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021.夜

 事務所の窓に背で寄りかかり、ジュードはぼんやりとタバコをふかしていた。目の前にいる同僚達も、トランプ賭け事に興じたり、柱に向かってナイフでダーツしたりと、思い思いに好き勝手やっていた。船工場での大掛かりなスト破りを成功させた彼らは、仕事を終えた脱力感のお陰で大いに暇を感じていたのである。彼らこそはピンカートン探偵社、セイラム支部の荒くれ探偵達であった。


「退屈だ! 退屈だぞ、ハーベィ!」


 カード遊びに興じていた赤髪の男が、舌打ちしながらカードをテーブルに放り出した。スリーカード。向かい合っていた頬に傷持つ男は、唸りながら机に広げられていた硬貨を男に向かってじゃらじゃらと押し出す。


「お前は勝ってるからいいじゃねえか! 狡い手ボコボコ投げやがって! 元イカサマ師の誇りってのはねえのか?」

「イカサマ師としての誇りがあるからイカサマみたいな手で上がるんだろうが? 手前みたいに負けて負けてボロンボロンの真っ赤っかになってる相手にイカサマでデカい手叩きつけるのがバレねえし一番効くんだ」

「ああ? 俺が真っ赤っかだってのか!」


 傷持ち男は吼えてテーブルを殴りつけた。ナイフ遊びに興じていた男は、柱に突き刺さったナイフを抜きながらぼそりと呟く。


「鏡見ろよ」

「ちくしょう、舐めやがって! ああつまんねぇつまんねぇ。すっかり大人しくなりやがって。もうちょっとくらい暴れられっと思ったんだがな! あの工場連中め」


 カードをテーブル中にぶちまけ、男はソファに深くもたれかかってがあがあ鵞鳥のように文句を垂れる。街でも指折りの荒くれ者ハーベィは、一日一遍は誰かをぶん殴らなければ気が済まないような性格だった。


「ちょっとばかりハメすぎたかもしれないな。早く崩しすぎた」


 『元』街一番のイカサマ師アーサーも、一日一遍は誰かをだまくらかさなければ落ち着かないような奴だった。かくして互いに趣味の喰い合いになるアーサーとハーベィは、毎度仕事のたびに苛々を溜め合い、不満をぶつけ合うのである。


「そうだ! 適当な事やりやがって! すぐに奴ら萎えちまったじゃねえか!」

「お前こそ適当に殴り込み過ぎだ! もうちょっとであいつら勝手にバラバラになったかもしれねえってのに!」

「ああ? やんのか! 殴り合いだったらお前ボコボコだぞ!」

「あまり舐めるなよ! 馬鹿力だけで俺に勝てると思ったら――」


 アーサーとハーベィが掴み合いになろうかという時、ナイフを弄んでいた男が二人の間に割って入り、木のテーブルに鋭くナイフを突き立てた。鈍い音と共に、酒の入ったグラスやトランプが舞い上がる。黒髪長髪の男は街一番のナイフ使いヴィンセント。苛立つと何かを切りつけたくて仕方が無くなる男だった。


「煩いぞ二人とも。少しは黙っていられないのか」

「や、やめろ……落ち着け……」


 ヴィンセントに睨まれ、アーサーとハーベィは仕方なく引き下がる。普段から変わる事の無い光景だった。ひとしきり観終えたジュードは、煙草を灰皿に押し付けて立ち上がる。くたびれた黒いトレンチコートを取り、のろのろと羽織りながら事務所の中を横切っていく。幽霊のように覇気無く歩いていると、アーサー達が背中へ声をぶつけた。


「どうした? どこか行くのか、ジュード」

「ああ。少し外の空気を吸う」

「外って……何だ? またあいつかー? あの可愛げ無い女でも見に行く気か?」

「やめとけやめとけ。どんなにしたってあいつはお前に股なんか開かねえぞ。行くだけ無駄だ」


 男達はからかうようにジュードに声を投げつけるが、彼は気にも留めなかった。ジュードは、別に彼女(・・)の股座に潜り込もうとは思っていなかったからだ。事務所の外に出て、彼は新しい煙草に火をつける。外だろうが中だろうが、彼にとっての空気はいつも煙に塗れていた。その目から見える世界も、いつも薄汚れていた。底辺の人間をゴミの様に見ている人間の味方になって、底辺の人間をゴミの様に踏み潰すのが仕事だった。昔からジュードはそんなゴミだった。

 そんな自分の人生に疑いを持った事も無かった。ゴミはゴミらしく、ゲラゲラと笑いながら泥に塗れていればいいと思っていた。だが、彼女(・・)がそんな思いを粉々に打ち砕いてしまった。


「……はい、皆さん今日は十ページから二十ページまでを……」


 窓越しに凛とした声が届く。子どもの声が彼女の声の後に従って響いてくる。ジュードは足を止め、こっそりと窓の向こう側に目を向ける。丁度、彼女の姿が見えた。ウェーブかかったブロンドの髪を腰まで伸ばし、澄んだ碧眼で子ども達を見渡し微笑んでいる。慈愛に満ちた雰囲気は、まるで聖女のようだった。

 だがそれだけでは無かった。彼女――シャーロット・ウィンスロップは精神に堅い芯を持った女だった。ジュードの左手は、自然と自らの頬へと伸びていく。叩かれた瞬間の感触が、今でもありありと甦ってくる。その一撃に、彼はある種の絶望めいたものを粉々に打ち砕かれたのだ。


「ガキか。俺は」


 僅かに熱を持つ頬を叩いて自嘲気味に呟いた時、不意にシャーロットがジュードの方を振り向いた。ジュードは思わずびくりと震える。探偵だというのに、気付かれた。恥じてますます顔が赤くなる。そんな彼を半ばからかうみたいに、彼女はやんわりと微笑む。


「どうしたんですか、ジュードさん」

「あ、俺は……いや、私は、……その……」


 しどろもどろしている間に、シャーロットの姿は目の前から消え、いつの間にか彼の横に迫っていた。そっと彼女は彼の耳元に口を寄せ、静かに囁く。


「どうしたんですかぁ? 行きますよ……?」

「……ん?」




 瞬間、ジュードは目を開いた。辺りを遠く見渡すと空は東雲に染まり、隣に目を向けると茶髪緑眼の少女がおどおどした様子で彼を窺っていた。次第に我へ帰り始め、ジュードは顔を顰める。それを不機嫌と受け取ったサリッサは、慌てて小さくなる。


「ご、ごめんなさい。私よりも遅くまで寝てるなんて、珍しいと思ったので……」


 眉間に皺を寄せたまま、ジュードはむくりと起き上がる。全身に付いた草を払い、ジュードは肩を竦める。


「いい、別に。さっさと行くぞ」

「は、はい」


 歩き出したジュードの背中を、サリッサは慌てて追いかける。彼女には、朝日へ向かって歩く彼の背中が、普段よりも小さく見えていた。



ピンカートンキャラ覚書

20.シャーロット

ジュードがかつていた世界にいた美人で芯の強い女教師。彼女がこの先話に関わってくる機会はあるのだろうか……?

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