015.プリンキピア
「はははははっ! 出てこいクランズマン!」
広間は悲鳴無き地獄と化していた。ジュードは自由自在に形を変える右腕を縄のように振り回し、十字架を突き刺された兵士達の首を絡め取って引き寄せ、左手に持った銃を脳天に突き付けぶち抜いてしまう。脳漿が血塗れになって飛び散り、それは疑いようもなくくたばった。肉塊はそのまま壁に叩きつけられ、骨が飛び出し鮮血に塗れた剣山のようになる。
しかし、脳みそを掻き回され生ける屍となってしまった兵士達は仲間がどうなろうとも動じない。仲間の血と臓物を浴びながら、それでもジュードへ槍を向け迫ってくる。ジュードが目の前の敵の胴を潰して背後へ翻った瞬間、彼の腹に兵士のランスが突き立てられた。
ジュードは一瞬目を見開いたが、直ぐにその場へ踏ん張り、槍の先を右手で握りしめた。刹那、闇で出来た腕は赤々と燃え上がり、槍を赤熱して溶かし、兵士の身体さえも炎に包む。その場で身を引きつらせた兵士は、そのままボロボロの炭になって崩れ落ちた。辛うじて形を残す頭を踏んでばらばらにし、ジュードは血走った眼で周囲を見渡し叫んだ。
「俺はここだ。貴様を殺そうとする亡者がここにいるぞ。地獄から這い出した愚かな亡者がここにいるぞ! 俺から出向いてやったんだ! 早く来い! 早く来るんだクランズマン!」
まさしく地獄から現れた悪鬼の如く、ジュードは城のあちこちから押し寄せてくる兵士を撃ち抜き、五体を刎ね、壁に床に叩きつけ、腹を引き裂き臓物を投げ出す。誰も悲鳴を上げはしない、静かな静かな地獄だった。
ケルベロスに守られ、部屋の隅で震えながら見ていたのがサリッサだった。すっかり鳥肌が立ちきり、冷や汗で全身を濡らし、ケルベロスの銀色の毛並みにしがみついてジュードの暴れる様を見つめていた。
どれだけ目を逸らしたかったことか。それでも彼女は目を逸らすことが出来なかった。血みどろになりながら、『死の舞踏』を踊り続ける彼の姿を。
満面の笑みを浮かべている。牙を剥き出し、爪を立て、悪鬼羅刹のような叫びを上げている。首をもぎ取り弄ぶその姿は、悪意そのものの顕現としか見えない。しかし彼女には、何故だかその有様がひどく悲しい姿に見えた。その姿に、世の中に絶望しきっているというのに、死に処を見失って彷徨い続ける哀れな男の姿を見た。
そのうちに、サリッサは頬に涙が伝っていくのを感じた。圧倒的な恐怖からか、不意に湧き出た同情からか彼女にも分からなかったが、涙が流れて止まらなかった。ケルベロスの一つの首が身を捩り、彼女を気遣うかのように見つめた。彼女は引き攣る笑みを浮かべ、小さく首を振った。
「大丈夫。……私は、自分でついてきたんですから……」
「来い! 来い来い来い来い! 来い!」
ジュードが叫ぶやいなや、開け放たれた扉から新たな屍がのろのろと乗り込んでくる。毛皮のマントで身を包み、宝石の散りばめられた剣を握る髭面の男。顎が外れ、呻きながら涎を滴らせる男。変わり果てたカメーリエ伯だ。全身の筋肉が膨れ上がり、伯は呻き声と共にジュードへ斬りかかる。
右腕を盾にして受け止めようとするジュードだったが、その一撃は闇をぶち砕き、肩から腰までざっくりと切りつけた。鮮血が伯に向かって飛び、砕けた骨を晒してジュードは仰け反る。
「魔術の類か!」
死したカメーリエ伯は何も応えず、そのまま剣を握りしめて今度は横薙ぎにジュードの身体を叩き切ろうとする。ジュードはどうにか踏みとどまり、目を輝かせて吼えた。
「だが無駄だ。意味が無い。どんな馬鹿力も、私にはもう意味が無い……!」
ジュードの傷口が、鮮血が、一気に紅い炎となって燃え上がる。みるみるうちにジュードの傷口は塞がり、右腕も再び闇にかたどられる。目の前に立つカメーリエ伯は全身を炎に包まれ、剣を振るう間もなくその場に仰け反り倒れ伏す。引き付けを起こすように何度も震えて跳ねて、そのまま塵芥となってしまった。崩れた男の残骸を蹴り払い、ジュードは広間中に響き渡る絶叫を上げた。
「いつまで隠れているクランズマン! 私は貴様らを滅ぼす。貴様の見ている下らない夢物語ごと、跡すら残さず滅ぼす。出て来い。私はここにいるぞ!」
「相も変わらず、煩いならず者だ」
瞬間、広間の床に血染めの正三角形が浮かび上がった。次には闇の中から、三人白装束の男が不意に現れる。三角形の頂点に立ってジュードを見つめ、彼らは静かにフードを取っていく。
その姿を影からこっそり窺っていたサリッサは、一気に青褪め絶叫した。フードの奥にあったのは、どろどろに形を変え続けるタールのようなものであった。辛うじて頭のような形を作り、時折目のようなものが至る所で開いては消えている。この世のものと思えぬ姿に、彼女はその場で腰を抜かし、掠れた息を洩らす。それを見たケルベロスは、彼女を包むようにうずくまり、守るように構えた。それでも、既に目にしてしまった彼女に植え付けられた恐怖は膨らんでいくばかりだ。
「い、今のは? 今のは一体何なの。何なの……?」
「いかにも醜い姿だ。御似合いだ。クランズマン。あんなものを神と見紛うお前達には御似合いの姿だ。周りさえ皆巻き込んで外法に手を出すから、そうなる」
「相変わらずの盲人ぶりだ。分からぬか。我らは全て醜い豚だ。美しき神の姿を目の当たりにする事さえ出来ぬ醜い豚だ。人智を超えた存在を、恐怖と醜悪に彩る愚か者だ。我々が醜いに他ならぬ。神は紛れも無く美しい。我々が愚かにもその姿を認める事の出来ぬだけだ」
諸手を天井へと掲げた不定形の魔人達を、ジュードは腕組みをして睨みつけた。彼の目の前で、正三角形の中に刻まれた血塗りの瞳はこれでもかと開かれようとしている。軽く城が震え、壁に差された燭台がかたかたと音を立てている。柱が軋んで唸る。周囲の視界さえも歪んでいく。ジュードは舌打ちし、ぼそりと呟く。
「気狂いが。いつだってそうだ、貴様らは。だから本体にさえ見棄てられた」
「見棄てられた? 愚かな事を言うものだ。彼らは千年王国の完成を認めることが出来なかった愚か者だ。自らが選ばれていると知りながら、神の国の到来を恐れた愚か者だ。よって罰の対象だ。裏切りの罰によって、コキュートスの絶対の氷に凍てつくのだ。千年王国の前の最後の審判によって、彼らは地獄に堕ちるのだ。我らが裁きの代行によって!」
彼らが叫んだ瞬間、見開かれた血の瞳が一気に輝きを放った。
「だが、今まずは貴様から滅ぼす。地獄から這い出た亡霊。哀れなウィル・オー・ウィスプ。貴様の居場所はもう、天国にも地獄にも、ここにも無い。永久の苦しみが待っている」
狂信者の身体がどろりと解ける。白いローブがその場にはらりと落ち、タールのような肉体はずるずると光の中へ向かって蠢いていく。その蠢きの中に無数の口が作られ、それらは一斉に不協和音を唱えた。
「さあ、光来する。自由の天使が光来する。怨みに囚われた哀れな貴様の魂も、今こそ自由に解き放とう」
腕組みを解かぬまま、ジュードは歯を剥き出しにした。見下すように、嘲るように笑い、それでも怒りの籠った眼差しで粘液が絡み合って一つになる様を眺める。
「来るがいい。止めはしない。私の魂を終わりに出来るというのなら、してみるがいい」
やがて太陽のように眩い光が大広間を包み込み、ジュードの視界を奪い去る。地鳴りがし、細かい礫がぱらぱらと頭上から降り注いでくる。
フルートのように甲高い鳴き声が、白光の世界の中で響き渡った。
ピンカートンキャラ覚書
6.チャールズ
カメーリエ伯に取り入った五人のプロフェティアの首魁。中身は三人まとめてでろんでろんの不定形。名状しがたい何かと一体化しようとしていたが、ジュードの手でミスったせいでこうなった。