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025.朝顔

 レーヴェ聖騎士団長レオ。今や彼は平原の真ん中で途方に暮れていた。レーヴェ大聖堂の前に生まれて間もなく捨てられて以来、彼は神書を読み、槍を握り、馬で駆ける生活しか知らなかった。しかし、フェルディナントは見事にそれを三つとも奪い去ってしまった。


『神書を読んで理解するな。心によって理解せよ』

 と、神書を取り上げられた。


『神の御業に縋るな。自らが神の御業となれ』

 と、法儀礼の施された槍を取り上げられた。


『自らの足で神の大地を踏みしめよ。神の有難みを今一度知れ』

 と、ついには愛馬とともに行く事さえ許されなかった。


 かくして、レオは幾らかの路銀と短剣だけ持たされ、粗末な旅装を着せられて、彼の世界の全てだったレーヴェ大聖堂から追い出されてしまったのである。


「大司教殿……遍歴せよなどと言われましても。持てるもの全てを取り上げられた私に、一体何が為せるというのですか……」


 あても無くただ街道を進み、か細い口調で呟く。集落らしい集落も見当たらず、ちびちび食べて来た一斤の固いパンもついに食べきってしまいそうになっていた。昨日見つけた川で飲んだきりだ。空からは木枯らしが激しく吹き降ろして、容赦なくレオの体力を奪っていく。飢えと渇きで足取りは悪く、かつての聖騎士が情けない有様だった。


(情けない。虚仮威しか、そうか。私は聖騎士であったのではなく、聖騎士を着込んでいただけか)


 心の奥にも捨て鉢な思いが燻り始める。聖騎士でなくなった自分は旅する事さえままならない。自分で自分自身に呆れ果てていた。頭の中で、悪魔と大司教の、自分を責める言葉がぐるぐると駆け巡る。それを跳ね飛ばす気力など、既に無くなっていた。

 そんな有様だから、背後から騎馬が歩いてくる事にも気づけない。石を敷かれた街道を鳴らす蹄鉄の音さえ、彼の耳には届いていなかったのだ。


「もし。もし!」

「は! な、何でございましょうか!」


 後ろから大声で呼びかけられる。レオはつい昔の癖で街道の脇へと避け、頭を深々下げる。乗り手はそんな彼の前で馬を止め、いかにも不思議そうな声で呼びかける。


「いや、何と言われましても……やたら足取りが重いので、身体でも悪いのかと気になったのですよ」


 見上げると、上等な服を着込んだ、貴族然とした初老の男がレオの事をじっと見下ろしていた。髪も髭も灰色で、柔らかな眼差しと共に、彼に落ち着いたような印象を与えていた。大聖堂を追い払われて困窮している、などとは言えず、レオは伏し目がちに首を振った。


「そういうわけでは……ありませぬ」

「そうですか? ですが体調万全とも見えませんな。これからこの先にある村へ向かうつもりなのですが、一緒に参りませんか」

「いや……それは……」


 そんなわけにはいかない。レオの肚の奥底に残った意地が、男の好意をはねつけようとする。だが、その意地も、やがて空腹と渇きが拭い去ってしまった。眩暈さえも感じてふらついたレオは、逡巡の果てに小さく頷いた。


「……かたじけない。その厚意に感謝させて頂く」




 数刻の後に辿り着いたのは、小高い丘の上に建つ白い屋敷が目立つ、小さな集落だった。既に畑の刈り取りは終わり、村人達は冬囲いの支度を進めていた。森から掻き集めて来たドングリを牛や豚にたっぷり食べさせる者もいれば、畑の上で藁を燃している者もいる。レオにとって村の暮らしを実際に目の当たりにするのは初めてであり、彼はまじまじと村人の様子を眺めていた。

 そのうち、数人の村人が馬に乗った男の事に気付き、慌ただしく駆け寄ってくる。その顔はいかにも嬉しそうにほころんでいる。


「ショイアック殿! ショイアック殿ではありませんか!」

「やあやあ。皆壮健そうで何よりだ。今年の麦の実りはいかほどであったかな」


 ショイアックと呼ばれた男は笑みを浮かべて頷き、馬の足を止めて集まってきた村人の顔を見渡した。腰の曲がった老人から、まだまだあどけない盛りの子どもまで、揃って彼を慕っているようだった。


「上々にございます。今年は満足して冬を越すことが出来るでしょう」

「そうかそうか。病を得たものはいるかね。ヴィヴィアン様を診てからになるが、診させてもらうよ」

「ありがたい話です。北のジャックが少々風邪をこじらせてしまっています。診てやってください」

「善し善し。任せておけ」


 ショイアックが老人に向かってにっと笑って見せると、間髪置かずに村人の前に乗り出してきた幼子がレオの事を指差した。


「おじさん、後ろに乗ってる人は誰?」

「ここに来る途中で会ったんだ。旅をしているらしいぞ」

「ふうん」

「後でお話を聞かせてもらおうな。じゃあ、また後で」


 ショイアックは村人が伸ばしてきた手をいちいち取りながら、馬を緩やかに歩ませ屋敷へと向かう。そんな彼の姿をただただ驚いたような目で見つめていたレオは、村人から離れた後でぽつりと尋ねる。


「貴方は、一体何者なのです?」

「ギード・ショイアック。僭越ながら、医者として諸国を遍歴させて頂いている者ですよ」




ピンカートンキャラ覚書

10.レオ

最初は勇ましかったものの二章始まった瞬間にジュードに心折られちゃった悲しい主人公。金髪碧眼の美青年だがどうにもヘタレ。一応槍持てば強いけど。

ここからどう成長していくかが作者の腕の見せ所でもある。

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