プロローグ
私の名前は佐伯陽介、20歳男性。誕生日は8月6日で、血液型はA型。趣味はゲーム。得意科目は現代社会。付き合っている相手はいない。
そして現在…ある女の飼い犬と化している。
それは今から数週間前のことだ。
夜8時半、陽介は居酒屋でバイトをしていた。金曜日ということもあり店内は多くの客で賑わっている。
「お待たせしました、生ビールのお客様は?」
「おーい!こっちの注文まだかー!」
「佐伯!それ終わったらそちらのお客様の注文頼む!」
「はい、わかりました!」
陽介は与えられた仕事をこなしていく、基本的には接客とレジ打ちであるが別に嫌いではない。いつも通りの事だった。あの時までは。
ガシャン!と大きな音が店内に響き渡り、それまであったあらゆる声が一瞬にして消える。代わりに50代後半と思われる男の怒声が響いた。
「おい!なにしてんだ姉ちゃん!あんたが引っ張ったせいで頼んだもんが台無しじゃねぇか!」
「申し訳ありません!今すぐ片付けますので!」
どうやらトラブルの様だ。先輩が酔っぱらい客に絡まれ、食器を割ってしまったらしい。周囲の客は先輩が片付け始めるのを伺うと再び自分たちの会話へと戻っていく。
だが酔っぱらいの男はそうはいかない。
「ハァ、これだから若いもんは駄目なんだよ。ホラ、もっと誠意を見せてくれないと、ねぇ?」
そう言いながら男は先輩の身体を撫でまわす。明らかなセクハラ行為だ。
「やめてください!」
思わず先輩が男の手を払い飛ばす。その衝撃でテーブルの上にあったジョッキが倒れ、中に入っていた飲み物が男にかかる。
「あー!あー!あー!大変だなぁ!クリーニング代払ってもらわないとなぁ!」
男はわざとらしく大声をあげる。先輩は怯えてうつむいたまま固まってしまった。
「おい、あれはマズイだろ…」
同僚の男が陽介に耳打ちしてくる。
「だよな。どうするか…」
「おい佐伯、トラブル処理頼めるか?お前が1番先輩と仲いいだろ?しかも1番若いから俺らより身のこなしはいいほうだろ?」
「いや、店長を探してきたほうが…」
「足止めだよ、あのままだと先輩の心が折れちまう。お前が足止めしてる間に店長呼んでくる」
彼の言うことは概ね正しい。陽介は意を決して塵取りなどを持ち酔っぱらい客の所へいく。
まだ男の罵声は続いていた。その男が1人で来ていたのは幸か不幸かはわからなかったが、陽介はとりあえず先輩に話しかける。
「先輩、塵取り持ってきました。トラブルは私が対応しますので」
涙目になっていた先輩はこちらを見て僅かに頷き、塵取りを受け取って片付けを始める。
男の標的が陽介に変わった。
「なんだ?お前は。お前みたいな若造は呼んでねぇ!店長呼んでこいよ!店員の態度がなっていないって意見いってやる!」
「申し訳ありません。ただいま店長を呼んでおりますので、もう少々お待ち下さい」
陽介は怒りを抑えながらも粛々と頭を下げながら謝罪する。それを見て、男の態度が変わる。
「オイオイ、俺は別に謝ってもらってほしくてこんなことしてんじゃねぇよ。どう責任を取るのか聞きたいんだよ、このスーツ高いんだよねぇ。20万はするかなぁ?」
男はおちょくった態度でこちらに話しかけてくる、それも興味が一切沸かない自慢を含んで。陽介は聞き流しながら頭を下げ続ける。
「オイガキ!聞いてんのか!」
男がテーブルを叩いた音を聞き、陽介は顔をあげる。
「歳上の意見はしっかり聞かなきゃダメだよなぁ?」
男は立ち上がり、テーブルの上にあった日本酒を陽介の頭にかける。その光景により、再び店内は静まり返る。
陽介は今にも殴りかかりそうな気持ちを抑え、煽りを含めて答える。
「こちらのお酒も追加でご注文なさいますか?料金はお手元のメニューをご確認ください」
男は怒りで顔を歪ませる。
「舐めた口聞いてんじゃねぇぞクソガキが!」
男が殴りかかってくる。相手が酔っぱらっているせいもあり、回避は容易だった。男は勢い余って別な客のテーブルに突っ込む。少し調子に乗った陽介は再び煽る。
「お帰りのようでしたら、レジはあちらです」
「コイツ…死ね!」
男はテーブルの上にあったハサミを握りしめながらこちらに突っ込んでくる。
今度も回避は容易のはずであった。だが、先程かけられた酒が地面に溜まっており、足を取られ滑る。
気づいた時には既に遅く、心臓の真横をハサミが貫いていた。大動脈が切断されたと思われ、鮮血が傷口から溢れだす。陽介は急速に意識が薄れていく。その場に倒れこみながら上を仰ぎ見ると、天井から黒い巨大な手らしきものがこちらに向かってくるのが見えた。
それを最後に、陽介の意識は完全に消えた。
「お客さーん、終電逃しますよー?いや、ここ終点か。アハハハハハハハハハ!」
見知らぬ男性の声で陽介は目を醒ます。目の前には駅員らしき服装をした中肉中背の男が立っていて、陽介は待合室らしき場所の椅子に座っていた。
陽介はすぐに自分の状態と周囲を確認する。服装は店で働いていた時の服装そのままである。ハサミが刺さったと思われる場所には丁度の大きさの穴が空いており、周りは赤く染まっている。不思議と痛みはない。
次に周囲である。寂れた駅舎の様な場所で、時刻は夜と思われ、遠くにはまだ明かりのついている高層ビル群が見える。駅名には『三 川前』とかかれている。
一通り状況を確認し終えたタイミングで駅名らしき男が話しかけてくる。
「色々聞きたいことがあるのはわかる。だが時間が無くてね、3つまで受け付けよう。あ、ちなみに俺の名前は聞くなよ。面白くないから」
陽介は少し考えたあとに質問する。
「決まったぞ。1つ目は『俺は死んだのか』。2つ目は『あの黒い手はなんだ』。3つ目は『俺は何をすればいい』」
男はニヤニヤと笑いを浮かべながら答える。
「よしよし順番に答えようじゃないか。1つ目、『その通り。確かに君はあのハサミのせいで死んだ』。2つ目、『俺の手だ』。3つ目、『選択してほしい。再審を望むか、天運に任せるか』」
陽介は再び考える。なんとなく察したが駅舎名から判断するにここは俗に言う『三途の川の前』なのだろう。男は多分『死神』だ。陽介はそういったものは信じるタイプの人間ではないが、目の前に起こっている超常的な現象を目の当たりにしている以上、そう考えざるを得ない。
「さて、次は俺が話すぜ。佐伯陽介、君の3つ目の質問に関連するんだが、選んでほしい。このまま死を迎えて判決をあのジジ…神に任せるか、別な世界でもう一度死ぬまで生き、再審を望むか。まあぶっちゃけた話、君の善行と悪行が珍しく拮抗していてね、簡単に天国地獄を決めるわけにはいけなくなったわけだ」
男は現実で話したのなら大分頭のおかしいと思われる事を喋った。この空間でこの状況だからこそ真実味がもたらされている。
陽介はこのまま死ぬ気はないし、よく創作物で見る異世界転生というのがどういうものかも興味があった。
「再審を望む。そっちのほうが面白そうだ」
それを聞くと、男は嬉しそうに話す。
「そうかそうか!楽しんでこいよなー。あ、そうだ。言語に関しては心配するな。一般的な読み書きは出来るようにしておくから」
何気に重大なことを言われた。たとえ転生したとしても、言葉が通用しなければ意味がない。未知の言語を理解していく方法として『何?』を最初に学ぶというのがあるらしいが陽介に自信はなかった。
その後、男はどこからともなくトランプやボードゲームを取り出してきた。
「再審するなら電車に乗る必要があるんだけどさ、まだ結構時間があるから遊んでようぜ。こういうゲームは好きか?」
「まあそれなりには好きだな」
「そりゃ良かった。じゃあ最初は…」
しばらくすると、電車がやって来る。陽介は電車に関して詳しくないが、その電車は通学時などでよく見るタイプであった。
「そいつに乗って次の駅で降りろ、そこが君の新しい人生だ」
男はボードゲームを片付けながらそう話す。陽介は返答する。
「あぁ、次は再審なく安らかに死にたいもんだ」
陽介が電車に乗りこむと、ドアは閉まり出発する。
1人になった駅舎で男は…『死神』は呟く。
「…あ、やっべ」
ちなみに、陽介と男の勝負は9対1で陽介の圧勝だった。