032.斑
突風が吹き荒れ、旅人はもみくちゃになりながら壁に叩きつけられる。骨の砕けるような音が響き、それらは血みどろになって死体のように折り重なった。それでも虚ろな表情の旅人達はもがいている。あらぬ方向に折れ曲がった手足をぶらぶらさせながら、バケモノのように顔を歪ませた旅人達は妖艶にしなを作るフランに向かって迫ろうとしていた。
「ダメですよ。しつこい男の人は好みじゃないんです」
フランは右手の人差し指を伸ばして矢のような形の紋様を描く。その紋様は宙にて黄金色に輝き始め、フランがその紋様に触れた瞬間に突風となって飛び出した。もがく旅人達は、さらに突風で壁に押し込まれていく。やがて薄っぺらい部屋の壁は砕け、隣の部屋に旅人達はもんどりうちながら転がっていった。
「うげげげげ……この人はこの人でおっかない事を……」
サリッサはジュードの影に隠れながら、フランの柔和な笑みを唖然として眺めていた。ジュードは戦う時とそれ以外で躁鬱のような切り替わりぶりだが、フランは恐ろしいくらいに変わらない。サリッサやジュードに冗談を飛ばすくらいの感覚で、正気を失くした旅人に向かって太刀風を飛ばしていた。
ジュードは拳銃を抜いたまま、青い顔をしているサリッサの方を一瞥する。
「言ったろう。本気なんだか冗談なんだかわからんと。だが、これがこいつの本気だ」
「ええ。私は容赦しませんから。魔に加勢する者は、一片の躊躇も無く叩きのめします」
「ああ、何となくわかりました……」
フランの声色からは、これまでの間延びした雰囲気がすっかり抜け落ちていた。幼さが残る顔やのらくらした空気にごまかされていたが、サリッサはようやくフランはブーツを抜きにしてもかなりの長身であることに気が付いた。背筋をすっと伸ばして、フランはさらに法陣を組もうとする。
「貴方達ばかりに構ってはられませんし、そろそろおねんねを……」
フランが言い終わらないうちに、もみくちゃになっていた旅人達に変化が訪れた。全身の肉が震え、彼方此方に折れ曲がっていた四肢がびくりと跳ねてあるべき形へと戻る。次々に回復して、旅人達は俊敏に起き上がる。フランははっと目を見開き、とっさに風を吹かせて旅人達の突進を受け止めた。為す術もなく吹き飛ばされていた今までが嘘のようだ。目を血走らせて呻く旅人達はフランの突風に抗い、彼女に向かって鋭く伸びた爪を突き立てようとしていた。
「かの女も、それを操るクランズマンも、中々ふざけた計らいをするものだ」
ジュードは目を剥くと、旅人らの脳天に向かって次々と銃弾を撃ち込んだ。頭が柘榴のように弾け飛び、フランの風に巻かれて吹き飛んでいく。死臭を漂わせる血を垂れ流し、それらは地に投げ出された魚のように、びくりびくりと跳ね回る。容赦の無い一撃に、サリッサは口元を押さえながらもごもごと零す。
「ジュードさんは相変わらずですね」
「何を言っている。こいつらはもうこの程度では死なんぞ。バケモノだ。瘴気に当てられて人でなしになったバケモノだ。大方、奴が飲めといったワインが呪われていたんだろう」
顔を顰めたジュードがそう言っている間にも、飛び散った肉はぬめぬめと動き回り、持ち主の下へと迫っていく。さしものフランも苦い顔をして、窓辺の方へとつかつか歩いていく。
「さっさと出ましょう、ジュード。こんな狭いところじゃ出来る事に限りがありますよ」
「もとよりそのつもりだ。さっさとあの屋敷に向かうぞ」
「え? あ、ちょっと!」
フランは迷うことなく、窓枠を乗り越え颯爽と外へ飛び降りた。ジュードも有無を言わさずサリッサを脇に抱え、後に続いて畦道の上に飛び降りる。雲の無い空に月は天高く昇り、狂おしい光を下ろす。狂奔する怪物の叫び声が、どこからともなく響いている。サリッサを地面に放り出し、ジュードは二丁目の拳銃も抜き放つ。彼方には、黒く染まった白目を剥き、血の滴る大口を開けてのろのろと歩く怪物達。その姿を捉えた瞬間、ジュードは歯を剥き出しにした。血走った赤黒の瞳を輝かせ、ジュードはグールの群れを真っ直ぐに見据える。
「食人鬼! 食人鬼! そうかそうか! よくわかったぞ。貴様には御似合いの忌まわしい所業だ!」
「じゅ、ジュードさん……?」
ジュードは悦びに震えていた。憎き仇敵を叩きのめす事の出来る悦びに。
「待っているがいいクランズマン。貴様の口に貴様の肉を押し込めて、じっくりと殺してやる」
「レーヴェ大司教殿。これは……!」
フェルディナントに付き従う聖騎士の一人が、思わず息を呑む。村の入り口に立つ彼らは、怪物が暴れ回る修羅の巷を見つめていた。逃げ惑う人々が食屍鬼に襲われ、肉を喰われて斃れていく。その亡骸もまた食屍鬼と変わり、生きた人間を求めて蠢き始める。フェルディナントは眉間に皺を寄せ、拳を固めた。
「命ずる。穢れ無き者を集め、直ちに村の外へと退避させよ。これ以上瘴気を撒き散らさせるな」
刹那、彼は目にも止まらぬ速さで駆け出し、セスタスを纏った拳を振るって食屍鬼の首を跳ね飛ばした。穢れた血は法力漲らせるフェルディナントの身には届かず、弾かれて地面へと飛び散った。筋骨隆々の拳を握りしめ、フェルディナントは鋭く叫んだ。
「神に仇為す魔の眷属! 我が前に立ったからには全て灰となって消え失せると覚悟せよ!」




