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022.葡萄

「はああっ!」


 レオの鋭い雄叫びと共に、大きく弧を描いた槍の穂先が稽古相手の胸をひしと捕らえる。相手は息を詰まらせ、もんどり打って硬い石畳の上に倒れこんだ。足をふらつかせてまともに起き上がる事も出来ない彼を見下ろすと、レオは唸って舌打ちする。その眼元には深い隈が刻まれ、憑かれたような相を呈していた。


「退け! 次だ!」


 稽古場一帯に響く彼の言葉に突き動かされ、何度も足を縺れさせながら騎士は稽古場の隅へと逃げていく。入れ替わりにまた別の騎士が進み出て、レオと斬り結び始める。


「いてぇ……血が滲んでやがら」

「これでも塗っとけ、パウルスに比べれば大したことない」

「あいつ手の甲折れちまったもんな……団長最近やり過ぎなんだよ」


 傷口に傷薬を塗りたくりながら、突き倒された騎士が呆れ顔で呟く。最近の聖騎士団長は、槍捌きが苛立ちに任せた荒々しいものになっていた。その犠牲になった部下達はもう数知れない。だが、鬼気迫る雰囲気の彼に向かって文句を言える部下もいなかった。

 やがて、新たにかかっていった騎士も槍を支えに荒々しく投げ倒される。レオは肩で息をしながら、それでも稽古を止めようとしなかった。


「次こい!」


「次だ!」


「次!」


 そんな姿をバルコニーから困ったような顔で見つめていたのは、レーヴェ大司教フェルディナントだった。齢五十にして未だ頑健な体格を保った彼は、それと似合わぬ柔らかい表情で、聖職者見習いのヨハンと言葉を交わす。


「レオの奴め、すっかり気が逸っている。あれでは怪我人が増えるだけだ」

「レオ殿らしくありませんね。やはりカメーリエ遠征での一件を引きずっていらっしゃるのでしょうか」

「そうだろうな。あれほど青褪めたレオの顔、私は見た事が無かった」


 カメーリエへの遠征からまさに『とぼとぼ』と戻ってきたレオの顔は、フェルディナントの脳裏に強く焼きついていた。虚ろな目をして、唇を血が滲むほど噛みしめて、彼は悪魔が現れたとだけ報告した。地獄から悪魔が這いずり出てきた、とだけ。

 そのまま三日間兵舎の自室に引きこもっていたかと思えばこの稽古の有り様である。突き動かされるかのように槍を振り回し、部下に容赦なく一撃を叩き込み続けるのだ。部下の口から不満が漏れるのも、一度や二度の事ではなくなりつつあった。フェルディナントは唸る。


「『プロフェティア』が現われ、世に看過しきれぬほどの瘴気が満ちつつある今、一刻の猶予も無し」


 フェルディナントの目から慈愛の光が消える。代わりに顕になったのは、神の恵みを穢す魔への怒りだった。肩を怒らせ、鋼のように固い口調でヨハンに告げる。


「少し状況を改めなければならない時が来たかもしれないな。ヨハン。後ほど、レオを政務室へと呼んでこい」

「わ、わかりました。お任せください」


 フェルディナントの鋭い視線に当てられ、ヨハンは少女にも見えるその顔を強張らせ、縮こまりながら頷いた。立ち去るフェルディナントの大きな背中を見送り、ヨハンはそれからぎこちなく振り返って、広場でなおも槍を構えて立つレオの横顔を見つめる。彼は闘技場に放り込まれた獅子のように鬼気迫り、ぼろぼろで立ち上がることも出来ない部下達の姿を見下ろしていた。あれに話しかけると思うと、ヨハンの痩せた肩はぶるりと震えてしまう。


「あひぃ……大司教も無茶ばかり言うんだから……」




 一時間ほど過ぎた頃、勇気を振り絞ったヨハンに大司教からの言伝を受けたレオは政務室へと向かっていた。自分にも無理を強い続ける無茶な訓練のために、彼もまた自分の身が自分のものでないかのような激しい違和感を引きずるようになっていた。


「大司教殿。聖騎士団長レオ、ただいま参りました」


 三度扉をノックし、レオは声を張り上げる。小さく『入れ』と言葉が返り、レオは正立して静かに扉を開く。中に入ると、いつも以上に羊皮紙の山や本に囲まれ、ほとんど姿も見えないほどになっているフェルディナントが、目から上だけを羊皮紙の壁から覗かせていた。


「来たかレオ。……最近は馬鹿に稽古に励んでいるじゃないか。本当に、馬鹿みたいにな」


 皮肉を隠そうともしないフェルディナントの言葉に、レオは拳を固く握りしめる。ゆらゆらと朧げな姿で立ち、彼を簡単に圧倒して打ちのめしてしまった悪魔の姿が脳裏に蘇った。頬を引きつらせ、レオは掠れた声で呻く。


「今まで通りに稽古などしていては、あの悪魔を滅する事など出来ぬのです。あれは今までの瘴気を吸っただけの化け物ではない。地獄から現れた本物の魔なのです」

「黙れ! 愚か者め!」


 フェルディナントは机を割らんばかりの勢いで拳を叩きつけ、ぬっと立ち上がる。激しい気勢に押されて、レオは思わず息を呑んでしまった。フェルディナントは顰め面のまま、一歩一歩を踏みしめてレオへと迫っていく。


「稽古が足らぬ足らないの話ではない。今のお前は臆病風に吹かれているだけだ。こんな老いぼれが声を張り上げたくらいで女のように慄く。その脆弱な心が、精神が! お前を敗北せしめたのだ!」


『お前など嫌いだ。虚仮威しばかりの臆病者め』


 フェルディナントの言葉に、レオは思わず悪魔の嘲りを思い出す。レオは血色を失い、俯くことしか出来なかった。そんな彼に向かって、フェルディナントは追い討ちのような言葉をぶつける。


「レオ。お前は今日をもって聖騎士団長の任を一時解く。今のお前に聖騎士団を任せることは出来ない」

「大司教殿、何を仰るのです」


 レオは足元が崩れ去るような感覚を味わい、口をわなわなと震わせた。そんな彼に、フェルディナントは一切の情けをかけずに追い打ちを掛ける。


「何をも何もない。お前には修練が足らんのだ。神の刃となる事に対する魂の修練が。聖騎士団は私自らが預かる。お前は今すぐ荷物を纏め、遍歴の任につけ! 自分の目で瘴気に包まれゆく世界の有り様を見つめ、神の刃として戦う事の意味をもう一度定めるのだ!」

「……委細承知」


 レオには頷くことしか出来なかった。何を言い返すことも出来なかった。師にも悪魔にも詰られ、いかにも惨め、暗澹たる思いであった。

ピンカートンキャラ覚書

7.ヨハン

レーヴェ大司教の元で司祭となるべく修行を積む青年。少々気弱、背も小さく細身、顔立ちも穏やかとともすれば少女とも見紛う外見の持ち主。要は男の娘。気づいたら女キャラがヒロインただ一人で彩りがなさ過ぎることに気がついた作者の配慮によりこんな外見となった。最初から女出せ。

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