028.奇妙奇天烈摩訶不思議
石で舗装された立派な街道を、二頭の馬が並んで南下していた。片方はたおやかな雰囲気の女を、もう片方は煙草をふかす黒い外套の男とあどけなさを顔に残す娘を乗せて、ぱかぱかと軽快な足取りで歩いていた。
「もうすぐウェステンラ家の領地ですねぇ」
先頭を行くフランは、視界の彼方に見えてきた小高い丘と屋敷を捉えた。赤く塗られた屋根が、その屋敷こそウェステンラ家のものであることを知らしめている。彼女の言葉につられて屋敷を見つめたジュードは、煙をたっぷりと吐き出して頷く。
遠目に見る限りは、畑は荒らされた様子もなく綺麗に片付けられ、家々も、無事なまま冬の始まる荒涼な草原に点在していた。
「思ったよりはまだ綺麗だな。とっくに焼き尽くされててもおかしくないと思ったが」
「仮に貴方の言う狂信者が張っているなら、むしろこの地を焦土に変えたりはしないと思いますよぉ」
「そうですね。この地は、西はレーヴェ司教領、北はドラッヘ公領、東はエル・レムス帝国の皇帝世襲領地、南はエンゲル司教領に繋がってるんですもんね。いわば交通の要衝ですよ」
無気力にぼそぼそ呟くジュードを尻目にフランがにんまりと得意げな顔をすると、サリッサもフランに負けじとつらつら喋ってのける。軽く胸を張っているサリッサの方は見ようともせず、ジュードはただ眉をひそめる。
「……そんな事は知っている」
「そう、ですよね」
サリッサはしょんぼりしてうなだれる。
「まあいい。狂信者がここを焼き払いにかからんという事は、狂信者がここを焼き払わないようにする理由があるという事だ」
ジュードは眉間に皺を寄せると、馬の腹を蹴ってその脚を速めさせる。その目は真っ直ぐ、彼方に見える屋敷だけを捉えていた。
「待っていろ狂信者。お前には色々と訊かねばならない事がある」
石造りの廊下を、壮年の貴族が一人、供回りを連れていそいそと歩いていた。人の良さそうな丸い顔立ちに恰幅の良い体格。彼の名はジョン・ウェステンラ。交通の要衝を押さえる領主、ウェステンラ家の当主であった。城の一際大きな門の前に辿り着くと、そこに控えていた兵士が素早く門を開け放つ。
柊のように細く鋭い青年が、眉間に皺を寄せたような、むっとした顔でデスクの前に立っていた。その横には、とても聖職者とは、老人とは思えない筋骨隆々の体格をした男の姿。二人の姿を人好きのする丸い目に認めた瞬間、ウェステンラの顔は青くなる。
「御足労感謝する、ウェステンラ殿」
「え、ええ。呼ばれたからには急ぎで参ります。そ、それで……あの、レーヴェ大司教様まで、いらっしゃるのは、何故なのですか」
ウェステンラの声が震える。自分の目の前に神の教えの番人が現れたという事は、自分の治める地に最大の危機が迫っているに等しいからだ。その予感を裏付けするように、フェルディナントは鬼のような形相のまま、つかつかとウェステンラの方へ近づいていく。
「十日ほど前、我々の観測官がお前達の領地に中程度の瘴気の発生を認めている。直ちに私はレーヴェ聖騎士団をウェステンラへ向かわせ、調査に当たりたいと考えている」
「ちょ、調査! 待ってください! 調査とは何をするつもりなのです!」
「瘴気発生点の確定だ。瘴気の発生点を改め、その地点を徹底的に浄化する。神の炎で焼き続け、残った灰に塩を撒く。それによって瘴気を絶つ」
泡を食って叫ぶウェステンラに向かって、フェルディナントは淡々と言い放つ。ウェステンラは、とうとう唇まで青くした。
「そ、そんな事をすればその場所はこれから何も耕せなくなってしまいます!」
「瘴気を放つ大地の実りを喰らったところで、神は怒り、貴様らの手足は焼かれて腐る。そんな事もわからないか、ジョン・ウェステンラ」
「……それは」
「分かったかウェステンラ。それに、今を放置すれば瘴気の影響の及ぶ範囲はますます広まり、畑の一つや二つどころか、お前の治める地全てを焼き払う事になるぞ。それでも良いのか」
「……承りました。全てレーヴェ大司教フェルディナント様のご意向に従い申し上げます」
フェルディナントの眼光に当てられ、とうとうウェステンラは折れた。肩をがっくりと落とし、眼を合わせる事も出来ぬまま、右手を挙げて服従の姿勢を取る。その姿をフェルディナントの後ろで見ていた青年――ナルツィッセ伯は小さく微笑む。
「心配はするな。フェルディナント様も鬼ではない。我々の方から相応の補填はするつもりだ。何故瘴気が発生する事になったか、それをじっくりと訊かせてもらってから、になるがな」
「う、疑っているのですか、私を!」
ナルツィッセ伯はふと笑みを吹き消した。眼差しに柊の葉先のように尖った光が宿る。若くして伯位を受け継ぎ、周囲と渡り合ってきた実力者の強さだった。
「疑わなければならない段階に来ておりますので。……『プロフェティア』、神出鬼没の狂った異端。その意図はわかりませんが、その恐るべき力を野放図に貸し出しているんですから」
「こんにちは。私の名はディラックと申します。敬虔なる神の徒、にございます」
ウェステンラ邸、その客間で本を読みふけっていた、顎髭を長く伸ばしたその男。彼はレオとショイアックに出会うなり、おもむろに立ち上がって深々頭を下げる。ショイアックは戸惑ったように彼の姿を見やり、レオはますます表情を硬くする。
悪魔は常に、神を装う。




