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再審の男  作者: 藤澤トオル
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真夏の夜の現実

 戦争終結から一年後。消えることのない大きな傷痕は全く薄まっていなかったが、世界は復興への歩みを始めていた。



 これは、そんな世界に生きる二人の取るに足らないお話。





 モナコ。地中海性気候に分類されるこの場所は年間の気温差が少ないうえ、晴天の日が多いため観光地として名を馳せている。疲弊した世界でも…いや、そういう世界だからこそ観光客は集まっている。

「サエキさーん!こっちですよ!はやくはやく!」

「はしゃぎすぎだ。もう少し落ち着け」

この二人、マリー・デュカスと佐伯陽介も例に漏れず保養目的でやってきた。


 現在、二人は冒険者を休業している。佐伯を失ったマリーは、気持ちを誤魔化すように1年間ひたすら冒険者として働きあらゆる技術を身につけたが、その働きぶりが冒険者管理局の目に留まり、調査が行われた。結果、『過労』と診断されしばらくの休養を言い渡された。


 戦争の結果肉体のほとんどが崩壊しかけた佐伯は、半年かけて不完全に繋ぎ合わされた肉体を結合し直し、さらに半年かけて人並みに動けるレベルまで治療した。それでも剣を振ったり苛烈な戦闘を行ったりするのは不可能であり、そうするには身体に黒い霧を循環させねばならず、その状態で戦闘したならば繋がりかけた肉体が綻び、今度こそ完全な『死』を迎える恐れがあった。


 そうした理由と、モナコという保養地への憧れから彼らはやってきたのだ。ややラフな服装に身を包み、しばらく見せることのなかった笑顔を浮かべながら浜辺を歩いている。ただ、いくら保養目的とはいえ完全に無防備になるのは不安なのか、最低限の装備は身につけていた。具体的には、マリーのモノクルと佐伯の拳銃である。


 海は二人にとって珍しいものではなかったが、青く輝く海は別である。

「すごいですね!こういう景色、始めてみました!」

「…俺も始めてだ。感動ものだよ」

「次はあっち行ってみましょう!海沿いなので、景観もいいと思いますし!」

その後、二人は様々な有名観光地を巡ったり、ショッピングを楽しんだりして過ごした。


 そんな中、佐伯はある物が目につく。なんということもない、ただのブレスレットだった。ワンサイズで、数回巻き付けて使う、フックがないタイプである。転生前の世界にも同じようなものはあったが、こちらにある物の方が出来がいい。

「お気に召されましたか?」

不意に店員から話しかけられた。意図せずして真剣に眺めていたのだろう。

「えぇ、まあ。あまりにも素晴らしいので、つい」

「ありがとうございます。よろしければ、試着なさってみますか?」

「いいんですか?お願いします」

使い方は知っていたので手際良く着ける。やはりというか、特にこれといった特徴はない。ワンポイントアクセサリーなので、そこまで親和性に影響を及ぼすものでもない。外して返す。

「どうでしょうか?記念品としてだけでなく、プレゼント用に買われる方も多いんですよ。サプライズのような」


 思えば、マリーにちゃんと謝っていなかった。気絶中に付きっきりで看病してくれたにもかかわらず、自分は一方的に別れを告げて出ていき、それから1年以上音信不通状態であった。それなのに、再開した時にその事に関して何も言わずに受け入れてくれた。そのうえ、こうして共に保養にも付き合ってくれている。佐伯としては感謝であることこのうえない。

「自分用に1つと、プレゼント用に1つください。ひとつはこの黒いやつで、もう1つは…」

マリーの色は…

「この、『エメラルド』でしたっけ?緑色と白のを」

「はい、かしこまりました」

丁寧に包装された2つのブレスレットを持ち、上手く隠して店を後にしてマリーと合流した。彼女は既に外に出ていた。

「どうしました?何か気になるものでもありましたか?」

「まあ、あるにはあったよ。やっぱり観光地は全然違うな」


とても平和な1日だった。



 夜。夕食を済ませ、佐伯は風呂に入っている。魔術のおかげで衛生状態の保持の重要性は周知の事実となっているので、中世的性質を持っているこの世界にもそういった施設は充実していた。それに、湯を沸かすという行為も魔術経由の科学の発展によりそれなりに容易な技術である。


 シャワーを止め、佐伯は自分の左腕を見る。外に出る時は布なり手袋なりで出来るだけ隠している左腕は、あの時から変わらず漆黒に覆われ青い紋様を浮かばせていた。もう元に戻ることはないのだろう…いや、元々自分の左腕ではなかった。咄嗟にあの悪魔が捨て去ったものを拾ってくっつけただけであった。あの時の判断を後悔はしていないが、他に方法があったのではないかと考えてしまう。


 風呂を出て、鏡で自らの瞳を見る。右目は青黒く変色したままだ。しかも自制しなければ視界は歪み、『どこかの誰か』の影が移りこんでしまう。恐らくだが、彼らは『別世界の住人』なのだろう。空を歩いている者がいるのも、裏付けとなる。時に彼らは幸せそうに談笑していた、自らが苦痛にさらされている時でも。

「…くそくらえ」



 ベッドではマリーが寝ていた。滅多にない体験をしてはしゃぎすぎ、疲れ果てたに違いない。起こすのも悪いと考え、佐伯はそっと布団をかけてその場を離れる。日課の作業が終わっていないからだ。


 ホテルのプライベートビーチ、そこへ続く階段に座り月を眺める。月の光が青と黒の混ざった、佐伯の右目の様な海を照らしていた。佐伯は深呼吸する。潮の香りが鼻を抜ける。ここならば比較的大丈夫であろう。

「あと…86だっけ。まあいい、やるしかねぇ」

自らが糧とした者達の記憶を呼び起こす。





 産まれてから、死ぬまでの経験や感情が圧縮されて佐伯を襲う。今回の相手は旧支配者の奉仕種族であった。とある世界で悪逆の限りを尽くしたような拷問と実験を行い、何人も発狂させては廃棄していた。ある日、奉仕対象の旧支配者を操る魔王『キングジョー』の管理下に置かれ、それまで以上に様々なことを行った。


 運命の時。魔王の命に従い空から侵略を始めた。脆弱な人間達を必要以上にいたぶりながら殺していた。突然、後ろに衝撃が走る。恐る恐る見ると黒い剣が刺さっていた。痛い。痛い。痛い。産まれて始めてのその感情に悶え苦しんでいると、目の前に黒い『何か』が現れた。バラバラに解体され、何かはそれらを喰らい始めた。返して。返して。大地へと墜ちてゆく。助けて。死にたくない。いやだ、いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!!!!






 …あぁ、そうか。あなたは



 佐伯に意識が戻る。すぐに辺りを見回し、手足の有無を確認する。月は変わらず照らし続けていた。手足はしっかり動いた。時刻を確認する。どうやら、それほど時間は経過していないようだった。場合によっては一週間以上かかることも考えれば、かなりいい結果だろう。浜辺を抜ける潮風が佐伯に滴る汗を乾かしていく。

「…削除だな」

記憶の精査は肉体の修繕と並行して一年間続けていたが未だ終わっていなかった。


 精査せずに大量の記憶を蓄積したので、それぞれの記憶が混じりあってしまい正確な記憶が呼び戻されず、それを整理するのにも時間を大きく割いていたせいである。しかも、整理するために全ての記憶を呼び起こす必要があった。つまり、同じ記憶を2度見なければならなかった。もっと言えば、佐伯が読み取った人間の倍の数『死ぬことになった』。そのことは、より佐伯の精神を蝕んでいった。いつ崩れてもおかしくないような精神状態を今も過ごしている。気持ちを紛らわすようにビーチを眺める。



 突然後ろから抱きつかれた。抵抗しようとも思ったが、不思議と安らぎを覚えたので止めた。それに、後手でも排除は可能である。続いて相手を確認する。背中の接触状況と顔の横に垂れてきた髪の質感から女性であると推察出来た。佐伯は尋ねる。

「…誰だ?」

女性はそっと耳元で囁く。

「…わたし」




 二人は、唇を重ね合わせた。









 翌朝。佐伯は目を覚ます。昨夜の記憶が曖昧であった。ただ、横にマリーが寝ているのでちゃんと部屋に戻ってこれたのは確かだ。とりあえず、それだけわかっているならば今は他はどうでもよかった。


 二人は朝食を済ませ、ホテルを出る。

「楽しかったですね!」

「あぁ」

「また来ましょうね!」

「そうだな。でも…」

「でも?」

「…もっと色んな所に行って、比べてみたいな」

「…そうですね!!!私もついていきます!!!」

「ハハハ、そりゃ楽しめそうだ」


 佐伯は大事な事を思い出す。

「そうだマリー、渡したいものがあるんだ」

「あ!私もです!」

なんとなく嫌な予感が頭をよぎる。しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。先手を打つ。ブレスレットの小包を出す。

「これなんだが…どうだろう」

マリーはやや驚いた顔をして尋ねる。

「これは…エメラルド?緑色ですけど、どうしてですか?」

佐伯は目を指しながら答える。

「ほらだって…緑色じゃん?それが好きなんだよ、俺は。ちなみに、俺はこれにした」

佐伯は右腕に着けたブレスレットを掲げる。


 顔を赤らめたマリーはうつむきながら小包を出してくる。中身を確認する。ネックレスであった。

「…『治癒促進』の魔術が込めてあります。…佐伯さんが、速く治りますようにって」

なるほど、昨日寝ていたのは『そっちの』披露であったのか。佐伯はどうも気恥ずかしくなるが、出来るだけ平静を装いつつ受け取る。

「ありがとう、マリー」

「約束ですよ!?今度からはちゃんと連絡してください!本当に…本当に、本当に心配だったんですよ!」

「本当に申し訳ない。大丈夫だよ、多分な」

「もう!そういうところです!」

「ハハハ、すまんすまん」

「…フフ。じゃあ帰りましょうか!」

 



 観光地でのささやかな出来事を終え、二人は日常へと戻っていった。

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