034.林檎
月下の村を怪物の呻き声が満たす。できそこないの吸血鬼が、形の歪められた食屍鬼が、虚ろな顔で畑を畦道を蠢いている。百鬼夜行。まさにその言葉がふさわしい。彼らは人の血を、人の肉を求めて村を駆け巡っていた。
その中央に立つは二人の女。怪物に囲まれ、灰の撒かれた畑の上に立ち尽くしていた。
一人はただの小娘。痩せっぽちでおどおどと化け物の姿を見渡すだけ。元はただの村人、怪物に取り囲まれて気絶しないでいるだけで天晴だった。
もう一人はあでやかな女。分厚い旅嚢の上からでもふわりと色香は漂い、挑発するように怪物達を見渡していた。寝坊に寝坊で制式の法術師をクビになった不良の女。しかし、世を騒がす『黒い外套の男』すら一目置く、凄腕の女法術師。懐から短刀を抜き放ち、勝気な微笑みを浮かべていた。
「ふ、フランさん! 囲まれましたよ!」
「慌てないでくださいよ。ここからが法術師のお楽しみなんですから」
フランは声を弾ませながら、半吸血鬼と化して走り寄ってくる元旅人達に向かい合う。短刀の腹に簡素な法陣を指で書き込むと、短刀は不意に輝き、白い炎を纏う。さらに中空に新たな法陣を書き込みながら、フランはぎらりと歯を剥き出した。
「お気の毒ですね。法術師の端くれとして、せめて苦しまないようにして差し上げますよ!」
言うや否や、一陣の突風が吹き、突っ込んでくる吸血鬼の脚を無理やり止める。畑に踏ん張りもがく彼らに向かって、フランは風に乗って一気に身を躍らせた。短刀を逆手に持ち、手近に立つ吸血鬼の胸元に飛びつき一気に喉を掻っ捌いた。皮一枚を残してだらんと首が落ちたところに、さらにその心の臓へと短刀を突き立てる。瞬間、吸血鬼の身体は一気に白い炎へ包まれ、もがく事さえ無く灰と化した。
「すごい……」
ふわふわした普段の彼女からは思いもつかないその姿に、サリッサは思わず息を呑む。風が止み、踏ん張っていた吸血鬼達がよろめく。フランはその隙を見逃さず、もう一体の懐にも飛び込み心臓に短刀を突き立てる。吸血鬼が全身を燃え上がらせて呻き叫んだところへ、鋭くその首を刈り取る。
「ごめんなさいね」
フランは燃え上がる吸血鬼を蹴り飛ばし、近づいていた食屍鬼に叩きつける。聖なる炎は食屍鬼にも燃え移り、血の涙を流して食屍鬼は悲鳴を上げのたうち回る。その姿を見届ける事も無く、フランはその場で素早くくるりと身を躍らせる。白い炎は尾を曳いて、背後から近づいていた怪物を横薙ぎにする。舞ったどす黒い血はフランの法力に弾き飛ばされ、円形の跡を残す。
フランは短刀を握り直すと、翻ってサリッサに向かって鋭く短刀を投げつけた。サリッサが息を呑む間も無く短刀はサリッサの頬辺りを横切り、彼女の背後に近づいていた吸血鬼の喉に突き刺さる。フランはそのまま一直線に突っ込み、仰け反った吸血鬼の喉を掻っ捌いて心臓を貫く。
「ごめんなさい。貴方の事はちゃんと守ってあげますから安心してくださいね」
「すごい……ジュードさんとはまた違う方向ですごい……」
サリッサはフランの表情を見て呆然と呟く。目を戦える喜びに爛々と輝かせ、妖艶に笑みを浮かべている。最早どちらが化け物か分かったものでは無かった。
「悪滅!」
刹那、鋭い叫びと共に骨砕け肉弾ける音が夜の村に響き渡り、木っ端みじんの化け物が畑に撒き散らされた。その身体は見る間に朽ち、灰となって消え失せる。サリッサ達が驚いてその方角を見ると、とても老人とは思えない体格をした聖衣の男が拳を固めて仁王立ちしていた。
「神に与えられし大地を穢す者、喩え世を覆うが如き混沌魔であっても、喩え己が身一つであっても立ち向かい、滅ぼす!」
「あ、あああ……」
サリッサは地獄に立つ鬼のような形相の男を見て呆然とする。よもや彼が神の大地の番人『レーヴェ大司教』であるなどと思いつきもしなかった。首から下げられた正十字から、彼が味方であると理解するので精いっぱいだった。
「フランベルク・ローエングリン」
軽くサリッサが眩暈を感じていると、レーヴェ大司教はフランに気付いて顔を顰める。迫る食屍鬼の首を裏拳で刎ね飛ばしながら、大司教はフランに向かって唸った。
「……神より優れた力を与えられながら、在俗のままでいる怠け者め。何故エンゲルの女子修道院に入らぬ。貴様にはそれだけの力があろうが」
「お褒めの言葉に預かり誠に光栄です。でも、誠に申し上げにくいのですが――」
フランは月光を受けて薄く光る唇を歪ませると、傍に寄って来た怪物を短刀ですぱすぱと切り裂いていく。炎を上げて苦しむ怪物に、容赦なく、短刀を突き立てていく。死ねない程度に、急所を避けて突き立てていく。その果てに、ようやく短刀を胸に突き立て殺した。
「私、どうしようもなくこういうところがあるので、聖職者には相応しくないと思うんですよねぇ……ごめんなさい」
「……阿婆擦れめ。神へ感謝する事のみは忘れるでないぞ。忘れた時はこの私が直々に罰を与える」
「問題ありませんとも。この力、神敵を打ちのめすためのみに使いますので」
二人が饒舌に睨み合いを続けていると、突如屋敷の方で轟音がする。弾かれたように三人が振り返ると、屋敷の屋根は吹き飛び、巨躯の魔物が足元を見下ろすように立っていた。




