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012.悪魔は隣のテーブルに

 木漏れ日が差し込む静かな森の中を、一台の馬車が進んでいた。灰銀の毛を持つ重馬は砂利の多い道をものともせず、馬車を牽いて道をぐいぐいと進んでいく。

 ぐらぐらと揺られながら、無表情でその手綱を握るのは一人の男。騎士が戦場を行き交う時代にはそぐわぬ格好をした、一人の男。真ん中の折れたつば付きの黒い帽子を被り、ベルトやらコートやら飾りの多い黒いコートを着込んだ男。その腰に、筒を異様に詰めたマスケット銃のようなものを二丁も差した男。彼こそがアイヒェ伯領で野火のように噂が広まっている、「ピンカートンのタンテイ」ジュード・ラプレイスであった。

 その隣には、少女らしさを面立ちにまだ残す娘がちょこんと座っていた。真新しい麻製の旅装に身を包み、きょろきょろと周囲の森を見渡している様子にはまだまだ旅慣れない雰囲気がある。もちろん、生まれた村を始めて出たのが二週間前となれば、それも致し方無い事ではあるのだが。彼女がジュードの愛人とも奴隷ともただの行きずりとも目されている、サリッサである。


 二人は黙々としていた。サリッサは城下で手に入れた本を開き、ジュードの方は欠伸しながら、紙巻き煙草をぷかぷかと味わっていた。煙草と言えばパイプという世に生き、しかも現物など見た事も無いサリッサにとっては、何だかよくわからないものにしか見えなかった。しかし、いつもそれを吸っている間はジュードが遠い目をしているために、感傷に浸らせるような薬なのだと勝手に見当付けていた。


「あの……お聞きしたい事があるんですが」


 もう既に慣れつつある煙たさを今日も感じたサリッサは、本に目を落としたままぽつりと尋ねた。彼が(はしゃ)がないうちでないと、話は聞けないと思ったのだ。ジュードはぷっかりと煙を吐き出し、山の彼方を見つめたまま唸る。


「何だ。好きな食い物の話か? 好きな酒の話か? そんなくだらない質問なら御免被るぞ」

「そんなんじゃありませんよ! ジュードさんは、度々『かつていた世界』と仰います。それは一体、どういうことなのか改めて知りたいと思って……」


 興味と恐れが半々に入り混じる円らな目を開いて、サリッサはジュードをじっと見つめる。しかしジュードは煙草をふかしたまま彼女をちらりと一瞥したきり、再び視線を前に戻してしまう。


「その質問も十分下らんな。そのままの意味だからだ」

「そのままの意味……? という事は、貴方はこの世ではないところから来たのですか? ……天国から」


 サリッサは目を瞬かせる。燃やされようと叩き潰されようと何されようと死なず無事に帰ってくる彼を見ていると、この世の存在でないと言われる方が彼女にとっては理解が容易かった。とはいえ、言ってしまった後にサリッサは気づく。彼はやたらと地獄がどうのと繰り返していたことに。唇を噛み、彼女は薄氷の湖に踏み込むような調子で尋ねる。


「……いや、地獄、ですか?」

「そうだ。私は地獄から来た。おい、何やら私が地獄で生まれて地獄から這い出してきたと思っていそうな顔をしているが、そういうわけではない。私だって、最初は人の世に生きていたんだ。この世界とは違う人の世にな」

「この世界とは、違う?」


 サリッサは首を傾げる。その脳裏に、昔々に聞いたマザーグースが甦る。かつて人の世は一つであったが、やがて神々はそれぞれに人の世を支配するために世界を分け合い、それがやがて世界樹となったという物語だ。


「ああ、そうだ。私の世界は、この世界のように化け物やら呪いやらが大っぴらな世界では無かった。大陸全土を一挙に巻き込む戦を一度起こし、毒でも爆弾でも、武器に使えるものは皆使って戦うような世界だった。そのお陰で大陸全土が路頭に迷って、どうにか立ち直らねばと模索しているような世界だった。……まあ、私の生まれた国はほとんど一方的に得しただけだったがな」


 殆ど燃え尽き、ちびた煙草を古びた木の脇に押し付けてその火を消したジュードは、その手を懐に戻し、新たな煙草を取り出して火をつける。


「そんな世界で下らない人間をやっていた私は、最後にあの『プロフェティア』の連中を潰してやろうと奴らの巣穴に潜り込み……返り討ちに遭って死んだ。気付いた時には、私は地獄に居たんだ。地獄の番犬に肉を喰らわれ、血の池の中で互いを沈め合い、炎の都市に身体を焼かれ、鷹に身体をついばまれ、氷の世界で朽ちぬ苦しみを与えられる地獄にな」

「賤しくも神の恵み(エル・シーニァ)を受けて生きる者ならば、神命に従い、隣人と手を取り合い生きるべし。汝神命を為さなば、以てその身を地の涯に有る炎の獄にその身葬らるべし……」


 ジュードの話を聞きながら、サリッサはぽつりと呟く。毎日の祈りの度に読み込んだ、神書の中にある一節であった。ジュードは肩を竦め、下りに差し掛かった馬の手綱を軽く引く。


「この世界の教理説教はよく知らんが、大体そんな所だ。下らない人生を生き続けた俺は、最後に地獄へ放り込まれたんだ。相応しい末路だよ。……だがな、私はそれを受け入れる事が出来なかった。あの狂信者共がのうのうと生きていると思うと、私は許せなかった」


 彼は煙を吐き出す。周囲にヤニの臭いが舞い、消えていく。しかしその後に続いて、どうしようもない焦げ臭さが不意に麓の方から漂って来た。ジュードは顔を顰め、煙草を潰して投げ捨てる。


「だから私は地獄に刃向かった。地獄を這いずり回り、焼き尽くされ、凍りつくされ、それでも進み続け、果てに私はこの世に戻ってきた。……しかし、出て来たのは私の暮らしていた世界ではなく、この世界だったというわけだ」


 僅かに足を速めた馬車が降りた先は、焦土だった。焼け落ちた家からは未だ煙が黙々と立ち上り、引き攣った死体が畑の脇に平積みにされて、滅びた村の悲惨さを物語っている。化け物に襲われたのかも、人に襲われたのかもわからない。しかし、一日や二日も前にはあったはずの村は、蹂躙され跡形も無く失していた。


「ううっ……」


 自分の村の最期と重ね合わせたサリッサは、思わず青褪めてその場に俯く。ジュードも僅かに顔を顰め、馬の尻を強く鞭で叩いた。焦げた臭いに落ち着かなくなっていた馬も、嘶いて一気に走り出した。前を向いたまま、ジュードは低い声で呟く。


「サリッサ。これが、私が地獄さえも這い出したくなった理由だ。鬼畜外道を正義の名の下に成し遂げるあの気狂いどもを一人残らず地獄に叩き落としたくなった理由だ」


 サリッサは何度も頷く。あの白装束に会うたび狂ったように喜ぶ彼の横顔が脳裏に過ぎり、心が激しく乱される。青褪めた顔で祈りをささげながら、彼女は小さく呟くのだった。


「……よく、わかりました……」


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5.契約界スィンヴィレオ

ジュードがちょろっと口にした世界の名前。要するに神と契約した世界なので契約界という名が付けられている。それ以外にも神との関わり方によって様々に名前が付いている。日本神道はどうしたとか仏教はどうしたとか言ってはいけない。この作品の世界は啓典が本当に啓典な話なのです。

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