007.ママに捧ぐ
「ほ、報告と言っていたな」
兵士がすごすごと引き下がっていく中で、円卓に座り直したアイヒェ伯は向かいに立つジュードを見つめる。今も冷や汗で全身がじっとりして、肩が震えていた。そんな様子を見つめ、ジュードは先程とは打って変わって静かに応える。
「ああ。それほど怯える事も無かろう。別に私は貴方がたを脅しかけて金を取ろうなどと算段しているわけではない」
「じゅ、十二分に脅していたではありませんか……?」
「私のいた世界では『正当防衛』と言われる範疇だ。何の問題もない」
サリッサが呆気に取られてジュードの横顔を見上げるが、当の彼は気にした風もなかった。そのまま彼は懐から古びた革表紙の小さな本を取り出し、パラパラとめくる。ここにいる誰もが見た事ないくらい薄い紙だった。
「さて、報告させてもらうが、狼と竜を継ぎ合わせたような異形の怪物が、カメーリエへと向かう街道沿いにある一つの村を襲った。収穫祭が始まり、村中の人間が広場にいたお陰で瞬く間に村は壊滅した。この辺りの報告も欲しいだろう。何せ『狩人』が帰ってきていないんだ。何も情報が降りてこなくて気が気ではなかっただろう」
「うぐ……」
まさに図星といった様子で、アイヒェ伯は息を詰まらせる。
「安心しろ。お前の狩人は勇敢だった。焼却の始まった村でカメーリエ伯の狩人とぶつかり合い、その殆どを壊滅せしめた。ただ一人を除いてな。そのただ一人に、お前の狩人はただの一人も残さず殺された」
ジュードの言葉に、アイヒェ伯以下はどよめき顔を見合わせた。早口で、小声で、彼らの間でやり取りが始まる。アイヒェ伯は唇を噛み、ジュードを真っ直ぐに見つめた。
「……そ、そのただ一人とは、お前では無かろうな?」
「お前の下っ端を殺してお前の前にのこのこ現れるほど愚かに見えるか?」
帽子の陰でどす黒い瞳がギラリと光る。
「あひっ……いや、そんな、事は……」
「そうだろう? お前の狩人を殺したのは俺ではない。KKKのくそったれだ」
「K、K、K?」
アイヒェ伯は、恐る恐るその名前を口にする。彼はまだ知らなかった。エルシーニァの大陸で蠢き始めた、悍ましい狂信者団の存在を名前すら。サリッサもちらりとジュードの横顔を見た。この名前を口にする瞬間、普段の枯れ切った冷静さも、戦いへ向ける野蛮な歓びも消え去り、純粋な、狂気じみた憎しみがその瞳に現れる。サリッサは思わず眩暈がした。
「そうだ。クー・クルックス・クラン。私のかつていた世界にいたのだ。白人であり、アングロサクソンであり、プロテスタントを信じる自分は神に選ばれたと思い込みたい、貧乏白人の集まりが。大抵の馬鹿共は自分が偉いと思い込んでいるだけの可愛い可愛い奴らだ。だがいるんだ、本物の狂信者もその中に。『プロフェティア』という名の、神に愛されたと思い込み、神の意志を代行すると思い込み、どんな狂った事もやりおおせる気狂い共が」
「い、いっぱい言われて、何が何やら……わからんのだが……」
「ならば黙って聞け。そんな奴らが何を以てしたかはわからんがこの世界にいる。神の目も及ばず、跳梁跋扈するこの世界を破壊しようとする狂信者共がこの世界に来ているのだ。お前達の狩人もそのメンバーの一人に殺された。焼き尽くされ、瞬く間に灰塵と帰した。奴らが神の奇跡と信じて疑わない悪魔の炎によってだ」
サリッサは白装束に身を包んだ剣士の姿を脳裏に過ぎらせる。燃える剣を振るった瞬間、騎士達は次々に消えていった。そんな奴らが集団を組んでいると聞いただけで、冷や汗が浮かんだ。アイヒェ伯は円卓に縋りつくようにして、ジュードから放たれる狂気に堪えながら声を絞り出した。
「お、お前は、それを我らに話しに来たのか? それだけか? それだけなのか?」
「もちろんそんな事は無い。そのクランズマン(KKKのメンバーの事)は俺が縊り殺してやった。だが、領地の境とはいえお前の領地にカメーリエの『狩人』が乗り込んで来たのは一大事ではないか? お前とカメーリエ伯は協調している筈だったのだろう?」
ジュードは歯を剥き出し、にやにやと笑い始める。純粋な笑みだ。純粋な復讐心によって捏ね上げられた笑みだ。アイヒェ伯はその笑みをまともに見られず、俯いてぼそぼそと答える。
「その通りだ。互いに先代は抗争に次ぐ抗争で領地を荒らし合った。我々はそんな事はやめようという事になったのだ。今は隣で争い合っている場合ではないから……」
「なるほどなるほど。争い合うのはやめたというわけだ。だが一方的な殺戮を、略奪をやめると言ったわけではあるまい。……『プロフェティオ』は狂った奴らだ。天使を光来させると信じて、化け物の召喚使役に拘った連中だ。もしカメーリエ伯側にその連中がいたなら、どうなる。カメーリエが、お前を一方的に磨り潰せると考えたらどうなる?」
アイヒェ伯は臆病者であった。先代よりも多く都市に衛兵を配置し、伝馬を鍛え、情報網を作り上げて都市の治安をどこまでも固めようとする男だった。そんな男が、自分の危機に気付かないはずもなかった。爪を噛み、アイヒェ伯はぼそぼそと呟く。
「……そんな。いや、まさか」
「アイヒェ伯!」
息を切らせて一人の兵士が駆け込んできた。その顔は青褪め、心なしか全身が震えている。ジュードがにやりと笑うのにも気づく事無く、兵士は喉を潰さんばかりの勢いで叫んだ。
「化け物の集団が迫っています! その数二十! こちらへ向かってゆっくりと進んでいます!」
「はああぁぁ……」
力ない悲鳴がアイヒェ伯の口から洩れる。一瞬白目さえ剥いて、ぐらりと身体が傾いだ。気付いた隣の老政務官が、慌てて立ち上がってその肩を支える。
「お、お気をしっかり」
一方のジュードはくつくつと笑い出した。からからと笑い出した。げらげらと笑い出した。目を見開き、右手を円卓に叩きつけ、恐懼する円卓の者達をぐるりと見渡した。
「くはははははっ! ああ、重畳、僥倖、何と言ったらいいかわからんな。わざわざこんなところにまで出向いてくれるとは。殺す殺す。全てを殺す。さあ、どうだアイヒェ伯。取引と行こうじゃないか?」
「と、取引だと?」
「そうだ。私はその化け物どもを殺せる。腕一本で十分だ。腕一本で外にいる化け物全てを引き裂き、臓物を引きずり出してやることが出来る。だがタダでは振るわん。お前の全財産を寄越せ。この城に貯められた金、全てを寄越せ!」
城の中に居るバケモノに迫られ、さらに円卓の者達は震えあがった。その心を知っているサリッサも、改めてその姿に唖然とする。
「やはり、鬼……」
「ば、馬鹿な! 私だけの金ではないんだ。この都市の領民全てを養うための金なんだ。そうやすやすとは……」
「ならばいいではないか。その金を払わなければお前も、領民も皆死ぬぞ。だがその金を出せば、その後どれだけの危機が迫るか知らんが、今は生きられる。さあどうする! 生きたいのか? 逝きたいのか!」
アイヒェ伯は俯く。とんでもないバケモノがやってきてしまったと、改めて戦慄した。外の二十の化け物よりも、今目の前にいるジュードこそが、いっそう恐ろしかった。
「化け物が接近しています。後一刻もせず、城壁まで辿りつきます!」
再び兵士が駆け込んでくる。ジュードはにやりと笑い、さらに迫る。その姿は、まさに契約を迫る悪魔のようだった。
「早く! 早く! 答えろ!」
アイヒェ伯はぶるぶると震えた。今までで一番の恐怖だった。ここで断ったら、むしろこの男に街を破滅させられる気がした。そう思ったら、こんなところで何もかも終わりになるのは領主の名折れと直感した。歯を食いしばり、アイヒェ伯はついに叫ぶ。
「……あああっ! 何でもいい! もう何でもいい! 外の化け物を束にしたよりお前の方がよっぽど怖いし何をしでかすかわからん! 金庫の金は全部やる! だから私達にそのへんちくりんな銃を向ける事は決してしないでくれ!」
「お、オーケン殿!」
政務官達は泡を食って叫ぶが、アイヒェ伯にも、ジュードにもそんな事はもう関係が無かった。ジュードはにやりと笑い、静かに踵を返す。
「契約成立だ。『ジ・アイ』の名に恥じぬ活躍、お見せしよう」
ピンカートンキャラ覚書
4.アイヒェ伯フリッツ=オーケン
自他ともに認める慎重派の領主。元々はアイヒェ伯側がカメーリエ伯領に乗り込んでくることが多かったが、彼はそれを取りやめにした。なんだかんだ民のことは考えているし、悪い領主ではない。臆病だけど。でもまあいざという時に果たすべき領主の使命は理解している。