005.まぬけなドンキー
「……斃れた。アレクサンダーが」
暗闇の中、向かい合うようにして座っていた白装束の四人組の一人が呟く。この世界に共に降り立った仲間であったというのに、その反応はあまりにも淡々としていた。
「先に天上へと参じたか。斯様な地で斃れるような器では無いと思ったが……」
「アレクサンダーの最期の意思が伝えている。奴の操る炎を一切受け付けない存在が彼の前に立ちはだかったらしい」
「ほう」
首から提げたロザリオを手で弄びながら、一人の白装束が僅かに身を乗り出す。
「かの操る天の炎を受け付けぬとは、底抜けに穢れた魂が現れたものだな。この私が天使の導きによって浄化してくれようか」
「行ってくれるか」
「如何にも。必ずやアレクサンダーに代わり、千年王国への障害を排除してご覧に入れます」
ロザリオを握る男はおもむろに立ち上がる。彼の纏う空気は糸のようにピンと張り詰めていた。仲間達にくるりと背を向けると、彼は闇へと向かってつかつかと歩き出す。
「アレクサンダーの魂の残り香が、神敵はアイヒェ伯領本城に向かっていると示しております。ついでに滅ぼして参りましょう」
言うやいなや、暗闇の中に唸り声が響き渡る。闇を前に立つ白装束に向かって、幾つもの目が白く光って視線を下ろす。ロザリオを握り締めた男は、頭巾の天辺を掴み、高々と放り投げた。露わになった美しい顔に無機質な笑みを浮かべ、彼はただただ無数の目を見渡していた。
左右を見渡せばどこまでも牧草地が広がり、羊が芝生を食んでいるのどかな景色。その真ん中に建つ巨大な城塞を二人は見上げていた。
「ここがアイヒェ伯の城下か? 小娘」
「そ、そうです。城門の上に掲げられた、ブナの木で作られた盾の紋章。あれはアイヒェ伯を代々受け持っていらっしゃる、オーケン家の紋章です。間違いありません」
サリッサは汗を拭い、どうにか息を整えながら応える。滅んだ村を離れてから一週間、睡眠も休憩もほとんど取っていない。先程も三時間歩き通しだ。むしろ、息を切らしただけで済んでいる彼女は逞しい方だった。
「村育ちの小娘にしては詳しいな」
「自分の村を治める領主様の事くらいは知っていますよ。間違えるなんて大変な事ですから」
「そうかそうか。私のかつていた世界では知らない奴も大勢いたがな。大統領……まあ国王みたいなもんだが、そんな奴の名前まで知らん奴が結構いた。それに比べれば全く賢い」
「は、はぁ……私も皇帝様の事までは存じませんが……」
ジュードは口端に僅かな笑みを浮かべた。サリッサは彼に向かっておずおずと頷く。
彼としばらく旅を続けて、彼女はこの男の事を測りかねていた。命の保証に行為を求めてみたり、強力な魔術のようなものを行使したり、あの夜は悪魔そのものだったが、旅出てからは何ともない。経験を積み重ねた壮年の騎士といった趣で、――彼女の体力はわきまえなかったが――彼女の安全を第一に考えて行動していた。もちろん身体を求められる事などなかった。
「何を突っ立ってる?」
先に進みかけたジュードは、鼻筋の通った端正な顔に不思議そうな色を浮かべ、サリッサの方に振り返った。彼女が抱いている疑問の事には、全く思い至っていないらしい。サリッサは彼の陰ある瞳に見つめられて目を丸くすると、白い頬を赤くして俯く。
「いえ……何だかんだ、助けてくださったなと思っていたのです」
「こんな世界だ。死にたいと思う人間、生きる覚悟の無い人間は素直に死んでおくのが楽だと思っている。だが、あくまで生にしがみつこうと考える人間は私の目が届くうちは我が義務を以て生かす」
「義務?」
ジュードの後を追いかけながらサリッサは尋ねる。のっそりと頷いたジュードは、重い口調で淡々と答え始める。その目は相変わらず暗く、彼の中にある感情を窺い知ることなどサリッサには出来なかった。
「ああ。私はずっとそういう仕事をしてきた。お偉い奴の用心棒だ。その偉い奴に刃向かおうとする奴らを叩きのめすことも仕事だった。ピンカートンは強きの味方、弱きの敵だと言われた事も一度や二度じゃ無かった。だから、生きようと思う強い人間を私は生かす。死にたいと願う弱い人間は死なせる。他人を脅かそうと思わなければ生きたいと思えない虫けらのような人間は、殺す。この世界に来て私はそのように決めた」
「は、はあ……」
そんな話をしているうちに、二人は巨大な門の前に辿り着いていた。二人を認めた門番が二人、じゃらじゃらと鎖帷子を鳴らし、槍を持って駆け寄ってくる。
「おい、そこの旅人。アイヒェ城に何の用だ」
「この地に暮らす友人に会いたいと思って来た。通せ」
そう言うと、ジュードは懐から四枚ほど銀貨を取り出し、二枚ずつ門番に向かって投げつけた。しばし銀貨と、二人の顔を見比べていた門番は真面目くさった顔で正立し、声を張り上げる。
「了解した。友情は大切なものだ。入るといい」
「感謝仕る」
さらりと答え、ジュードは大股で門番の間をすり抜ける。サリッサも小走りでその後に従う。
「お、お金を払えば通してくださるんですね……」
「門番など、どいつもこいつもそんなものだ。たかが旅人二人が紛れ込もうが排除されようが城下にはさしたる問題は無い。だが、旅人二人はどうにかして城下に入りたいのだ。どんな欲が湧くかはわかるだろう」
「……なるほど。で、これからどうなさるんですか?」
城下に入ると一気に騒がしくなった。通りに品物を並べて行き交う人々に売りつけようとする露天商がいれば、それを品定めする人々もいる。大工が釘を打つ鈍い音、鍛冶屋が鉄を打つ甲高い音も遠くから聞こえ、街はそれなりに活況の相を呈していた。
「まずはその旅嚢に余った財産を全部金に換える。領主と話をするのはそれからだ。かさばる荷物を背負ったままでのこのこ歩き回るのは褒められた姿勢ではない」
「でも、行商の方に引き渡さなかったようなものばかりじゃないですか」
「旅先でモノを売るなどという、足元を見られたような状態で売りたい代物じゃないからだ。そういう高価なものは、高く買ってくれそうな奴に売るのがいいんだ」
「……なるほど」
かくして持ち出した財産を全て金銭に変えた二人は、幾分身軽になって、中心に建つアイヒェ伯の居城へと向かったのである。石造りの、尖塔が一つ目立つ形で建てられた立派な城だ。城の周りにはぐるりと深い空堀が巡らされている。跳梁跋扈の世の中、有事に備えての構えも万全であった。サリッサはそんな城を見上げ、ただただ嘆息するしかなかった。
「大きいです……私達の村がすっぽりと収まってしまいそう」
「中々立派な構えだな。なるほど、街が騒がしい理由もわかるというものだ」
ジュードはちらりと門番の方を見る。先ほどの有象無象、印象にも残らないような門番ではない。しっかりとしたプレートアーマーに身を包み、誰に言われずとも正立を続けている。忠実な兵だと一目でわかる。賄賂などではなびきそうもない。ジュードは口髭をなぞりながらしばし首を傾げ、ぼそぼそと呟く。
「そうだな。これはこうする他ないだろう」
「……い、嫌な予感がします」
サリッサはジュードに語り掛けるでもなく呟いた。目の前に立つ彼の目に、鈍い光が宿ったのを彼女は見逃さなかった。戦いを前にして喜ぶ、危険な悪魔の目に変わったのだ。だが、気づいたところでどうにかできるはずもない。
「さて。行くとするか」
「えっ? うわっ!」
ジュードは凶悪な笑みを浮かべると、サリッサの事を有無を言わさず脇に抱える。もうどうしようもない。為すがままになるしかなかった。
そのまま、彼は空高くまで、城の塀に向かって跳び上がった。その姿をちらと目の当たりにした街の人々は、唖然として彼の姿を見上げる。そんな人々の目の前で、彼は、四リュッケ(一リュッケ=一、七メートル)の高さはある塀の上に、すとんと降り立ってしまった。
「うわわわわっ」
抱えられていたサリッサにとっては、恐怖以外の何物でもない。今にも泣きそうな顔で口を震わせていた。だが、不敵な悦びに浸るジュードは、そんな事を気にしない。にやりと口端に笑みを浮かべて、そのまま駆け出した。
「この手に限る」
ピンカートン雑多な覚書
1.この手に限る
某筋肉モリモリマッチョマンの変態も口にした理不尽を解決する魔法の言葉。元々いた世界でも今いる世界でも数多くの理不尽をもたらして来たジュードもまた、事あるごとにつぶやいている。