044.トカゲ
竜の落とし子という伝承がある。もとい、事実がある。竜公の治める土地には、数月から数年に一度、人の頭よりも大きな卵がどこからともなく現れるのだ。その卵を暖炉の火にくべ、丹念に温め続けると、全身が鋼のように硬い、翼を持った醜い蜥蜴が生まれる。生まれたばかりのそれは四方八方引っ掻き回し、とても手に負えない。しかし、それを我慢して耐えてやると、やがて巨大に育っていき、悠々たる体躯の竜へと育つ。
どんな鳥よりも力強く空を舞い、どんな矢も届かない天から襲い掛かる事の出来る竜。五頭も揃えて翼を広げれば、どんな城塞よりも堅い壁となる。そんな竜を駆り、竜公は力を付けた。フェーデに次ぐフェーデで周辺の伯を自らに従わせ、気づけば隣に立つゼーレヴェ公にもカーター公にも勝る勢力を手にしていた。
ドラッヘ公はこの結果を前に確信を深めた。竜は天から遣わされた力なのだと。この力によって、大陸を統べるのが自らの使命なのだと。
彼は自らが新たな帝位につくべきと信じて疑わない。自らの力によって、かつてあった栄光のエル・レムス帝国を蘇らせることが出来るととことん信じて疑わない。
当然警戒された。現在帝位を世襲しているイェーガー家を筆頭に、普段は方針の違いから対立を重ねる四大司教もドラッヘ公に危機感を示した。彼の純粋な我欲を、神代の御世に魔を呼び寄せた愚かなる『黄衣の王』の姿と重ねたからだ。かくしてフェーデはその建前が一層重視されるようになり、不当のフェーデには弁済が求められるようになった。レーヴェ大司教はドラッヘ公領の側にヴァイスシュタイン城を築き、法術師団を住まわせた。
全てはドラッヘ公の野心を抑える為であった。如何に堅固な鱗でも、法術さえ弾き返すようには出来ていない。ドラッヘ公はカーター、レーヴェ、ゼーレヴェの防壁を前に引き下がる他無かった。
そこでドラッヘ公は求めたのである。
法術さえも弾き返すような竜の存在を。
「……準備は整いました。では皆さん、杯を手に取ってください」
闇の中、燭台の僅かな明かりに照らされた、白いローブに白い頭巾を着込んだ男三人。彼は黄色い外套を上から羽織っていた。杯の中には、小さな灯のみで眩く金色に輝いている。同じく黄色の外套を着込んだ騎士達は、半信半疑といった顔で三人の男を見つめている。
「心配召さるな。この杯を飲み干す事で、貴方達は神の僕を呼び寄せる事が出来る」
「この笛を吹きなさい。さすれば貴方達の元に神の竜は降りてくる」
「さあ」
三人の男達は重々しく言い放つと、杯を一気に傾けた。そのまま口に石の笛をあてがい、鋭く息を吹き込む。甲高い音が響き渡り、同時に空の彼方から似た音が跳ね返って来た。騎士達が振り向くと、闇に包まれた空から、一直線に三頭の竜が降ってくる。
その姿は、あまりにも彼らが知る竜の姿とは違っていた。蜥蜴というよりは、まるで蟻や蜂のような身体。蝙蝠のような翼を持ち、鋭い鉤爪の生えた二対の脚をぶら下げている。頭には角の代わりに一対二本の触角が生えていた。そんな怪物の持つ目は、まるで人間のように感情を強く秘めていた。その見るからに禍々しい姿に、騎士達は思わず怖気づく。
咆哮が響き渡る。城の中から一頭の竜が一直線に飛び出してきた。現れた悍ましい怪物にそれは果敢に突っ込んでいくが、怪物はその竜をあっさりと抑え込み、黒い闇を纏う鉤爪でバラバラに引き裂いてしまった。
騎士が息を呑む間に、怪物三体はゆっくりと騎士達の元に舞い降りる。
「さあ、これが神の竜です。高々空を飛べるだけの卑賎な蜥蜴とは違う。その鉤爪に切れない物は無いのです。智慧も比べ物にならない。もちろん、法術などという児戯など撥ね付けてしまう事でしょう。神に人間が逆らう事など有り得ないからです」
三人の狂信者達は騎士達の背後を追い討つように言い放つ。
「さあ、飲みなさい。皆で共に神の力を讃えましょう」
騎士達は身震いした。神の力などと、微塵も信じる事は出来なかった。しかし、自らの駆る竜が瞬く間に葬り去られた姿を見ては、拒む事などもう出来ない。拒めば死ぬ。
「さあ」
心を決めた。騎士達は逃げる事を選んだ。心の臓を鷲掴みにした恐怖から。
騎士達は一気に黄金の酒を呷る。程無くして、喩えようも無い絶頂感が彼らの身を包み始めるのだった。




