メモリー・フォー・ビーイング・ワン
『私』と『彼女』は、あの日一緒に産まれた。一緒に育ち、一緒に遊び、一緒に成長した。私と彼女の遊び場は、いつも決まっていた。時々兄さんと父さんが探しに来るけど見つからない、二人だけの秘密の遊び場。
ある日、姉さんが暴力をふるってきた。どうやら私達が『怖かった』らしい。どうして。私達は何も悪くないのに。どうして痛い思いをしないといけないの?兄さん達は助けてくれない。それどころか
「これくらいでへこたれるな」
というような蔑みの目を向けてきた。
私と彼女は、そこで始めて喧嘩をした。姉に屈することを選んだ私と、抗うことを選んだ彼女。膝を抱えて泣きじゃくる私に失望の眼差しを向けながら、彼女は『アリシア』になった。
アリシアは姉さんを傷つけた。兄さん達はそれを笑って眺め、母さんは姉さんと私の両方を叱った。
「力を持つなら、それは正しいことに使いなさい」
って。父さんは、私に一言だけ言った。
「二人になるまで戻ってくるな」
私は家を追い出された。
私は泣き止まず、再び立ち止まってしまった。アリシアは違った。左目からもたらされる『記憶』を頼りに、生活する術を手に入れていった。時に身体を売り、時に犯罪に手を染め、時に魔術師達のモルモットになった。
そんな生活をしていく中で、私達に元々あった二つのスキルが異常な成長をしてしまった。大人の筋力を越えるようなことがたまに起き、魔術による治療が本来の効果を発揮しなくなってしまった。どうして。私達が何をしたっていうの?生きるために必死にもがいてるのに、どうして大人達は気味悪がるの?
疲れてしまった私は、眠りについた。
それからしばらくして、アリシアは同僚から冒険者になることを勧められた。体のいい厄介払いであったが、アリシアにとっては初めて赤の他人から受けた優しさだった。彼女はすぐさま仕事を辞め、冒険者になった。そのまま同じ様な者達とパーティーを組んで、冒険に赴いた。
それが不味かった。身の丈に合わない仕事を受けたパーティーはすぐに壊滅。生き残りはアリシア一人になった。魔物の群れに取り残されたアリシアに何も出来るはずがなかった。理性のある魔物は、周到かつ執拗にアリシアを痛め付けた。肉体的にも、精神的にも。
彼女の悲鳴で、私は起きた。実に滑稽だった。あんなにも私に失望の眼差しを向けていた彼女が、今度は『向けられる側』なのだ。同じ様にしてやってもよかったが私は下品な女ではない。優しく彼女を眠らせ、私は『アリス』になった。
初めての起床は最悪の一人に尽きる。身体中に違和感が付きまとい、思ったような動きが出来ない。しかも頭が割れるように痛む。しかし私は冷静に左目を『起動』し、その場をしのいだ。脱臼した足を無理矢理治し、魔物達を残らず殺した。満足した私は再び彼女を起こし、アリシアに任せた。
あぁ、本当に残念だ。身に覚えのない殺戮をし、絶望と恐怖にうちひしがれるアリシアが見れないのが本当に残念だ。そのことに関して『アリス』は特別に許してやろう。私にも非がないと言えば嘘になるのだから。
憎たらしいアリシア。あの野郎立ち直りやがった。大人しく引きこもってれば苦しむ必要はないのに、どうしてまだ抗う?マゾヒストなのか?それとも、あえて不幸に身を置くことで日常に幸福を見いだそうとしているのか?わからない。アリシア、私に教えてくれ。どうして『苦しむ』?
「そろそろよろしくて?」
真っ暗な空間。二人の『遊び場』。昔は色々あったのだが、長年に渡って二人の精神が互いを削りあった結果、黒に塗りつぶされてしまった。あるのは互いが座る椅子くらいである。
拘束具を付けられ、左目が眼帯で覆われ、椅子にくくりつけられているアリシアが言葉を続ける。
「こんなことをして何の意味がある?第三者に私達の経歴でも知ってほしいのかしら?ここには誰もいないのに」
椅子に足を組んで座り、分厚い本を眺めているアリスが答える。
「私が楽しいから。あなたの不幸を見て、私は楽しむの」
アリシアは悪魔のような笑顔を浮かべる。
「確かに『他人の不幸は蜜の味』って言う。でもねアリス、自分の不幸は何よりの『苦味』よ?」
「おあいにくさま、私は苦いものも嫌いじゃないわ」
「本当に?」
アリスはアリシアを睨み付けてから、視線を本に戻す。
冒険者に慣れてきた頃、初めて人を殺した。同じ人に該当させるのも本来は不本意だが、まぁ人を殺した。その時パーティーを組んでいた者達と列車に乗っていたところ、猟奇殺人犯に襲われた。これまたアリシア以外は惨たらしい最期を迎えた。もしかしてアリシアは疫病神なのか?……失礼、言い過ぎた。恐らく本人も気にしているから、開拓者になった時は大分面倒くさい奴になっていたのを思い出した。
とにかく、猟奇殺人犯の仕業により仲間が全滅し、アリシアは暴力に屈しかけた。私は再び目を覚まし、交代を持ちかけたが彼女は断り、手を伸ばした。私は割れんばかりの拍手を送ってやった。アリシアの『成長』に拍手をした。嬉しかったから?違う、彼女の『悲しき覚悟』に感動したからだ。
自ら苦しみの道を進んでいたアリシアが
「苦しみたくない」
と懇願し、目先の苦しみを『取り除いた』。怖かったでしょう?辛かったでしょう?でも、アリシアはその苦しみから逃れるため、自ら『苦しんだ』。だから私は感動した。苦しみから逃れるために苦しむ。涙なしにはみられなかった。笑い泣きなのは言うまでもない。
そのあともしばらく私はアリシアを観察していた。死の恐怖に怯え、眠れない日々が続いていた。たまにこちらに戻っては、私に助けを求めたりもした。私?勿論突き放した。だって、その道を選んだのは、他でもない『彼女』なのだから。私が助けては、アリシアの覚悟が無駄になるからね。
精神が衰弱し、私達の遊び場に影響が出始めた頃、アリシアは吹っ切れた。死の恐怖に飲まれるのではなく、死の恐怖を『忘れない』選択をした。あえて忘れないことで、より死から遠ざかる。それでいい。死を恐れない者は、姉だけでいい。私達は、ただの人間なのだから。
それでも流石にアリシアは仲間を失うことを恐れ、開拓者となった。一期一会、帰還率ごく僅か。たとえ仲間が死んでも、誰も彼女を攻めない仕事。天職とも言える。まぁ、死の危機に瀕した時はごく稀にアリシアは眠り、私が起きていたのだが。
そうそう、左目の使用による弊害だが、あれは全て私のせいだ。私と彼女、同じ肉体である以上は背に腹はかえられない。アリシアが出し惜しむような状況でも私はどんどん使った。流石にその事はアリシアも覚えているようで、度々喧嘩になった。うるさい。死んだら終わりなんだ。生きてさえいれば次がある。他人の記憶と混ざるのが怖い?散々他人の記憶を利用してきたアリシアが言っていいセリフじゃないだろ。口を慎め。
運命の出会い。佐伯陽介との出会い。アリシアの人生唯一の救いにして、唯一の過ち。あれさえなければアリシアは早々に壊れ、『楽』になっていたのに。なまじ救いを得てしまったからこそ、余計に苦しみを味わうことになるのに。
シェリーという獣人の娘。始まりの娘。佐伯が壊れはじめ、アリシアが過去をさらけだす原因となった娘。別に彼女を否定しているわけではない。彼女がいなければ佐伯の覚悟は決まらず、アリシアは佐伯を信じきれなかっただろう。その点で言えば、シェリーには感謝せねばならない。まぁ、私が感謝する道理はないのだが。
ジヤヴォール……に関してはノーコメントとさせていただく。正確には、ジヤヴォールの先にいる『何か』のことだが。佐伯も含めた私達や父さん、それどころか恐らく神様ですら『あれ』の全貌を把握していない。私が勝手に憶測で話していい代物ではない。
それでもあえて言うならば……あれは『こっちの世界』にいてはならない。最初に連れ込んだミーシャ達の先祖には悪いが、本当に彼らは馬鹿な事をした。佐伯も佐伯だ。あそこで大人しく心を折り、アリシアの意識が落ちれば『私』が出てきてやったのに、佐伯は奴から腕を奪った。
こうして彼の身体は『別な何か』に蝕まれていった。アリシアはどこまで知っていたのだろうか。本人は言いたがらないが、多分最初から全部知っていたはずだ。出会ってからたった数ヶ月しか経過していなかったとはいえ、アリシアの愛は本物だ。私が言うんだから間違いない。
リカルド・ファルキ。人類の希望。最終到達点。輝かしすぎる男。彼を讃える言葉は尽きない。だが彼を称する言葉にはこんなものもある。……『致命的な欠点を持つ男』。
その言葉の通り、佐伯と仲違いしたアリシアは彼に捕まり、なぶられ、苦痛を味わ
「やめろ」
アリスは本にしおりを挟みながらアリシアを見る。
「どうして?これからがいいところじゃない」
「わかっているの?あなたも苦し」
「私はヨースケに特別な感情を抱いていない。苦しむのはあなただけ」
アリスは思いきってあることを聞くことにした。
「ねぇアリシア、どうしてヨースケなの?そんなにかっこよくないし、変だし、別世界の住人だし。あんな馬鹿のどこが好きになったの?」
「……性格」
「はぁ?アイツはクズ!記憶を失っているとはいえ、結構年の離れた女に手を出すようなクズよ?」
アリシアはそれを聞き、自慢気に答える。
「でも、結局マリーちゃんもそんなヨースケに惹かれた。そうでしょ?あなたが愛したマリーちゃんもヨースケの方を向いた」
アリスは途端に不機嫌になった。アリスのマリーに対する愛は佐伯とアリシアのものとは少し違う。だが紛れもなく愛であった。
貧乏揺すりをするアリスを尻目に、アリシアは目に涙を貯めつつ笑いながら呟く。
「実はちょっと安心してるんだ。もし私とヨースケがこのまま元に戻らなくても、ヨースケは一人じゃない。アイツ、愛想はいいけど踏み込めない性格だからさ……本当、一歩踏み出せるマリーちゃんはお似合いだ」
アリスはアリシアの首を掴みあげる。
「……痛いんですけど」
「アリシア、お前言っていいことと悪いことがある」
アリシアは察したが、あえて煽る。
「もしかして、マリーちゃんのこと?ヨースケにとられて悲しいのね。かーわいいなぁアリスちゃん」
アリスはアリシアの頬を叩く。アリシアは血の絡まった唾を吐き捨てながら続ける。
「ねぇ教えてアリス!あなたは何が気にくわなかったの?私のこと?ヨースケのこと?それとも、自分自身のこと?」
「ヨースケのせいでどれだけの人間が死んだ!!マリーが冒険者の初仕事で死にかけた理由も、元を正せばヨースケだ!アイツがリカルドを殴り飛ばし、北欧の技術が入ってきたせいでみんな開拓者になった!冒険者は減り、下の人間が割を食った結果があれだ!!ヨースケといればマリーは幸せになれる?違うね!アイツは自分の罪を清算しているに過ぎない!!」
アリシアは目を見開き叫ぶように反論する。
「私達は正しいことをしてきた!ヨースケも私も、未来の為に戦った!たとえ今が絶望でも、未来に繋がると信じて開拓してきたんだ!!『後に続く者達へと捧げる道標』、それが開拓者だ!!」
「今を切り捨ててどうする!未来は今が無数に連なって産まれるんだ、足元を掬われるぞ!!現にお前は盛大に転んだじゃないか、えぇ!?」
「じゃあお前は今だけ見て一生引きこもってろ!!今を頑張ってい!ば未来は安泰?嘘だね!自分たちの負債を未来に残すな!!」
「じゃあ今は誰が救ってくれるんだ!!お前か?父さんか?姉さんか?リカルドか?ヨースケか?ほら、今すぐ人類の腹を満たせ!出来ないのか!?『後に続く者』を救えよ開拓者!!」
アリシアの左拳がアリスの頬を捉えた。完全に不意討ちを食らったアリスは放心状態になったが、すぐさま意識を取り戻した。
「アリシアァァァ…………!!!」
アリシアの拘束は、すでにほぼ外れかかっていた。椅子からもう立ち上がっている。
「こうなるのは何度目だっけ?アリス」
アリシアは眼帯をつけたままながら戦闘体勢に移る。
「あなたが数えておきなさいよ」
アリスもまた、同じ様に戦闘体勢に移った。
二人の戦闘体勢は同じ様であるが、微妙に違う。より定まっているのはアリス。洗練されているのはアリシアだ。
「これで最期にしましょう」
「本当にそう思うわ」
「「……失せろ!!!」」
二人の拳がぶつかり合った。黒い空間に、亀裂が走った。
その現象は、端から見れば不可思議極まりないものであっただろう。一度拳を振るうと、二ヵ所に被害が出るのだから。しかも、どちらか一方の被害は永続的に残り続ける。その女から発せられる言葉も、二つ聞こえる。口の動きは一つなのに、音は二つ。
ジネットはその現象を描写し続けたが、女は彼女を見つけた。アリシア、アリス、どちらかではなく、どちらも見つけた。すでに限界を迎えている肉体の内部で繰り広げられる互いを殺しあう戦いは急速に肉体の力を奪っていく。一人なら問題ないのに、二人だとすぐに尽きる。
一人前なのに、半人前にしかならない。だから、私は彼女が嫌いなんだ。




