037.柘榴
「残忍なる――」ダンテ神曲、地獄編第十三曲より
銃声が轟き、ジュードの左肩が弾ける。付け根からその左腕は落ち、その肉は樹木のように固くなっていく。
「来い、自ら生命断ちし者を罰し、嘲り喰らう者よ」
彼の言葉に応ずるかのように、固くひび割れた肉は弾け飛び、中から一人の魔が飛び出した。巨大な鷲の脚、逞しい翼を持った裸の女。それは美しい顔を怒りに歪めると、目にも止まらぬ速さで飛び出し刃のように固く鋭い風切羽で貪食の魔の顔面を切り裂いた。
ぱっくりと頬が裂け、鮮血が溢れて魔は呻く。
「イタタ……何するんだい?」
呟いた時、更に横っ面を鋭い蹴りが襲った。蝦蟇のようにぎょろついた目がその主を認識したのは、横ざまに倒されてからのことだった。
吹き飛ばした左腕を噴き出す闇で象り、そこから悪魔のような翼を生やしたジュードが、拳銃を構えて上空から狙いを定めていたのである。
「死ね」
何発も放たれた弾丸が、蝦蟇の目を貫く。目は肉詰めのように弾け、黒い穢血を噴水のように溢れさせる。魔は呻いたが、その身は不意にどろりと崩れ落ち、瞬き一つしない間に相も変わらず蝦蟇のような頭を持った、巨大な狒々の姿へと変わる。舌を長く伸ばし、魔は黒真珠のような眼でジュードを見上げる。
「甘く見てもらっては困るねぇ。この竈食神の事を。僕はこれまで何万何千の命を取り込んで来たと思う。君がどれだけ足掻こうとも、僕の命は決して尽きる事が無いんだ」
「何を言っている。たった何万何千か。地獄は何兆何京の命の涯だぞ。その程度の端数の命を汚して、喜んでいるとは甘ったれている。地獄の刑吏に課せられた一分のノルマにも満たん。だから本当の神にはなれんのだ」
ジュードはにべも無く言い返す。貪食の魔は喉を膨らませて怒りを轟音にして吐き出す。その一撃は衝撃波となり、ジュードの全身を引き裂きながら吹き飛ばす。傍まで詰め寄っていたハルピュイアも、もみくちゃにされて林の中へと沈む。目の前に墜落したジュードを魔は怒りに満ちた眼差しで見下ろし、両手の鉾のように尖った爪を輝かせる。
「お前、その言葉だけは許さないよ」
再び闇の翼を広げて飛び上がるジュードを、魔の長く伸びる舌が追いかける。鞭のようにうねりながら、ジュードの放つ弾丸を弾き飛ばし、両の腕と共に殺到する。
「タグイェルは無理でも、僕ならできるぞ。僕がお前を呑み込んでやる。そうすればこんな哀れな戦いは終わりになる。哀れな勘違い復讐鬼の戦いは、終わりになるんだ」
伸びた舌が、ついにジュードの足下を捉えた。空で姿勢を崩したところに、魔の鋭い一撃がジュードの右腕を捉えた。右腕は高々吹き飛び、屋敷の残骸の中へと落ちる。さらにもう一撃はジュードの腹部を貫き、高々とジュードを天へと掲げた。
腕から口から血を溢れさせ、ジュードは怒りに目を見開くようにして魔を見下ろしていた。しかし既に魔の爪はジュードをしっかりと捉え、離さない。
「貴様……!」
「ははははは。終わりだよ。終わり。もう面倒な事はしたくないねえ。さっさとこの世界も滅ぼして、君の世界も滅ぼして、新しい世界を作ってのんびりしたいよ……」
魔は大口を開け、ジュードを呑み込まんと腕を下げていく。目を怒りに満ち溢れさせていたジュードは、その瞬間不意に満面の笑みを浮かべた。
「やはり、貴様は神ではない。ただの汚らしい魔物だ」
瞬間、瓦礫を吹き飛ばしながら巨躯の獣が飛び出す。六つ目に狂喜の光を宿し、銀の牙を以て魔をバラバラに引き裂いた。ジュードはその身から放った炎で爪も何もかも焼き払い、右腕の付け根から噴き出した闇でバラバラになった魔の肉を捉える。それぞれが闇に縛り付けられ、溶けようと何をしようと拘束から逃れる事が出来ない。その有様は、まるで地獄の塚に生えた大樹のようであった。月に向かって掲げられた魔の首は、愕然として叫ぶ。
「そ、そんな! こんなペテンがあるか! 貴様は一体何なんだ! 人の業じゃない。決してこんなものは! たとえ一度地獄に堕ちようと、人間の為せる業じゃない!」
「ああそうだ。当然だ。何故なら俺はもうバケモノなのだから。これくらいは出来て当たり前なのだよ」
ジュードはにこりともせず応えた。空いた左手で煙草を取り出し、ライターで火を灯す。その間にも闇はぐねぐねと蠢き、魔の首に肉を押し込んでいく。
「おご、ごぉお」
押し込まれた肉は、空いた喉笛からぼとぼとと零れてくる。おぞましい拷問に、魔は血潮を目から溢れさせていた。ジュードは冷めた目でそれを見上げ、ゆっくりと口を開く。
「残忍なる魂己を身より引き放ちて去ることあれば、ミノスこれを第七の口に送り」
瞬間、森が揺らぎ、ハルピュイアが飛び出してきた。一羽や二羽ではない。蝙蝠のような影を作って、数百羽のハルピュイアが一斉に飛び出してきた。全て獲物に目をぎらつかせ、一気に闇の大樹へと殺到する。
「このもの林の中に堕つ、されど定まれる處なく、ただ命運の投げいるる處に至りて芽すこと一つの麦の如く」
ハルピュイアは闇に捕らえられた肉に殺到し、その肉を鋭い牙で喰らい始める。喰らわれた痕からは小さな魔の頭が生えてきて、またしてもハルピュイアに悲鳴を上げながら喰われていく。ジュードは煙草を吸いながら、その光景を冷めた目で、冷めきった眼で見つめていた。
「若枝となり後野生の木となる、ハルピュイアその葉を食みてこれに痛みを与えまた痛みに窓を与ふ」
ジュードが唱え終わる時、丘は魔の悲鳴に満たされていた。




