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ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~  作者: 長篠金泥


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80/98

つづいている

 電話一本で二十四時間いつでも駆けつけます、の宣伝文句に嘘はなかったらしい。

 洗面台が詰まってしまった、と水道修理サービスのオペレーターに伝えると、いくつか質問された後に大まかな見積もりが行われ、深夜だったにも関わらず三十分ほどで、西嶋と名乗る作業員がやってきた。


 小太りで猫背、そして妙に早口で喋る冴えなさ抜群な中年男は、まるでプロフェッショナルの気配を感じさせない。

 とはいえ、ルックスに反してテキパキと準備を進めていく様子からして、ある程度は信用してもよさそうだ。


「それで、詰まったのは今日いきなり、ですか。それとも、前から水が流れにくいとか、流した後に妙な音がするとか、そういうのがありましたか」

「えぇと、特にそういうのは……ホントに突然、水が溢れてしまって」

「なるほどなるほど。そうなる前の昨日か今日、いつもと違うことをしませんでしたか」


 排水口を懐中電灯で照らし、何かしらをチェックしながら西嶋は訊いてくる。

 違うこと、と言われてもこれといって記憶にない。

 いくら気が利かない夫でも、歯磨きや洗顔の最中にフタ的なものを流してしまえば流石に一言あるだろうし、そもそも先週から出張中だ。


「これといって、ないんじゃないかと」

「んー、なるほどですね。では一度、水を出してみても宜しいですか?」

「あっ、ハイ」


 返事を聞いた西嶋は「失礼します」と言って蛇口のレバーをゆっくりと捻る。

 ボウルに二センチほどの水溜りが作成されると、西嶋はレバーを戻して水がどうなるかを眺める。

 私が何度か試した時と同じく、排水口が機能しているようには思えない。


 ブッ――ゴッ――


 短く低い音が、洗面台の下の方から小さく鳴る。

 こういう反応があるのだから、完全に詰まっているワケではない気もするのだが、ボウルの水はまるで減っている様子はなかった。

 西嶋は金属製のワイヤーみたいな道具を手にして、それを排水口に出し入れしているのだが、詰まりが解消されそうな予感がしない。


 しばらく待ったが変化がないので、どんな感じか確認するために声をかけようとしたところで、西嶋が「んー」とうなりながらワイヤーを片付ける。

 それからボウルの水を処理すると再び懐中電灯を取り出し、洗面台の下のスペースを開けて調べ始めた。


 そこに入ってた洗剤とか殺虫剤とか、移動させておいて正解だったな――と考えつつ作業を眺めていると、西嶋は「ここか」「ここだな」などと呟きながら身を起こした。

 体勢がキツかったせいか、額に薄く汗を滲ませた西嶋は、あまり出来の良くない愛想笑いで告げてくる。


「検査してみた結果ですね、どうもパイプの……カーブしてるこの部分。わかりますか」

「はぁ」

「排水トラップっていうんですけど、ここにどうやら問題があるみたいで。まずは外して中を調べてみますが、もしかすると新しいものと交換、という形になるかもしれません」

「その場合、お値段の方は……」


 安くもないが高くもない料金を提示されるが、相場を知らないのでとりあえず了承しておいた。

 西嶋は素早く水漏れ対策を終えると、慣れた手付きでパイプを解体していく。

 いくつかのパーツを緩めると、排水トラップと呼ばれていた箇所が丸ごと外れた。

 あまり見たくないものを見そうな気がして、しばらく洗面所から離れることにする。


「うぉあぅ」


 隣のキッチンに移動し、さっき西嶋から渡された修理屋のペラいパンフレットを手にした瞬間、うめき声が聞こえた。

 やっぱりイヤな予感は的中していたか、と思いつつ二つ折りの紙を開く。


「むえっ? これ……えぇえええええぇ」


 西嶋の声の調子が、ただただ困惑している雰囲気に切り替わる。

 仕事中なのを忘れていそうな派手な反応は、ちょっと無視できない危うさがある。

 急ぎ足で洗面所に戻ると、西嶋の腹痛を我慢しているような表情で出迎えられた。


「あの、どうしましたか」

「いえ、そのですね。出てきたものが、ちょっと」

「……ちょっと?」

「ええ、はい。ちょっと変わっているというか、何というか……とにかくこの、これがギッシリ詰まってまして」


 相変わらず微妙な顔をした西嶋は、金属製の四角いトレーを床に置いた。

 引き続き、強めのイヤな予感が居残っていた。

 だけど、毛の塊とか害虫とかをワザワザ見せてくるとも思えないので、恐る恐るトレーに載せられたものに目を向ける。

 水を吸って灰色になった、元は白かったと思しき円柱状のかたまり


「えっと……何です?」

「紙っぽいですね、ハイ。ティッシュなんかとは、少し違うみたいですけど」

「うっかり流して詰まらせた、ってことでしょうか」

「かもしれません。ですけど中でこう、ガチガチに固まっているのは、あんまり見たことがない……うん?」


 ドライバーの先で塊をつつき回していた西嶋が、不意にその動きを止める。

 塊がパカッと割れて、その断面があらわになった。

 湿っているし折り畳まれているしで、詳しい判別はできない。

 しかしそこには、明らかに意味があるゆがんだ図形と、おそらく漢字であろうにじんだ文字が確認できた。

 怪訝けげんな顔の西嶋が、ドライバーを動かしてそれを広げていく。


「これは……アレですよね」

「多分……御札おふだとかそういうの、じゃないですかね」


 どうしてこんなのが何十枚も、と訊きたそうな表情で西嶋がこちらを窺う。

 むしろ自分が聞きたいくらいだ、との感情を込めてゆっくりとかぶりを振る。

 無言のまま向き合っていると、狭い洗面所は張り詰めた空気に支配されていく。

 余計なことを言うと、それがそのまま実現してしまいそうな、とにかく不穏な気配だ。


「どうしますか、これ」

「どう、と言われても……処分しておいてください」


 そう答えた私に、西嶋は「いいんですか?」と言いたげな目を向ける。

 いかにもいわくありげなモノをゴミ扱いするのは気がとがめる、とかそういうことなのだろうか。

 こちらが黙っていると西嶋もそれ以上は何も言わず、パイプを元に戻すと灰色の塊を廃棄物用のゴミ袋に収容し、見積もりに千円プラスした料金を請求して帰っていった。


「ふぅ……」


 西嶋を送り出した後、気疲れがドッとやってきた。

 コーヒーでも飲みたい気分だが、夜も遅いので代わりにブランデーをグラスに注ぐ。

 つい勢いがついて一瞬でしてしまい、気持ち少なめにもう一杯分を注いだ。

 落ち着いて考えてみると、今回の出来事はつくづく意味がわからない。

 何がどうなると、あんな変なのが洗面台のパイプに詰まるのか――


「あっ」


 変なのが詰まる、でひらめいてしまった。

 去年から時々起きていた妙な出来事は、全部つながっているのではないか。

 最初は夏の暑い日、エアコンの吹出口から盛大に水が漏れた時だ。


 ネットで調べたら、外の排水ホースが詰まるのが主な原因と書いてある。

 色々と試したけど解消できなくて、あの時も業者を呼んで対処したのだった。

 見物していた夫が言うには、詰まっていたのはドス黒いヘドロみたいなものだが、そこに小さな穴の開いた丸い石がいくつも混ざっていたという。

 スマホで撮ったその写真を見せられたが、いま思えばアレは数珠じゅずの玉だったのでは。


 その翌月には、出かけようとしたら鍵穴に鍵が刺さらないことがあった。

 何か粉みたいなものが詰められて、細い針金を使って掻き出すのが大変だった。

 あの時は、きっと子供のイタズラだろうと考えていた

 だけどあのサラサラした粉は、ニオイも手触りも線香の灰に似ていなかったか。


 年明けに姉さんと遊びに来た姪っ子が、お菓子をのどに詰まらせて大騒ぎになったこともあった。

 幸い救急車を呼ぶような状況には至らなかったが、窒息寸前の姪が吐き出したのはハスの花をかたどった落雁らくがんだった。

 そんな実家の仏壇でしか見かけないようなもの、当然ながらウチには置いてない。


 そして二週間ほど前、車のエンジンが全然かからなかった件。

 結局はマフラーに泥とかすすが詰まってたせいだったが、何故だか一緒に黄色や白の花弁はなびらが出てきた。

 タンポポとかハルジオンかな、と思っていたアレも実は菊だったのかも。


「偶然……じゃないよね、やっぱり」


 言葉にしてみると、想像以上に重たい現実が腑に落ちた。 

 しかし、仏教だか法事だかに関係があるのはわかるが、どうしてこんな事態が発生するのかがわからない。

 こうなる理由というか因果というか、そういったものがあるハズなのに、そこにまったく思い当たるフシがない。


 祟りや呪いを受けてしまうような、罰当たりな行為をした覚えはない。

 ヤバそうな心霊スポットなどは勿論、最近は墓地にも神社仏閣にも立ち入ってない。

 家族親族や友人知人、近所の人や職場の同僚を思い浮かべても、こんなことを仕掛けてきそうな相手はピンと来ない。


 となると、原因はどこにあるのだろうか。

 夫の関係者、実家や義実家、それとももっと想像の埒外らちがいの何か。

 様々な可能性を検討している内に脈拍が速くなり、徐々に首から上が熱を帯び始める。


「まさか、この後で血管が詰まったりしないよね」


 冗談めかして呟いてみたけど、まったくもって笑えない。

 とにかく今日はもう頭が回らないので、考えるのは明日以降にして寝てしまおう。

 そのために酒の力を借りようと、二杯目を空にしてからボトルを掴んで傾ける。

 しかし、半分以上残っているはずのブランデーがグラスに注がれない。


「あれっ?」


 反射的に中を覗こうとした瞬間、この行動はまずいと直感した。

 だけど動きは止められず、私はボトルの口に詰まったものを――

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