046.キング
燭台の灯りだけが頼りの暗い部屋の中に、鈍い喇叭の音が響いている。道化師の格好をしたひょろ長い背格好の男が、目を細めて喇叭にぷっぷくと息を吹き込んでいた。豪奢な装飾を施した寝台の上には一人の男が身を横たえ、虚ろな顔で天井を見つめている。寝込みの邪魔をどれほどされても、何の感情も示さず彼はただただ倒れていた。そんな彼の事を道化師も全く気にせず、まるで自分が一人でいるかのように振舞っていた。
「ローゼ伯がナルツィッセ伯領への進軍を始めちゃったか。どうしようかな。ちょっとタイミングとしては速いんだけどなぁ。戦いは逸った方が負けになっちゃうんだけど」
いかにも道化師じみた軽い口調でその男はぺらぺらと独り言を呟く。かと思えば、急に声を低くし、朗々と声を張り上げる。
「否。好機と捉えることも出来ようか。ローゼ伯のこの行動が、これからの大陸の動静に一石を投じる。湖の上に広がる波紋のように、うねうねとこの世界の運命が動き出す。奴も眷属まで呼び込んで本気になっているし、我らも早いところ取り掛からねば」
「ハインリヒ様! ハインリヒ様!」
部屋の外側から声が飛んで来る。喇叭を持った道化師はにやりと笑うと、ふわりと飛び上がって闇の中へと消えた。
同時に皇帝ハインリヒ四世イェーガーはむくりと起き上がり、生気に溢れた表情で外の人間に向かって呼びかける。
「何だ!」
「ローゼ伯がナルツィッセ伯領に向かって兵を挙げました! 既に領内には侵入しているものと思われます!」
「ローゼ伯が! 早まったことをしたものだ。そんな事をしてはレーヴェどころかエンゲルが黙っていないぞ。ドラッヘへの要であるためにレーヴェは十全の状態ではいけないのだからな!」
「ではいかがいたしますか?」
「兵を集め、いつでも出撃できる用意を整えておけ! しばし様子見、情況によっては打って出る!」
「はっ!」
外では誰かが駆け去る高らかな足音が響く。それを聞き届けた皇帝は、再びその目から生気を失い、糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。
闇の中から、ゆらりと道化師の男が姿を現す。にんまりと笑みを浮かべて、じろじろと皇帝を見下ろしている。その両手には闇で編まれた糸が伸びていた。
「さてさて。これで戦支度が始まるかな。まあ皇帝の腰は重いけど。エンゲルはどう動くかなあ? どうせローゼをぶっ潰すかなあ? わからないのはナルツィッセだねぇ。あの諸刃、一体誰を傷つけるんだろうねぇ?」
道化師はどこからともなく再び喇叭を取り出すと、ぷっぷか吹き始めた。世の中全てを嘲笑うように、ぷかぷかと。
「二千年かかったけど、今度こそ僕達の世界を手に入れるとしようよ。ねえ、我が主」
全てを混沌に帰し、全てを新たなる秩序の下に。彼は盲目白痴の王に語り掛け、ただただ喇叭を吹き鳴らし続けるのであった。




