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027.模細工

「どうぞ、どうぞ。こちらに。ああ、夢みたいです。貴方を立って迎え入れる事が出来る日が来るなんて」


 とにかく弾んだ声色で、ヴィヴィアンは屋敷の応接室へとショイアックとレオを迎え入れた。小間使いの少女が幾つかのグラスと一瓶のワインを盆に載せて現れ、テーブルへと載せる。話が違うレオはもちろん、ショイアックも彼女の様子を呆然と見つめていた。


「ほ、本当に御加減はよろしいのですか。お酒までお召しに?」

「ええ。とにかくそこへお掛けになってくださいな。積もる話ばかりですから」

「え、ええ……」


 ヴィヴィアンはくるりと身を翻して小さな円卓の方へと歩いていく。栗色の髪がふわりと揺れて、花の香りを飛ばす。男ならばそれだけで惚れ惚れしてしまいそうな匂いだ。伸びのある優雅な仕草も、男の目を惹いて離さない。情欲などとは縁遠い世界で生きていたはずの、レオの目すら。

 しかしそれが、悲嘆にくれただ呆けているだけだったレオにほんの僅かな違和感を抱かせる。鼻腔をくすぐる死地の臭い。墓場に漂う、生者の持たない生臭さ。花の香りに混じって、レオは感じたのである。


「さあ、どうぞお掛けになって?」


 椅子に腰を下ろすと、真紅のワインを自ら杯に注ぎながらヴィヴィアンは微笑みかけてきた。一瞬の生臭さのその間に消え去る。気のせいか。レオはそう思うことにした。


「……かたじけない」


 レオはそっと歩み寄ると、そろそろと椅子へ腰を下ろした。彼の眼の前に置かれた杯にも、ヴィヴィアンは並々とワインを注いでいく。


「さあ、この地で作ったワインです。どうぞお召しになってください」

「あ、ああ」


 戸惑いながら、レオはそっと手を伸ばして杯を取る。深紅に輝く液体は、彼の何かに怯えたような目をはっきりと映している。杯の向こうでは、ヴィヴィアンが僅かに身を乗り出して、期待に満ちたような眼差しをしてレオの事を見つめていた。隣ではショイアックが静かに杯を傾けている。レオもヴィヴィアンの視線に促されるまま、杯を口元へ近づけていく。

 しかし、レオはまたしても感じた。ワインから、鼻をつく腐ったような臭いを。彼の直感が、本能がこれを飲むことは許されないと告げているかのようだった。レオは口を閉ざし、そっと杯を置く。


「いや、申し訳ないがやめておこう。今私は遍歴学生のような身分だ。聖別されていないような酒を口にするわけにはいかないだろう」


 言った瞬間、ちらりとヴィヴィアンの眼の色が変わった気がした。口元は笑っているが、眼は明らかに機嫌を損ねたような雰囲気だ。ただ、このワインを飲むと取り返しがつかない事になるという不安はいよいよ増してくる。


「申し訳ない。これでも聖職者の端くれなのだ。神の御心に従う者として、常に気を引き締める必要がある」

「なるほど……そういう事でしたら、仕方がありませんね」

「気にしないでくれ。むしろお気遣いに背くような真似をして申し訳ない」


 言いつつ、レオは今一度ヴィヴィアンの様子を窺う。眉が下がり、いかにも申し訳なさそうな顔をしているが、やはり目はほんの僅かだが、怒りが透けているような気がした。横目にショイアックを見る。彼は既にワインを飲み干し、一息ついたところだった。


「しかし、すっかりお加減がよろしくなられたようで」

「ええ。あのお医者様がすっかり治してくださったのです。今年の発作はひどくて、もうじきこの命も尽きるものかと思っていました。ですが、あのディラック様がいらして、一晩私のそばについていてくださっただけで、この通りです。本当に、奇跡です!」

「……ええ、本当に奇跡だ。どんな術を施したのだろうか。医者としては、ぜひとも話をお聞かせ願いたいものだ」


 ショイアックは半信半疑といった声色だったが、現にヴィヴィアンがぴんぴんとしているとなればディラックという黒髪の男が為した業を疑うというわけにもいかなかった。ヴィヴィアンはワインでさらに朱の差した顔で満面の笑みを浮かべ、おもむろに立ち上がる。


「それならすぐに参りましょうよ。あの方も同業者とお話が出来るとなればきっとお喜びになるはずですよ」

「そうですか。ならば、会わせていただきましょうかね」

「……私も、お目にかかりたい」


 ショイアックが立ち上がりかけた横で、レオは不意に立ち上がった。その目はそれまで失われていたはずの力強い光が、僅かに戻っていた。対してヴィヴィアンの眼はうっすら泳ぎ、それから再び笑みを作る。


「ええ、きっと貴方の事も歓迎してくださいますよ」

「ああ。かたじけない」


 ヴィヴィアンはちらりと会釈し、それからショイアックを連れて歩き出す。その後に従いながら、レオは表情をこっそり引き締める。傍に有るだけで病を治す。それは明らかに神の所業だった。だがすでに神は天へと還った。この大地にいるのは、神に成りすまして奇跡を偽る悪魔だけだ。


「悪魔は常に神を名乗る」


 槍を持てぬ心細さはあったが、それでも神に仕えるものとして、黙って見過ごすわけにはいかなかった。




ピンカートンキャラ覚書

11.ヴィヴィアン・ウェステンラ

花の匂いがするんだか死体みたいな臭いがするんだかわからない女(レオ談)。

詳しくはブラム・ストーカーを読め。


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