きみとぼく
最前線までの移動中、仮面の女性に尋ねる。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。俺は『ヨースケ・サエキ』だ」
「…『アリス』」
「よろしく、アリス。アリスも一人で来たのか?」
「いや、元々数人グループで動いていたけど…私が単独で突っ走ったから、放逐された」
多分、その突っ走った理由は佐伯の救助だろう。申し訳ない気持ちになり、何も返答出来なかった。
そうしていると、逆にアリスが尋ねる。
「…ヨースケにはいるの?パーティーメンバー」
「いたんだが…俺のわがままに巻き込みたくないから、寝ている隙に置いてきちまった。マリー…アイツには悪いことしたと思ってるよ」
「…好きなの?その人」
「あぁ。だから連れてこなかった。そういうアリスにはいるのか?好きな人」
「…いる。だけど、顔も名前も思いだせないの」
アリスの悲しそうな表情は、仮面越しでも理解できた。
「見つかるといいな」
「ええ」
そんな二人のやり取りを、リカルドは心配そうに見つめていた。
「隊長は知り合いなのですか?二人とも」
「あぁ。だが……いや、本人達がああやっているなら俺が話すべきではない。1つだけ言えることは…俺は、あいつらには申し訳ないことをしてしまった」
リカルドの心中を察し、タチアナはそれ以上聞かなかった。
最前線付近。降りやまぬ砲撃と魔術の轟音は耳がおかしくなりそうな程に響き渡り、遠距離で声のみの連絡はかなり難しい。多種多様な血の色に染まった塹壕で、四人は合流する。指揮はリカルド。
「とりあえず、今日はあの…なんだ?」
「『シアエガ』と『クトゥグア』だ」
「そいつらのどちらかだけでも叩きのめす。俺が知ってるステータスは『ルールブック』のだが…佐伯が言うには違うんだろ?」
「あぁ。あの姿から判断するに、恐らくネトゲであったイベントのレイドボスだ。俺は探索者だったから封印の儀式までの時間稼ぎという体で戦っていた。結局失敗しちまったけど。そのイベントは…悲惨だったよ。特にシアエガだ。攻撃が即死ではなかったにしろ、ほとんどが拘束状態にさせるもので防御力特化型のキャラは手も足もでずに」
「そういうの、いいから」
アリスが話を遮る。ゲームのことを思い出してしまい、つい熱くなってしまったことを反省する。
深呼吸して、結論だけを言う。
「オススメは、シアエガを先に倒すことだ。今言ったように、拘束攻撃が厄介だ。クトゥグアとの戦闘中に拘束されでもしたら…あぁ!恐ろしい!」
「弱点はないんですか?」
「あの目玉だと思うだろ?違うからな。洞窟と暗黒の神らしいから…強いて上げるなら、太陽か?」
「…ヨースケ、空見てから言って」
天では太陽が辺り一面を照らしていた。日射しを浴びているシアエガとクトゥグアはそれに動じることなく遅い来る連合軍を千切っては投げ、千切っては投げていた。
佐伯は軽く青ざめながら言う。
「特殊な防御はなかったと思うから、殴ってりゃ退散させられる」
「佐伯は退散の呪文とか持ってのか?」
「あったら使ってるだろ…。完全版の魔導書がそんじょそこらで手にはいると思」
「話をまとめましょう。『カウンターが百発百中ならば実質無敵』と?」
「……それで問題ない。あとは…クトゥグアに気をつけよう!」
「「「当たり前だ」」」
シアエガは、敵味方関係なく自らの触手攻撃の範囲内に入ったモノを叩きつぶしたり握りつぶしたりしていた。その結果、辺り一面は血に染まっていた。そして、範囲内の生体反応が消えればその巨体を身じろぎして新たな獲物を求めて動きだすのだ。シアエガが求めるのは今の世界への復讐と、自らの完全復活。今行っているのは、前者である。
だが、そんな神話の再現を行う神に立ちはだかる者がいる!
「待てぃ!」
その男の名はリカルド!シアエガが復讐せんとする世界の護り手だ!
「貴様に恨みはないが…これも仕事だ。サラリーマンとして、仕事はこなさせてもらおう。勿論、残業はなしでな!」
リカルドはTRPGでのRPを再現する。彼は『ルーニー』気質であった。その場が盛り上がることを信条にして、ロールプレイをしていた。だが決して迷惑をかけなかったので、その卓はいつも和気藹々としていた。
そんなルーニー・リカルドにシアエガは照準を合わせる。周りに他の敵はいなかったし丁度良かったのだ。触手をリカルドに向けて突き刺してゆく!リカルドはそれを難なく回避!だが、すぐに第2第3の触手がリカルドに迫る!そう、これは訓練でもリハーサルでもゲームでもない、ましてやターン制の戦いでもないのだ!
しかしそれはリカルドも承知のこと。触手同士をぶつけ合わせて絡ませつつ、根元にアサルトライフルの1マガジンを全て撃ち込む!触手が数本千切れたシアエガはやや後ろに後退するが、その直後シアエガは動きのほとんどを封じられる。タチアナの『鎖』魔術!あらかじめ地面に仕掛けられていたのだ!
「リカルド、注意してください。まだ全力ではないはずです」
「わかっている!」
迫り来る触手を華麗に避けつつ、切り落としていくリカルド。
一瞬、隙が生まれた。それを見逃すほどリカルドは甘くない。赤い閃光がシアエガに迫る!しかし、それは罠であった。リカルドのナイフが抉らんとする時、上空から砲撃の雨が降り注ぐ!シアエガの圧倒的耐久力を信頼しているからこそ、出来る技だ!
「しまっ」
死を覚悟したリカルドであったが、黒い霧が彼を覆い、完全に防いだ。シアエガをも守ってしまっているが、ひとまず危機は去った。佐伯の方を振り向くと、完全に黒い霧と化した左腕をリカルド達の上に伸ばしながら、右手で血を拭いていた。彼に長く無理をさせてはいけない。リカルドはすぐにシアエガから離れる。
リカルドはすぐにアリスにバトンタッチ。神速の攻守後退にシアエガは反応出来ず、さらにチョップで触手を切り落とされていく!
「アリス!鎖はもうもたない!気をつけて!」
「了解」
切断されてもなお再結合せんとする触手を、アリスは完全に破壊していく。彼女はリカルドほど戦闘力は高くないので、ひたすら攻撃力を減らすことに集中していた。それは功を奏し、『鎖』が切れた頃にはシアエガが伸ばせる触手は数が限られていた。
アリスは踵を返し、悠然と歩く。その背中に迫る触手!だがアリスはそれを見越したように回し蹴りで地面に叩きつけ、チョップで切断。再び歩きだし、リカルドとバトンタッチ。リカルドは槍を投擲。シアエガの緑色の目の中心に命中!悶え苦しむ!
「今だ!!」
リカルドの掛け声に呼応し、佐伯が自らの左腕を切断する。切り落とされた黒腕はたちまち『何か』に姿を変え、シアエガへ突進する。辛うじて槍を抜き取り、視覚を再確保したシアエガが最後に見た光景は……。
肉片一つ残らずシアエガの痕跡全てを抹消した『何か』は、再び佐伯の左腕に戻った。崩壊寸前の肉体を無理矢理動かし、佐伯が腕をつけ直す。佐伯の肉体の綻びが戻りはじめる。一瞬、佐伯の片目がシアエガと同じ色になったように見えた。
三人は膝をついて吐血する佐伯の元に合流。その血の色は人間のものではなく、かといって魔王軍のものではなかった。…灰色であった。
「…いつからだ?その色」
思わず尋ねたリカルドに答える。
「…初めてだよ。多分、一瞬とはいえ『ジヤヴォール』を切り離したせいだ。肉体が『死ね』ってよ。大丈夫だ、繋げればそのうち元に戻る」
剣を杖代わりにして佐伯は立ち上がる。しかし、よろめいてしまう。アリスは咄嗟に肩を貸す。
「無理はしないで。私が助けた命が無駄になるのは忍びない」
「問題ない。…リカルド、ポシェットから注射器だして俺の静脈に」
リカルドは言われた通りに、『芥子』を打ち込む。
深呼吸したあと、目に生気が戻った。
「…ありがとう。次はクトゥグアか?」
「…あぁ。お前以外でやる」
リカルドは佐伯の顔面を殴り、気絶させる。そして、アリスに渡す。
「…馬鹿が。薬物投与してまで継戦する必要はねぇんだよ。アリス、こいつを頼む。出来れば…終わったら戻ってきてほしい」
「了解。私のパーティーも連れてこよう」
アリスは佐伯を背負って走り出した。
リカルドはタチアナを向く。
「さて、俺達であの炎の化身がどうなるとも思えない。もっと言えば、俺の力も火よりだ」
「それでも、隊長は向かうのでしょう?」
「当然だ。俺はサラリーマンだからな」
二人は燃え盛る炎の領域へと歩みを進めた。
本陣への移動中、佐伯はアリスの背中で目を覚ます。頬が痛い。だが、それに気をとられている場合ではなかった。佐伯は慣れた手つきでアリスの首を絞めて疾走を止める。
「下ろせ。無事だ」
「…駄目。あなた自身は気づいてないかもしれないけど、あなたは生きていること自体奇跡なのよ。…頭はほぼ真っ二つにされているのに、なぜ生きているの?」
「無理矢理繋げているだけさ。そのうち治す。だから、速くこの戦争を終わらせないと」
「…嘘。どうせ、終わったら治療せずにどこかへ行くのでしょう?」
佐伯は緩めつつ、その場に立つ。
「…帰らなきゃいけないんだよ、マリーの所に。治療なんてしたら、一生かかっても病院から出られなくなる」
アリスは仮面を外し、佐伯に被せる。一瞬の出来事だったため、彼女の顔は見えなかった。
「それはあなたの力の制御装置になりうるわ。戦いたいなら…使いなさい」
そういい残した直後、アリスの気配は跡形もなく消えた。佐伯は仮面を外し、叩き割る。
「…慈悲なんていらないんだよ」
顔面を死体の血で塗り、それを黒い霧で固めて自らを偽った。
オーガスト・ダーレスの産み出した、這い寄る混沌と敵対する焔の旧支配者は、シアエガと違い明確な意志を見せずにただ世界を燃やし尽くしていた。リカルドとタチアナは近づくこともままならなかった。
「流石に…俺達だけでは無理か!」
「ですが退くわけには…!後ろ!」
リカルドは『第4の扉』を開いて完全防御。彼を除いて周囲が消し炭と化した。
「…やれやれ、俺も漫画なり小説なりの主人公を馬鹿に出来んな」
『第3の扉』を開いてクトゥグアの胴体と身体を分離させる。死なないが、頭を残して胴体は姿を消した。
「さて、俺は今3つ開いているんだが…。タチアナ、後は任せるぞ」
タチアナはリカルドが次に何をするのか理解し、頷いた。
リカルドはクトゥグアの頭部を素手で掴み、空中に投げる。そして、指同士を擦り合わせる。快音が周囲に響き渡る。直後、クトゥグアは謎の白い光に飲まれ姿を消した。また、リカルドの目から赤い閃光は消え去り、その場に仰向けになって倒れていた。タチアナはすぐにかけより、担いで撤退する。
「…俺、また何かやっちゃいました?」
「面白くないですよ、それ。第一、疲れはてているじゃないですか」
「…確かに」
帰還中、一迅の風が通りすぎた気がしたが今の彼らにはどうでもいいことであった。
魔王軍本陣の二大邪神討伐は、すぐさま各地に通達され連合軍全体の士気を大いに上げた。諦めムードが広がっていた各場所に活気が戻り、次第に勢いを取り戻していく。魔王軍壊滅は時間の問題であった。
関係ない。真の目的は殺すこと。世界征服などついででしかない。自らの過去に至らんとする者を殺せるならば、何万何億何兆の者達が死に絶え、苦しもうと知ったことではない。過去の因縁とは恐ろしいものだ。ましてや、心機一転した者にとってはこの上なく危険な代物だ。探ろうとすることすら許されることではない。
魔王は頬杖をつきながら、指をパチンと鳴らす。コールタールの様に黒い不定形の生物が人の形になり、膝をつく。
「お呼びでしょうか」
なにも言わず、魔王は手振りだけをした。それを生物は理解し、再び不定形になり消え去った。
「…俺のレン高原は、まだだ」
連合軍本陣。アリスは自らのやって来たパーティーに合流する。
「報告します。『ヨースケ・サエキ』に予定通り仮面を渡しました」
老人はアリスの報告を聞き、静かに頷くと片腕の男に目配せした。片腕の男はテーブルに紙を広げ、そこに佐伯の現在の状態を映し出す。
「どうやら、仮面は破壊されたようだな」
「あら残念。どのくらい効果があるのか試せたのに」
頬に傷のある女性の顔はどこか嬉しそうであった。
片足の不自由な男が指を指す。
「だが、収穫はあった。あれから大分成長しているようだ」
「そうね。でも、なぜ身体強化しないのかしら?今の彼ならこんなに憔悴する必要はないはずだけど」
そう言う女性は、全ての指に糸と繋がった指輪をつけていた。片腕の男が答える。
「私の研究結果から予測するに、戦場という不確定要素の塊で使いたくないのだろう。回避先に爆弾があったら…わかるだろう?」
「確かにね。どうする?助太刀する?」
「観察対象への過剰な接触は危険だ。アリスの接触も、かなりリスクがあったんだぞ?」
しばしの沈黙。老人が話を纏める。
「私達はここで引き続き観察を継続。異論はないな?」
全員が頷いた。
「よろしい。…アリス、『アリシア』に戻ってもいいぞ」
アリスは左目を押さえ、しばらく俯いてから答える。
「…『それはヨースケのためにならない』と言っています」
「ならいい」
ホルスト・シュタインベルクは杖をつきながら外に出てパイプを吸う。遥か彼方の魔王城へと疾走する青い閃光は彼の脳裏を大いに魅力した。
魔王城前。佐伯は目を血走らせ、全身から血を垂れ流しつつ、自らに制限時間を設けてここまでやってきた。今や肉体の維持には必須となっている黒い霧。それを燃料にして身体を限界まで動かしている。『高速学習』出来なくとも死体を喰らえば補給出来ることはわかっているので、途中ほとんどの死体を喰らい尽くした。それでも、戦闘可能時間はせいぜいあと1時間もないであろう。
城壁は8度の正拳突きで壊した。自らの拳も砕けたが、無理矢理繋ぎ合わせた。その途中で全身を串刺しにされたが、逆に喰らい尽くしてやった。残るは、扉のみ。
「材質…どうでもいいか?とにかく、速く倒さないと…フンッ!!!」
しかし正拳突きは空を裂いただけであった。独りでに扉が消えたのである。声が辺り一面に響く。本陣を越え、遥か西の魔術協会にも聴こえる程であった。それは音ではなく、脳に直接響くようだった。
「門は開けた。何人来ようとも構わん。玉座で待つ」
佐伯はその声など意に介さず、魔王城に侵入する。
中は豪華絢爛な装飾が施されているが、佐伯の感性には合わなかった。なので、トラップを警戒して片っ端から装飾品を破壊していく。
「おいおいおい、折角歓迎の意を示したのに…傷つくなぁ」
また声。どうでもいい。構造的には上に居そうだったが、下から攻められては逃げ場を失う。佐伯は地面に拳を当て、黒い霧を纏わせる。
「出てこい!!!」
漆黒の左腕で地面を殴る。その振動は魔王城だけでなく、周囲の地面すら揺らした。そして、城の全体にヒビが入り、柱は砕け…魔王城は崩落していく。
崩れゆく魔王城で地下へと落下していく佐伯。瓦礫を引き寄せ、移動して、蹴って、再び引き寄せ、埋もれるのを防いでいった。そんな中、他とは明らかに違う服装の者が瓦礫から身を守りつつ浮遊しているのを見つける。
「殺す!!!!!」
佐伯がその言葉を叫んだ時、既にその者の頭と胴体は完全に離れていた。そしてすぐに上へと逃れようとするが、その者は頭のない胴体で佐伯の左足首を掴み、道連れにしようとする。
「…クソ!!!」
佐伯はその者の頭を回収しながら掴む腕を切断。わずかに瓦礫に埋もれてしまうが、道連れよりはマシというものだ。剣に生首を刺しながら上へ移動し…
崩落は止まった。魔王城は外郭と骨組みの一部を残し、完全に崩れ去った。埋もれた佐伯は瓦礫の隙間で空気を確保しつつ、時間切れの前に脱出せねばならない。助けの望みは薄い。
「ゴホッ!ゴホッゴホッ…酸素が少なくなってきたな…」
僅かに見えた光。そこに向かってチョップ一閃。さらに凪ぎ払い。
外の光だ。数十分間の出来事とはいえ、その光は佐伯に安らぎをもたらした。
這い出し、一呼吸ついたあと剣を見る。瓦礫との摩擦で無惨な姿になった、どこかで見たことある様な顔が刺さっていた。すぐに誰かの心当たりがついた。
「正常な狂信者『キングジョー』…そういや、魔王プレイしてたな」
今にして思えば、魔王城のデザインもキングジョーがリーダーを務めていたグループの拠点と類似している。彼は姿形を変え、まだゲームを続けていたのだ。
キングジョーは、ネットゲーム『SoC』…『サーガオブクトゥルフ』というゲームの世界ランキング上位者であった。このゲームは最初に『探索者』陣営か『狂信者』陣営を選び、それぞれの陣営にある目的をこなしていくというゲームだ。シーズン毎に目的と世界が変わるが、基本的には狂信者の起こすアクションを探索者が事前に封殺、もしくは起きてしまった事象を阻止するというものである。
行動範囲はかなり広大で、単純にフィールドを歩き回っているだけでも楽しいものであった。また、非常に作り込まれたグラフィックと世界観、ホラーとアクションの融合作品ということで、クトゥルフを良く知らない一般層にも一定の評価が得られていた。
キングジョーは、『狂信者』陣営の代表格である。彼は狂信者陣営の中で『旧支配者』を特に信仰している者であった。圧倒的な強さとリアル知識を用いて数々の邪神の復活を成功に導いた。その力は、並の探索者は正体にたどり着く事すら許されず、熟練探索者でも立ち向かおうとしたときには『見えない剃刀の様な物』で無惨な姿へと変えられるか、『四肢がひどく萎縮した』状態、もしくは『完全に狂ってしまった』状態にさせられてしまうのだった。。彼が本格的に参加したイベントは『クソイベ』と言われるほどであった。
だが、ある日を境にキングジョーのログインは途絶えた。界隈では「SAN値が0になった」「元々SAN値ない奴だろ」「キングジョーならアザトース様の横で歌ってるよ」「PCがファンブっただけでしょ」などと騒がれた。結局、原因不明のままであったが…
「…本当に狂信者になってたとはな」
佐伯は剣から頭を引き抜き、近くの瓦礫に置く。その横に佐伯は座る。
「…キングジョー、あんたはやりすぎたんだ。ゲームも、戦いも」
そこでタイムリミットを迎えた。
今まで負っていた傷の痛み、それを無理矢理繋げた痛み、その状態で身体を動かした痛みが一斉に逆流してくる。全身を細切れにされ、麻酔なしで接続されてそのまま全力で動かされ、再びバラバラにされ、繋げられ…なんとも形容しがたい、激痛と言うにはあまりにも足らなすぎるものだ。
通常状態ならば痛みに没入しないように気を散らすのだが、今回は違った。気を散らした先には、他者の記憶から流れ込んでくる『死の苦しみ』が襲ってくる。それは余計に痛みを加速させ、さらに恐怖すら与える。かといって自らの意識に集中しようものなら、死者の怨念と、今まさに自らを完全に破壊している痛みに押し潰される。
痛みから逃げることは出来ず、叫ぶことも出来ず、動くことも出来ず、脳が裂かれる痛みのせいで思考すらままならない。焦点が定まらないどころか、ちゃんと見えているのかすら危うい。麻薬の副作用も現れ、幻覚に全身の傷口に手を突っ込まれて虫を徘徊させる感覚を覚える。それを振り払おうする意志を見せた瞬間、脳が焼ききれ思考は奪われ…再び激痛で目覚める。死の恐怖と激痛が混じるせいで発狂し、そのまま死に絶えそうになるが、それすら痛みが呼び起こしてくる。
かれこれ、数時間経過しただろうか。佐伯の意識が戻る。痛みが長く続きすぎたせいで、もう何も起きてないはずなのに痛みを感じる。動けない。動こうとする度に痛みが走り、自らの思考を奪い去っていく。視覚はあてにならず、聴覚を失い、触覚は効かず、味覚を奪われ、嗅覚は消えた。やがて、全てを時の流れに委ねることにした。
数時間後。連合軍は魔王軍本陣の完全沈黙を公式発表。史上最大の作戦は現在確認できる人類の約10%を奪い、勝利したのであった。この防衛戦で失ったモノは大きく、得たものは何一つなかった。無駄ではないにしろ、残ったのは虚無感と疲労感だけであった。
特に、本陣での戦いは凄惨だったらしく、生存者にはPTSDを発症するものが多数、負傷者もあるはずのない痛みに怯える生活となり発狂するものばかりだ。また、各地に出現した謎の怪物は、見たもの全てに生理的嫌悪感や絶望感をもたらしたらしく、そちらでの被害も大きかった。しかも、突如として安全地域にも現れたため覚悟を持たない一般人にも発狂者が多く見られた。人的被害は10%でも、社会復帰可能な者は僅かで、大半は廃人同様の扱いを受けることになった。
英雄リカルド・ファルキ、及び彼の指揮部隊は今作戦の目覚ましい功績を残したとされ、世界から称賛の嵐を受けた。重傷者の治療費もすぐに集まり、彼女は戦争終了後すぐに復帰した。しかし、リカルド自身は此度の作戦を以て一線を退くことを表明。新人の育成を専門にしていくとのこと。
アリス含める新大陸開拓者達は治療を済ませたあと、今回の被害を取り戻すために早々に再び開拓へと向かった。それからまもなくして様々な新食物等が発見され、既存大陸の一部地域にあった食料問題が解決へと向かった。
戦争終結の立役者の名前はどこにも現れなかった。だが、一部の者達は知っている。自らの全てを犠牲にし、時には仲間の死体すら糧とし、誰よりも最前線で戦った、悪魔の様な闘争を繰り広げた男がいたことを…。
一年後、とある街。男は突然降りだした雨を避けるように喫茶店に駆け込む。幸い金は有り余っていたのでコーヒーと適当なケーキを頼む。窓際、端の席に座り外の景色を眺める。降り注ぐ雨が透明であることに疑問を持つ自分に嫌気がさしながら、ケーキを一口。その甘さが彼を安心させた。そして、コーヒーを一口。その苦さが彼を現実に引き戻させた。
感傷に浸りながら雨を眺めていると、後ろからトレーを持った女性が声をかけてきた。
「お隣、よろしいですか?」
男は手振りで自らの意思を示す。女性は隣に座ったあと、ミルクティーに口をつけてから男に話しかける。
「突然降りだしましたね」
「ええ」
「濡れませんでしたか?」
「はい。大丈夫でした」
「ここにはよくいらっしゃるんですか?」
「いえ。お恥ずかしながら、雨宿りついでに入店して…」
「フフフ、私もです」
そんな他愛ない話を繰り返していた。顔を見合わせなかったが、二人の会話は弾み、心も身体も暖まっていく感覚があった。
「…あ。雨止みましたね」
「そうですね。…では私はこれで失礼します。とても楽しい時間を過ごさせていただき、ありがとうございました。そういえば、お名前を伺って…い…ま…」
男は女性の方を振り向く。
女性は抱きつきながら男の頬に優しくキスをする。そして、涙を目に溜め、無邪気な笑顔で言う。
「おかえりなさい、サエキさん」
「ただいま、マリー」




