002.冬のハンター
静寂が甦った。獣に蹂躙された人々がクズの様に転がり、ジュードに蹂躙された獣がゴミの様に転がっている。地獄の沙汰を一通り見渡すと、男は銃を収めて溜め息をつく。その視線は、唇さえ青くして震えるサリッサに注がれていた。
「終わったぞ。お客さん」
振り返り、ジュードは彼女に向かって言い放つ。呆然と彼が怪物を圧倒する様を見つめていた娘は、ジュードに見据えられてハッとなった。蛇に睨まれた蛙のように、その場で身体が竦んで動けなくなる。赤黒い瞳が、かたかた震えるまだあどけなさを残した少女の姿を映していた。
「あ、あう、あう……」
一気にサリッサの背筋が凍った。この村を襲った狼竜を全部軽々捻り潰したこの男の脅威は、狼竜全部を足した分よりなお余る。サリッサは震えが止まらなくなった。
「お客さん」
「ひっ」
身体を捧げろ。彼の言葉が俄かに娘の脳裏で反響する。娘は呻く。ただ抱かれるだけとは思えなかった。街の娼婦も真っ青の、拷問紛いの事をされるかもしれないと思った。娶った女を殺しつづける怪物のような男を描いた寓話もある。まさか殺しはされまいが、死にたいような目には遭うかもしれない。そもそも、彼女は男を知らない。
サリッサはいよいよ震えが止まらなくなった。そんな姿を見つめ、ジュードは困ったように肩を竦める。
「どうした。助けてやったんだ。何かすべき事があるんじゃないのか」
風が吹き、血や臓物の臭いが押し寄せる。思わずむせかえるような臭いを嗅がされて、娘は吐いた。胃の中身が空になるまで吐いた。心臓が早鐘を打ち、額に脂汗が浮かぶ。じっとりと実感がまとわりついてくる。父は死んだ。母も死んだ。兄も死んだ。婚約者もだ。彼女には、惨劇の跡しか残されていなかった。
悲劇に抗う術も無し。サリッサは、もう何もかもがどうでもよくなった。一夜くらいなんだ。もう自分の身体さえ、彼女にとって失って困るようなものではなかった。震える口元に歪んだ笑みを浮かべ、すっかり光を失った目で、鬼のように仁王立ちするジュードを真っ直ぐに見上げた。
「そうですね……約束してしまったんだから仕方ありません。どうぞお好きになさってください。今更逃げも隠れも致しません」
「あ?」
男は娘を見つめると、呆れたように溜め息をつく。男の無気力かつ蔑み交じった視線に、思わず娘はきょとんとする。
「……馬鹿者め。本当に抱くわけが無いだろう」
「はぁ」
「肝の据わってしまった女を抱いてどうする。ついでに目も据わってるときたら最悪だ。ぴくりとも反応しやがらん。こっちの気まで萎えてくる。壁と交わる方がまだマシだ」
「……壁と? 一体どのように交わるのですか」
「モノの喩えだ、馬鹿。この世界の女は冗談というものを中々解さんから、なおつまらん」
「じゃ、じゃあ。どうして身体を差し出せなどと言ったのですか」
おもむろに立ち上がり、娘は男におずおずと尋ねる。とっくに男は娘に背を向け、広場の跡に向かって歩き出していた。
「何をしてでも生き延びてやろうと、意地汚く思える人間か図るためだ。村を滅ぼされて生き残りは一人だけ。そんな状況に置かれた女が、生き残るための手段を迷うようでは先が知れる。そんなに気高い人間は、家族と一緒に獣の餌にでもなっていた方が幸せだ」
飛び散った肉塊や臓腑を事もなげに見渡し、男は淡々と呟く。血の池の脇に転がっていたパンを拾い上げると、男は血を絞り、砂を払って頬張った。その姿に、改めて娘は戦慄する。青褪め、めまいを感じてよろめく。横目でそんな彼女をちらりと見遣り、男は肩を竦めた。
「強気に挑発するかと思えば今度はふらふらして、忙しい女だなお前は。わからんか。これからお前が歩むかもしれん道だぞ」
「ひ、ひえ……え……」
娘は言葉を失ってへたり込む。そのそばには生首が転がっていた。それを見た娘は息を呑んだ。その生首は、この収穫祭の最後に、婚礼の儀を彼女と共に挙げるはずだった、婚約者のモノだった。絶望に見開かれた眼窩から片目が飛び出し、横に転がっている。顎は砕けて無残な形に変わり果てていた。ほんの少し前まで、共に笑い合っていたはずの青年。
思わず娘は生首を抱き寄せ、蚊の鳴くような声で呻いた。平凡な世界が悉く壊れたことに気付いて泣いた。肩を震わせて、親に見捨てられた子どもの様に泣いた。何度も息を詰まらせ、溢れてくる涙を拭う事もしないで。
その様子をひとしきり眺めていた男は、不意に拳銃を抜き放つ。
「死にたくなったか。それならそれで今すぐ殺してやるが?」
娘は銃口を向けられる。死ねば、青年と同じところに行けるのだろうか。親と同じところに、兄弟と同じところに。娘は辺りを見渡す。肉塊と化して、無残に散らばる亡骸。惨たらしい。汚らしい。醜い。死は、今の彼女にとっておぞましいものでしかなかった。目を見開き、娘はひたすらに首を振った。
「死にたく……ない。死にたく、ない」
「重畳。ならば生かしてやる。そんなモノに構ってないで早く来い」
「モノ……」
男の情け容赦ない言葉に、娘は言葉を失う。背を向けたまま、男はじっくり頷いた。
「そうだ。モノだ。お前が今いるのは地獄の一丁目だ。少しでも足を止めたら血と硫黄の池に足を取られて溺れるぞ。来い。金を掻き集めてここを発つ」
「……わかりました」
娘はもう言いなりになるしかなかった。この地獄から自分を引き揚げてくれるのは、彼しかいないに違いなかったからだ。
「さっさとするぞ。『狩人』が来る」
男は月が降りていく山の方角を見つめる。橙色の光が、ちらちらと山の上に瞬いていた。
ピンカートンキャラ覚書
2.サリッサ
花も恥じらう16歳。でも婿は結婚前に死んだ。代わりになんかおっかない探偵とかいう存在がやってきて助けられた。ついでになんだかんだあって気に入られる。茶髪緑眼、肌も白くて村に置いとくにはもったい無いくらいの美人。でも胸は無い。ナントカはまだある。