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029.狂想序曲

「私はギード・ショイアックにございます。今までヴィヴィアン嬢を診させて頂いていた、流れの医者です」


 ショイアックは足取り慎重にディラックへ歩み寄り、そのごつごつした手を取って握りしめた。途端、ディラックは目を細めてショイアックの手を強く握り返し、力強くぶんぶんと振る。ディラックの目は柔らかな光に満ちていた。春のうららかな日差しのように、目を合わせたものを安堵させる雰囲気だ。


「ありがとう、ありがとう。そなたが彼女を長年の間丁寧に看病していたおかげだ。そのお陰で、私の手を彼女へと届かせ、救う事が出来た」

「いやいや、私が出来たのは、せいぜい薬草を煎じ飲ませて差し上げたくらいの事です。私など、彼女の病は不治のものと思っていたくらいで……」


 二人のそばに立って、目をきらきらさせながら交互に二人を見渡しているヴィヴィアン。その姿を、ショイアックはちらりと見遣る。ワインが入っているにしても、これほどに血色がよく、また二の足でしっかりと立つ彼女の姿は見た事が無かった。ディラックは小さく首を振ると、握っていた手を放し、その手のひらをショイアックに見せつけるようにする。釘で穿たれたような傷跡が、手のひらの中心でぐるぐると渦を巻いていた。


「不治の病などは無いのだ。私にかかれば。神に祝福されたこの手を以てすれば、どんな病も一夜の内に直すことが出来る」


 ショイアックは目を白黒させた。両手でディラックの手を取り、まじまじと、吸い込まれそうな痕を見つめる。


「これは、聖痕ではありませんか。この世に降りたる魔を払うため、神が勇士に力を授けてくださったときに、その証として刻み込んだという傷痕」

「その通り。私は神に命じられたのだ。『病みに苦しむ人を救え』と。だから救う。救わなければならない!」


 声を張り上げると、ディラックは再びショイアックの手を強く握りしめた。夏の日差しのようにぎらぎらと光る眼でショイアックの驚いたような顔を見据え、その手に力を籠める。ショイアックが痛みで顔を顰めてしまうくらいに、力強く握る。


「ショイアック殿、貴方は私の同志だ。頼むぞ、頼む。私一人ではこの世にいる全ての人を救う事は叶わない。だが貴方がいれば、私だけよりも、多くの人を救う事が出来るのだ」

「ええ、ええ。私では助けられないような人も貴方が治してくれるとなれば、私も診る張り合いが生まれるというものです。何度、助けようとして助けられない事があったか……」

「同じだ。私も、まだその病み人が生きていたなら。そう思う事が何度あったか……」


 すっかり二人は心を分かち合ったようだった。レオは部屋の壁際に立ち、三人から離れてじっと様子を窺っていた。旅に出ておどおどふらふらと歩みを進めていた彼の姿はようやく薄れ始めた。神代を護る千の騎士を率いる長に相応しい威容を、その厳しい目つきに僅かばかり取り戻していた。


(あれが聖痕というならば、法術か。……フェルディナント様ほどの法力を全て癒すことに傾けたなら、確かに不治と言われた病すら、一夜で治してしまうだろう。……だが)


 二人の手を取り合ったりして、いかにも病を払われた幸せを謳歌している女をちらりと見つめる。彼は決して忘れていなかった。ふわりと漂う、彼女に纏わりついた死臭を。ワインに沁み込んでいた死臭を。


(そうは思えぬ。……魔術ならば、簡単だ。手の傷を偽ればいい。死体を操ればいい。並みの魔術使いでも、その程度の事は造作も無い)


 レオは拳を固める。何としても事と次第を改めなければならない。そう決意した。


「大変だ!」


 決意した矢先、屋敷の外で青年の大きな声が響いた。四人は一斉に窓の方を向き、慌てて駆け寄っていく。窓から見下ろすと、若い青年が、手を振って必死に叫んでいた。


「『黒い外套の男』だ! 黒い外套の男がいる!」




「……これは、どういうことだ?」


 粗末な槍なり、弓なり、農具なりを持った農民達に、ジュード達はまさに囲まれていた。誰も彼も警戒心を剥き出しにして、冷や汗を垂らしながら、必死に顔を顰めている。


「『黒い外套の男』。これ以上、この地に足は踏み入れさせんぞ」

「一体どういう了見だ。私はしがない旅人だ。宿を求めてふらふらしている旅人だ。このように槍衾で出迎えを受ける謂れは無いな」


 ジュードがいかにも気怠そうに首を傾げると、いかにも気に入らないと言いたげに、村人は口々に吠える。


「ふざけるな! 噂は我らにも聞こえている。カメーリエの本城に瘴気を持ち込んだのはお前だ!」

「そのせいで、カメーリエの本城は全て焼き払われたと聞いた!」

「この村も同じくするつもりか!」


 村人達はじりじりと間合いを詰める。懸命だった。自分の命を守るために、なけなしの勇気を奮っていた。そんな彼らの様子を見渡し、困り顔でフランはジュードの横顔を覗き込む。


「あらぁ……あの、とんでもなくマズい感じみたいだけど……」

「ふん。そうかそうか。お前達は、カメーリエの本城を滅ぼした存在に刃向かおうというわけだな。凡百の人間どもが、精強の百を撫で殺しにしてきたバケモノに刃向かおうというわけだ」


 ジュードは懐からナイフを取り出すと、いきなり右手を切りつける。鮮血の代わりにどす黒い闇が飛び出し、茨のように右腕に絡まり蠢き始めた。その禍々しい有様に、村人はどよめきながら数歩後ずさり、後ろでジュードにしがみついているサリッサまで顔を顰めた。しかしそんな彼らには構わず、ジュードは右腕を見せつけるようにしながら歯を剥き出しにする。


「いいぞ? 来るがいいとも。だがお前らは一人残らず鏖殺みなごろしだ。余さず殺してから、悠々と宿に泊めさせてもらう。私には、お前達が生きていようといまいと関係は無いからだ」

「ひっ」


 帽子の影で閃く怜悧な視線に当てられ、槍を持っていた少年は思わず尻餅をついてしまう。他も踏ん張ってはいるが、似たようなものだった。そんな彼らを呆れたような顔で見渡すと、彼は闇を右腕の中に引っ込め、そのまま語気を強める。


「嫌なら宿の一つや二つ貸せ。別にタダで泊めろとは言っていないんだ。お前達はただ何事も無く振舞っていればそれでいい。それで何もかも解決するんだ。お前達にとったら、そいつが一番だろう?」


 もはや逆らう気力など村人達には無かった。蜘蛛の子を散らすように、すごすごと退散する。本当に、まるで何事も無かったかのように冬囲いの支度を再開してしまった。そんな彼らの姿を見渡し、サリッサは一つ溜め息をつく。


「また恫喝ですか?」

「恫喝には恫喝で返すのが礼儀というものだ。ならず者に恫喝するのがいけない」


 悪びれもせず応えると、ジュードは馬を再びゆるりと歩かせ始める。


 既に日は傾きかけ、跳梁跋扈する狂想の夜は、静かに静かに近づいていた。

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10くらい?:法術

この世界には法術と魔術がある。法術は要するに光魔法。何か尊い力である。魔術は要するに闇魔法。外法、汚いさすが汚い。ちなみに法術は◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆であり魔術は◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆であるのだが、この世界にその事実を知っている者はほとんどいないのでここでも説明しない。


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