3
一人残された尚之は、自分の右腕の針から延びるチューブを辿り、そのまま真っ白な天井を見つめて思考した。
「あの店」で、何も知らなかったのは「自分だけ」だという事に、眉をひそめる。
ハルキはいつから知っていたのか。知っていて、あの店を選んだのか。知っていたからこそ、あの部屋を選んだのか。そもそもあの店は、何なのか。何故、自分はそこに居るのか。
様々な疑問が駆け巡り、混乱にも似たそれは眩暈となって尚之を襲う。
長く息を吐き出し、無機質なベッドへと身を委ねた。
それでも、様々な疑念は尚之の思考を絶え間なく働かせる。どんなに考えても解答に辿り着かない。無意味な問答に力尽きたように、尚之は眼を閉じた。
どれくらい経っただろうか。
耳慣れた声に、僅かに身じろぎ、ゆるゆると瞼を開ける。声の方へと視線を移し、視界に入った男を見た。
いつも通りの綺麗なスーツに身を包んだ樹が、柔和な笑みを浮かべ尚之の隣に立っていた。
「店長忙しくてね。どうだい?具合は」
「まあ、なんとか」
「それなら、よかった。ハルキも心配してたぞ」
その言葉を聞き、尚之は目を逸らす。それに気付き、樹はそっと苦笑する。
ベッドの横の丸椅子に腰を下ろし、尚之に視線を落とす。いつもよりも少しばかり低めのトーンの声が尚之を呼んだ。
「俺が話すべきことではないから」
そこで言葉を切る。そして、嗤う。
「でも、俺は誇りを持って仕事をしている。……受け入れろ、とは言わない。でも、知ってしまったんだから。あとは、尚之次第だな」
尚之は黙ったまま身を起こす。樹の眼鏡の奥の双眸をじっと見つめ返し、大きく息を吐き出した。
点滴も残り僅かになっていて、だいぶ楽になった身体に安堵する。
「ああ。でも、色々聞くのはきちんと快復してからだな」
悪戯っぽく笑って、尚之の頭を撫で回した。
点滴が終わり、医師からの「無理はしないように。とりあえず2、3日は絶対安静」との先を見越したような忠告を受け、樹とともに病院を後にした。
部屋に着いた頃には、昼をとうに過ぎていた。
仕事を終えていたハルキが玄関まで来て、心配そうに見つめてきたが、尚之はチラリと視線を送り「ごめん。大丈夫だから」とだけ告げ、自室へと向かった。
閉ざされた扉を見るハルキの目が小刻みに揺れる。
「……今は、待つべきかもな」
樹は隣に立ち、ハルキを見下ろす。
ハルキの柔らかな髪がはらりと揺れ、俯いた。
「普通は、そんなにすぐは受け入れられないものだよ」
「でも」
「ハルキ。心配するな」
強く握られたままだった手が緩慢に開かれる。涙で滲んだ瞳が、樹を見上げた。
「君が見込んだ男だろ?男は待つことも大事だ」
微笑む樹にやっとの事で頷く。頬を濡らす涙を拭うと、無理矢理に笑って見せた。「そうだね」と、呟いた言葉はどこか切なく、悲しげに空気を揺らした。