045.Strawberry garden
野苺の花咲き乱れる庭に、修道服姿のカタリナは現れた。銃の修練はまだ終わっていないため、彼女は聖銀製の鎧を着込んだままである。その事もあって、狼のような顔立ちの彼女は油断ならぬ雰囲気を使者に向かって放っていた。
「して、用とは何事ですか。こちらとしても訓練の途中なのです。急を要さぬ用ならば終了までしばしお待ちいただきたいのだが」
「急用だからこうして来たに違いありませんか、カタリナ院長殿。我々は早急に貴方達聖弓兵団の力が必要なのです」
使者の男はさらりと言い返す。彼もまたその目つきが狐のようで、食えない雰囲気を醸していた。そんな彼の顔を見て肩をすくめると、つかつかとカタリナは使者の方へと歩み寄っていく。
「出征か。また鶏蛇の類でも現れたのか?」
「そんなものの処理に貴方達の手を煩わせるとお思いか。そうではありませぬ。イェーガー家直属のローゼ伯が急に兵を挙げた。聞くところによれば、全速力でそれは西へと向かっています。程なくしてナルツィッセ伯領へと入るでしょう」
「レーヴェに攻め込むつもりか? なぜ今だ。ただでさえ『プロフェティア』共が諸所で好き勝手を始めているというのに。帝国内に余計な争いを持ち込むつもりか」
カタリナが顔を顰めると、男は呆れたように頷いた。
「元々ローゼとナルツィッセは対立状態にありましたからね。先日の一件でウェステンラの領地が焼き払われてしまった事で、ナルツィッセ側の領地へほぼ素通りでローゼ軍は入れる。攻撃するにはもってこいのタイミングでしょう」
「なるほど。ローゼ伯がいかにも愚かだという事は分かった。ドラッヘ公の動向も気になるところだというのに、いたずらに戦力を削っている場合ではあるまいに……」
「だから聖弓兵団の力が必要なのです。ひとまず進軍し、早々にローゼ軍へ撤退を促してください。貴方達の一糸乱れぬ銃撃の構えを見ては、ローゼ軍も無視するというわけにはいかぬでしょう。レーヴェ司教領の負担を少しでも軽減する事。それがエンゲル大司教のお考えにございます」
男は懐より羊皮紙を取り出し、カタリナに手渡す。広げてみると、中にはエンゲル大司教の直筆にて、聖弓兵団へローゼ軍への対処を依頼する旨が淡々と記されていた。断る理由も無い。カタリナは頷くと、くるくると羊皮紙を丸めて懐に収めた。
「承知した。実戦で陣を構える時の訓練も必要だ。喜んでお引き受けさせて頂こう」
「大司教に代わり、ひとまず感謝を申し上げさせていただきます。では、報告がありますので、失礼させて頂きます」
その頃、ローゼ伯軍は焼け跡燻るウェステンラの元領地が見える位置に陣を張っていた。ローゼ伯は一際大きな天幕の中で床几に腰を落ち着け、やってきた使者に対していた。
「本当に、ナルツィッセ伯は同盟するというのだな?」
「ええ。ナルツィッセ伯は四大司教と五公による現在の帝国秩序を打破する事を考えています。我が主にとっては、『プロフェティア』の登場は今ある秩序が揺らぐまたとない好機なのです。貴殿にとってもそうではございませんか。共に手を取り合い、領地が怪物と聖騎士団によって荒らされている間に思う存分領地を切り取っていこうではありませんか」
使者はローゼ伯の前に跪き、早口で言ってのける。ローゼ伯は口髭を撫でたまま、目の前にある帝国の地図を見つめた。そこには盤上戦戯のコマが幾つか置かれ、レーヴェ司教領の本拠へとその矛先を向けていた。
「それで、手始めに帝国西方の要であるレーヴェ司教領を切り崩すというわけだな」
「その通りです。とはいえ騎兵団として見てもレーヴェの聖騎士団は帝国最強。一筋縄ではいきませぬ。それゆえにローゼ伯のお力添えを頂きたかったのですよ」
「だがタダというわけにはいかんぞ。レーヴェ聖騎士団の壊滅に成功した暁には、今度はゼーレヴェへ攻める。今カメーリエ伯はあの若輩だ。攻め落とすは容易かろう。その地は、ローゼのものだ」
「承知いたしました。我らにお任せあれ。では」
使者は深く頭を下げると、素早く立ち上がって走り去る。ローゼはその背中を見送って溜め息をついた。その脳裏に、ナルツィッセ伯の食えない微笑みが甦る。ほぼ親子ほども年が違うというのに、ローゼ伯に危機感を抱かせるには十分な雰囲気を漂わせていた。
ローゼ伯は立ち上がる。顔の皺をさらに濃くして、彼は呟いた。
「……『狩人』を呼ぶか」




