subject : 時計
「彼らはきっと少人数の誘拐しかしないはずだと。ヴァッヘによればグレードの高い奴が動いているようには思えないって」
相手によって行動が読める奴らもいる。でも、いつもの情報は、『何かが起こる』それだけだ。とくに自由で気高いオオカミは。今回は、情報が多い。いや、多すぎる。まるで、誰かが裏で操っているような嫌な気配がある。今回はいつもより気を引き締める必要がありそうだ。
「今回の情報がやけに多いのはどういう経緯かわかるか」
「ううん」
スアレフは首を振った。同時に耳につけた赤いピアスが揺れる。
「これだけ情報がそろってるっていうのは確かに不自然だよね。だから、用心はしといて」
「あぁ」
もちろん、いつだって用心してる。予想しないことが起きた時にどう対処するか。どう指揮するか。それに全てがかかっている。俺がやらなきゃいけない。二年前に、誓ったんだ。
手のひらに収まる程の懐中時計。ダイアルにはローマ数字が刻まれている。
ポケットに突っ込んだ手の中でコロコロとまわし、握りしめた。
「おそらくこの1週間の間に事件は起きる。連絡が取れるようにしといて」
「報告はこれで終わり」
スアレフの声に顔を上げる。
「じゃあ、みんな飲む?」
こんな昼間から飲む気分ではない。
「いや俺は」
「飲むに決まっとるじゃろう!なぁ若造」
うわっはっはっ、とイグナーツが背中を叩く。痛い。力の加減ってもんを知らないのかこのじじいは。
「ええもちろん。スアレフ、いつもの頂けますか?」
「はい!」
スアレフは満面の笑みでそれに応え、酒を作り始めた。俺の意見などどこへやら。
「俺にはスアレフの愛情がたくさん詰まった、今日のおすすめを」
「ふふっ」
アドラーの軽口にも慣れたらしい。
「覚えとけよじじい」
俺の言葉にイグナーツはニヤリとした。
「年寄りには何の事だかわからんなあ」
「酒に殺されるぞ」
「酒なんざ俺にとっちゃどうでもねえ。それより、なあ若造。こんな楽しい時間を1人で過ごすほど勿体ねえことはないだろ」
俺はイグナーツを見上げる。
「なんてな、年寄りの戯言じゃい」