 そもそも、ここ『王立魔術学院』は教育現場であると共に研究施設でもある。非常勤講師や臨時講師も含めて、佐伯以外の先生は全員研究者としての側面も持つのだ。そのため、仕事がないときはみんな自分の研究室に籠ってしまう。


 職員室の他の人に話しかけようにも、あまり目立つ行動をするのは本来の業務に影響が出うる。それに、職員室にいる場合というのは大抵しっかり仕事をしている場合が高い。邪魔するのも、でしゃばるのも良くない。結果として、暇なのだ。



 佐伯は机の中にあった前任者が忘れていったらしい本を開く。文庫本より少し大きいサイズの本だった。タイトルは『ハウゼン村の戦乙女』。小説。既に読み終えたのか、しおりは一番後ろまで来ていた。ペラペラとめくる。状態は良好。楽しめそうだ。


 反対側の列にいた別な教師が言う。

「モーゼス先生も読まれるんですか、それ」

「いえ、机の中に入っていたんです。前の方が忘れたと思うんですけど……」

「あー、なら貰っちゃって大丈夫ですよ。読み終わってるんじゃないですか?」

「ええ、恐らく」


 それを聞き、教師は笑いながら言う。

「やっぱり!前そこに座っていた人、良く本を買う方だったんですが、読み終わるとポイッてしちゃうんです。人気の本とかも発売日に買うのに、翌日でも読み終わったら興味を無くして……おかげで助かってましたよ、私達がわざわざ高いお金を払って買う必要がないんですから」


 佐伯は一応尋ねる。

「あの……読まれますか?」

「いえいえ!同じ本を持っているから大丈夫ですよ。その……気が向いたらで構いませんが、読み終えたら感想を語りあいませんか?」

なるほど、それで聞いてきたのか。彼は悪そうな人間ではない。断る理由は見当たらなかった。

「ええ。是非ともお願いします」



 本を読み始める。内容は、幼い頃から騎士として育てられてきた女性が、戦争に駆り出されて最前線で戦うも敗走。その最中で流れ着いた村の青年と過ごし、自身の知らなかった世界を知っていく話。


 主に女性の一人称視点で繰り広げられる構成により、先の展開を主人公と共に予想していく形になるので、自然と話に引き込まれていく。それと同時に、読者として主人公の行く末が心配になり、時折彼女の親めいた感情を抱かせる。


 そして、徹底的に青年の心理描写をしない文章が、彼に読者として疑いの目を向けざるを得なくなり、その気持ちと相反するように彼が主人公の女性をどう思っているのか気になって仕方がなくなってしまう。


 最初は少し気になっていた独特の言い回しや特徴的な場面転換も、読み進めていくうちに気にならなくなるどころか、それ自体が舞台装置であることに途中で気づき、興奮を隠せない。


 話の基本である起承転結の『転』にさしかかった。ここで始めて得体の知れなかった青年の心情が吐露された。恋愛小説では王道とも言える、仲違いと突然のライバル登場。しかし、叙情的な描写により陳腐さは微塵も感じなかった。


 あぁ、このあと彼らはどうなってしまうのか。主人公の幸せを願う親のような気持ちでページをめくる。どうか、誰も傷つかないような結果で……



 学院内に本日の授業の終了を告げる鐘が鳴り響いた。佐伯の思考が一気に現実へと戻ってくる。

「……あれ?」

読み始める前には明るかった外も、今では日が傾き始めており、辺りは橙色に染まり上がっていた。先程話しかけてきた教師もいつの間にか姿を消しており、職員室の中に人はほとんどいなかった。


 佐伯は読んでいたページにしおりを挟み、本を閉じる。読み始める前は特に意識していなかった表紙も、今ではとても味わい深い。この表紙の絵にはしっかり意味があったのだ。しかしそれは、読み始めた者にしかわからない特権だろう。少し得意気になる。


 思えば、こんなに没入して本を読んだ経験が佐伯には数えるほどしかなかった。クラスにいた読書家の友人や、SNSで本の偉大さを説く人達が言っていたことは、こういうことだったのか。佐伯は自身の無知を恥じると共に、『高速学習』では学習出来ないことも多くあるというのをひしひしと実感した。


 本を机に仕舞い、帰宅の準備をする。続きはまた明日。

「失礼します。モーゼス先生はいらっしゃいますか?」

「あ、はい。なんでしょうか?」

呼んだのはフランシスカだった。

「あの……今日の授業について質問したいことがあって……お時間よろしいでしょうか?」

日課報告があるが、別に急ぐものでもない。それに、放課後にある生徒からの質問など、なんと学校らしいことだろうか。

「わかった。空いてる教室を確認するから少し待っててくれ」



 空室状況を確認して、教室の鍵を手に取り、フランシスカと向かう。途中、先に話しかけてきたのはフランシスカ。

「先生は新任とのことでしたが、どこの学院を卒業なされたのですか?」

佐伯は『モーゼス』の履歴を必死に思い出す。

「首都から東の方に進んだ、元々別な王国の首都だった所にある学院だな。場所が場所なんで、実践魔術の分野に関してはここ並に凄かった」

「なるほど……出身もその辺りで?」

「あぁそうだな。フランシスカは?」

「この辺りですが、学院の寮を使わせていただいています。親から、『色々な人と交流を持つように』と言われていますので」

「へぇ。いいご両親じゃないか、大切にしろよ」


 そんな会話をしているうちに到着した。鍵を開け、適当な席につく。

「さて、質問とのことだったが……発展の方かな?」

「はい。水の球体は作れるのですが、その後片手にするのが難しくて……」


 佐伯は片手で水の球体を作り出す。

「こんな感じに、片手で作り出してみろ。余裕があったら、それの位置を固定して手だけを動かせるようにする」

佐伯は作り出した球体の周りを、水晶玉を撫で回すようにして手を動かす。この動きにも意味がある。制御しながら片手を自在に動かせれば、もう片方の手を動かす余裕も出てくる。その為の第一歩だ。


 フランシスカは言われた通りに片手で作り出す。かかった時間は両手の時の倍以上。

「よし、そのままゆっくり手を動かすんだ。大丈夫、俺がアシストする」

手を動かし始めたその時、フランシスカが制御に失敗し、球体が弾ける。

「きゃっ!」


 思わず目を閉じたフランシスカだったが、水は一滴もかからなかった。佐伯が全て庇ったのだ。

「……とまぁ、失敗するとこんな感じになるから、自室とか先生のいない所で練習するのはやめましょうね」

「ご、ごめんなさい!!」

「大丈夫大丈夫。……んじゃあ追加課題だ。俺の服を乾かすにはどうしたらいい?」


 フランシスカは少し考えたあとに答える。

「天日干し?」

「こら魔術学院生、魔術を使って考えなさい」

再び考える。今度はかなり悩んでいたようなので、ヒントを与える。

「どうして天日干しすると服が乾くんだ?」

「……太陽と風ですかね。……あっ!『火炎』と『風』!」

概ね正解だ。


 このような問題を出したのも課題に繋げるためである。同時に二種類の魔術をこなすことが出来るようにさせるため、二つの属性を混合させるところから始めさせる。

「左手で火炎を、右手で風の魔術を使うんだ。それを合わせて、俺に撃つ」


 フランシスカは言われた通りにこなす。暖かな風が佐伯へとやってきた。予想通り威力は皆無のため、熱波というよりも夏に吹く熱を含んだ風に近い。完全乾燥には至らなかったが、それでもびしょ濡れよりはマシになった。

「……ど、どうでしょうか?」

「んー……合格!!とりあえず、今日はこんな所かな?今日やったこと、思い出せるか?」

「片手で水の球体を作り出し、それを動かす。魔術を手で別々に使う、ですね?」

「そう。よし、帰るか!」


 その後フランシスカと佐伯は校門まで世間話をしながら移動し、フランシスカは寮へ、佐伯は行政区画へと向かった。



 係長は佐伯から今日1日の報告を受けた。茶をすする。

「……で、どうだった?」

「そうですね……教師の仕事はやはり慣れそうにありません」

「違う、講師リーゼロッテについてだ。『麗しき闘神ロゼ』、『美と武の探求者ロゼ』についての報告が足りない」


 佐伯は首をかしげる。確かにロゼは美しい女性だったが、それだけでそんな二つ名がつくのか?というか、なぜ係長が聞いてくるのだろうか?フェイとサレンダーを見る。フェイは呆れており、サレンダーは興味津々だった。


 佐伯はなんとなく察し、報告をする。

「異名通り、とても麗しい方でした。とある魔術を教えたところ、これまた流麗な動きで私よりも美しくい物を作り上げていました」

「おぉ!!」

「言った通りじゃないっすか!おいニンジャ!今度俺にリーゼロッテさん紹介しろよ」

「ズルいぞサレンダー!ニンジャ、係長命令だ、私に紹介しなさい」

「二人とも何か色々忘れてません?」


 フェイの一喝でサレンダーは慌てて座り直し、係長は咳をして、茶を一口。

「……標的と接触出来たのか?」

「それが…………今日の授業は2年生だけでした」

全員が昭和のコントめいてずっこける。佐伯が真剣な顔をして、もったいぶったせいだ。


 机から這い上がりながらサレンダーが叫ぶ。

「おいニンジャァァ!……可愛い子はいたか?」

「ロリコンは黙ってろ!」

「フランシスカという2年のAクラスの女生徒とは比較的話すことが多かったです」

「お前も答えるなニンジャ!!」



 係長が片手を上げる。その表情から全員がただならぬ雰囲気を感じとり、押し黙る。

「……フランシスカと言ったな?学年は2で間違いないな?」

佐伯は頷く。

「ファミリーネームは?」

「伺っていません」

係長は手を組んで口元をかくしながら聞く。

「髪と瞳の色は?」

「髪が群青色で、瞳は暗い緑です」


 それを聞いた係長は背もたれに寄りかかりながら目頭を押さえる。心配になった佐伯はサレンダーとフェイを見る。二人ともため息をついて俯いていた。前のめりになった係長は睨み付けるようにして佐伯に言う。

「彼女の本名は『フランシスカ・ノーザンイースト』。八選帝侯が一家、『ノーザンイースト家』の娘だ」



 この時の佐伯は良く知らぬが、今更ながら帝国と八選帝侯について説明せねばならない。古来、現帝国の領土内には複数の王国があった。きっかけは不明だが、統一を目指して国同士の争いが断続的に続いた。長き闘争の末、中央にあった国がすべての国を支配下に置き、平和な時代が幕を開けた。帝国の始まりである。


 しかし、徹底抗戦を訴えた国は非常に少なかったため、ほとんどの国王は健在だった。そのため、彼ら自身にその意思はなかったが、周りの者達が結集して反乱を企てる可能性は多いにありえた。そこで当時の皇帝は帝国の領土を九等分し、帝国の元となった国を中心にして、周囲八ヵ所を残っていた国王にそれぞれ委任統治させたのだ。これが八選帝侯の始まりである。


 やがて反乱を企てるような過激派は別な国に亡命し、国王達も統治に疲れ、各領土の内政を皇帝に委任するようになった。その際、各国王はそれぞれの王国を象徴していた名字を捨て、方角に応じた新たな名字が与えられた。かといって委任統治の権限が無くなったわけではなく、飾りとはいえその効力は今も続いている。


 あまりにも元の形態から変わってしまった彼らを皇帝は『八選帝侯』と名付け、ここに皇帝を中心とした中央集権体制が確立された。


 その複雑な成り立ちからか、国内では『王立』と『帝立』が混在し、皇帝を『皇帝陛下』と呼ぶ者もいれば『王』と呼ぶ者もいる。『王立魔術学院』は帝国が出来る前から存在する由緒正しき学院であることがわかるだろう。


 ちなみに、八選帝侯は皇帝を中心として八方に等分して広がっているため、地域による発展差はあれど、位置関係による序列差は存在しない。



 佐伯はそんなノーザンイースト家が元王族であるという事実を知らぬまま係長の話を聞き続ける。

「面倒くさいことになったぞ……モーゼスは東方の学院出身ということになっているから、もしかしたらバレるかもしれん」

「フランシスカ……様はどうやら学院の寮を利用なされているらしいので、その心配はないかと」

「馬鹿野郎!もしやテメェは長期休暇でも親元へ帰らねぇ親不孝者か!ぶっ殺してやろうか?あぁ!?」


 後ろから聞こえてきたサレンダーの怒号を流しつつ係長が言う。

「サレンダーの心配もそうだが、魔術の地域差は少なからずある。ニンジャ、間違っても偏りを見せるなよ」

「心配ありません、そんなものありませんから」

「よろしい。最後に一つ。……この事は聞かなかったことにするんだ」


 佐伯は思わず聞き返す。

「どうしてですか?」

「だって……気にするだろ?お前」

フェイが捕捉する。

「ノーザンイースト家は、まぁ良くも悪くも庶民派な一族でね、あんまり八選帝侯の一人として扱われるのを好まないの。恐らく名字を明かさなかったのもそれだし、寮に入ってるのも同じ理由だと思うわ」

「なるほど……了解しました。報告に関して、他に何か質問などはありますか?」



 サレンダーが手を上げながら言う。

「結局よォ、フランシスカちゃんは可愛いかったのか?」

答えたのは佐伯ではなく係長。

「私は幼かった頃の彼女を見たことがあるが、いやはや母親そっくりの美少女だった。あれは確か式典の時だから……10年前だな。彼女が7歳の時か。緊張して縮こまっていた彼女に紙で鳥を作ってあげたのをよく覚えているよ。笑った顔がとても可愛いかったなぁ」


 フェイは茶を吹き出し、サレンダーは机を叩いて乗り出す。

「はぁ!?係長バリバリ関わり持ってんじゃないっすか!」

「あぁ。だからもしや、と思って聞いたんだ」

「呆れた……係長もロリコンだったんですね」

「違う!少女であろうと女性に変わりはないだろ!私は紳士たろうとして」

「言い訳は結構です。幻滅しました、係長」

「フェイすまなかった。すまないから幻滅しないでくれ」


 佐伯は踵を返す。

「どうやら質問はなさそうですね、では私はこれで失礼しま」

肩を掴まれた。サレンダーだ。

「一応言っておくが、フランシスカ様は本家と同じ名字を持つ分家だ。本家に比べりゃ下の方だが、継承権は確かに持っている」

「何が言いたいんです?」

「手を出すなって言ってんだよ!」


 佐伯は軽蔑の眼差しをサレンダーに向けた。

「……たとえ私が応援を頼んでも、あなたにだけは絶対に頼みません」

「違う!そういう意味で言ったんじゃない!ただの冗談だ!勘違いするなニンジャ!俺は別にロリコンじゃ」

佐伯は汚らわしいものを振り払うようにサレンダーの肩をどかし、何も言わずに部屋を出た。

「ニンジャァァァァァァ!!!!!」




 夜、学院内の寮にて。

 フランシスカはベッドの上で水の球体を作り出す。溢しても問題ないように下にはしっかり桶を置いてある。球体を見つめながら、フランシスカは呟いた。

「……モーゼス先生」

彼の顔が頭から離れない。最初見た時は特に何もなかったのに、彼から発展の内容を教わった辺りから急に離れなくなった。


 独特の訛りを持つ喋り。優しくも力強い目。大きくはないのに、フランシスカを包み込むような手。大人だというのに、どこかあどけなさを感じずにはいられない笑顔。その全てが今でも鮮明に思い出せる。結局、その後あった授業も、半分聞いていないような状態だったので注意された。昼食の時は友人から熱でもあるのかと心配された。


 放課後、満を持してモーゼスの所へ向かうも、何を言っていいかわからず、授業の質問をしたいと適当な言い訳をしてしまった。それでもモーゼスは快諾し、フランシスカのあるはずもない質問に対して真摯に向き合い、あまつさえ新しい知識を与えてくれた。……フランシスカが自分のミスでびしょ濡れになるのを庇いながら。


 明日彼の授業はないが、学院内にいればすれ違うことがあるかもしれない。その時、顔をしっかり合わせて挨拶することが出来るだろうか?うつむきながらかもしれないし、何も言わず小走りで駆け抜けてしまうかもしれない。


 あぁ、私はどうなってしまったのだろうか。なんだか何をしていても胸の辺りがモヤモヤし、モーゼスの事を思い出してしまう。こんな気持ち、産まれてはじめての経験でどうしたらいいかわからない。友人が言う『恋』とも似ているが多分違うだろう。だって、モーゼスはフランシスカの抱く男性の理想像とは大きくかけ離れているのだから。


 フランシスカは水を再び空気中に戻し、桶をどかして布団を被る。こんな時は考えても無駄だ、寝るに限る。

「灯り消して大丈夫ー?」

ルームメイトの声に、フランシスカは手だけを出して答える。サムズアップ。


 普段とは違うフランシスカをからかおうとも考えたが、自分も眠かったルームメイトは普通に灯りを落とした。




 月が綺麗だった。

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