おみやげ
送ってもらった地図画像を見ながら、駅から十分ほど離れた住宅街へと入り込む。
それから三分もしない内に『稲村』の表札が出ている家の前へと辿り着いた。
周囲と比べると敷地も建物も大きめだが、御屋敷とか豪邸とかそういった雰囲気ではなく、単に古くて大きな家という印象だ。
「ん、壊れてんのかな?」
インターホンを押すが、音が鳴っている気配がない。
ラインで「着いた」と連絡しようとスマホを取り出し、アプリを開く。
「まったく、カナちゃんは……」
駅から出る時に送った「そろそろ着くから」のメッセージを既読スルーしている。
バイト先で知り合ったカナちゃん――稲村若菜は、基本いい子なんだけど、連絡や約束に関する諸々がとにかくルーズだ。
私の基準からすると、信じ難いレベルで雑と表現するしかない。
ラインの返信が十分以内にあるのは稀だし、メールなんかだと次の日になることも日常茶飯事。
出なかった電話を折り返しかけてくる確率も、たぶん四割を切ってる。
待ち合わせをする場合、時間通り現れたことは一回もないんじゃなかろうか。
職場でも、遅刻や忘れ物がやたらと多い。
そのとばっちりで時々こっちの仕事が増えるし、本気で勘弁してほしい。
とはいえ、この状況なら流石にすぐ出てくるハズ、と希望的観測をしつつ「もう家の前にいるよ」と打ち込んで送信する。
にしても、最近ワリと仲良くなってる感じがあったけど、自宅に招かれるのはちょっと意外だった。
私に相談したいことがあるって言ってたけど、どんな内容なんだろうか。
友人関係や恋愛関係のトラブルに巻き込まれたくないし、あんまり深刻なヤツじゃないといいな――などと思い巡らせていると、玄関のドアが開いてカナちゃんが姿を見せた。
「ゴメンゴメン、待たせちゃった?」
「ううん、さっき来たとこだし」
実際は三分くらい待たされているが、言っても仕方ないので笑顔で否定した。
カナちゃんに続いて家の中に入ると、玄関から伸びた廊下の突き当たりに誰かいる。
今日はウチの人は誰もいない、って聞いてたけど予定が変わったのかな。
半袖シャツにハーフパンツ、髪が長めで性別不詳な雰囲気になっている、十歳くらいの裸足の子供。
日焼けした肌は活発さを連想させるのに、表情は眠たそうにボンヤリしている。
あんまり似てない気もするけど、カナちゃんの弟か妹なんだろうか。
「ねぇ、あの子は?」
「え? ……あぁ、あれは昔っからウチにあるテディベアなんだー。ママが子供の頃、おばあちゃんに買ってもらったんだって」
確かに子供が立っている先に、ケースに入ったぬいぐるみが飾ってあった。
それは間違いないけど、完璧に間違っている。
今はどう考えても、その話をするタイミングじゃない。
「いやいや、違くてさ」
「え、何が?」
「何が、って……」
キョトンとした顔で訊き返され、どう言っていいのかわからなくなる。
もしかして、あの子との仲が悪くて常に「いないもの」として扱っているのか。
でなければ、変なものが私にだけ見える、的なウソで驚かせようという仕込みか。
どっちにしろ悪趣味だが、どんな感じの対応がベストなのだろう。
「ふゎ」
半秒ほど目を離した間に、子供はどこかに消えていた。
息を呑んで変な声を漏らすと、カナちゃんが不思議そうな表情を向けてくる。
私は小さく頭を振って、咄嗟に浮かんだ言葉で誤魔化す。
「あの、あれ――クシャミ出そうで出なかったやつ」
「急にオッサンみたいな動きすんの、やめてよね」
笑うカナちゃんに、私も笑い返した。
子供なんて、どこにもいなかった。
そうだ、それでいい。
そうじゃないと困る。
「ウチまで来るの、迷わなかった?」
「大丈夫大丈夫。それより、はいコレ」
「あー、おみやげなんて別によかったのに。でもありがとね」
「ワリとね、地元で人気のケーキ屋だから。イチオシはババロア」
「へぇ……うん? 入ってなくない?」
中身を確認したカナちゃんが首を傾げるので、ビンに入ったそれを指差す。
「あっ、コレかー。プリンかと思った」
「プリンも美味しいんだけどね、この店」
「じゃあコーヒーとか用意するから、先にあたしの部屋で待ってて。二階に上がって左側の、緑色のドアね」
「はいはーい」
頭の上でヒラヒラと手を振り、一段の幅が広い階段をゆっくりと登る。
チラッと階下を確認するが、あの子供の姿は見当たらない。
やっぱり、さっきのは見間違いだったのだろうか。
けど、あんなにハッキリと見えてしまったのを、錯覚で片付けるのは難しい。
「相談って、アレに関してじゃないだろな」
想像が嫌な方向へと広がり、半ば無意識に言葉となって漏れ出る。
そうなった場合どうやって誤魔化そうか、と考えながら緑色のドアを開けた。
広さは八畳くらいで、目立つ家具は大きめのベッドと、丸くて緑のガラステーブル。
一応は片付けてあるみたいだけど、いかにもカナちゃんらしい部屋だな、という感じに雑然としていた。
本棚には文庫本やマンガより、変な小物とかCDの方が多く並んでいる。
その隣に掛けてあるコルクボードには、沢山の写真がピンで留めてあった。
新旧様々な写真の中には、私やバイト仲間と一緒に撮ったのも混ざっている。
スマホの画像をプリンターで印刷したのかな、と思いつつ眺めていると、何故か裏返しで貼ってある一枚を見つけた。
「……お?」
ピンを抜いて手に取り、何が写っているのかを確認する。
笑っているカナちゃんと、缶ビールを手にしたチャラそうな男。
二人とも撮られていることに気づいてないのか、目線はレンズから外れている。
背景に写っているのは、何だかよくわからない大きなモニュメント。
それを囲んだ銀色の低い柵に跨った、髪の長い子供がコチラを見ている。
半袖シャツにハーフパンツ、よく日に焼けた十歳くらいで性別不詳。
表情は髪に隠れてよくわからないが、顔立ちからしてさっきと同じ子供だろう。
どうしてなのか、野外だというのに靴を履いていない。
この子が裸足だと気が付いた瞬間、鼻の奥で静電気が弾けるのに似た感覚が走った。
これは、よくないもの。
そんな言葉と「関わってはいけない」という感情が、頭の中で膨らんだ。
もう帰りたい気分だが、家にお邪魔してから五分で逃げるように帰ったら、今後の付き合いに悪影響が出る危険がある。
とにかくこの場をどうにか乗り切らねば、と決意しながら写真を元に戻した直後、ケーキとカップを載せた和風のお盆を手にしたカナちゃんがやって来た。
「お待たせー……あ、もしかして部屋ゴチャゴチャで、ちょっと引いてる?」
私の態度に不自然さがあったのか、カナちゃんがそんな探りを入れてきた。
本当の理由を説明するワケにもいかないので、冗談に紛れさせて変な空気を散らせようとする。
「ううん、そんなんじゃないって。想像してたより5%くらい綺麗だし」
「ほぼ誤差じゃん」
カナちゃんは苦笑いで応じ、テーブルにコーヒーとケーキを並べる。
緊張が表に出そうになるのを捻じ伏せ、私は精神力フル稼働でいつも通りを演じる。
「いいなー、この部屋。広くて羨ましい」
「でもエアコン効きづらいんだよね、だいぶ」
当たり障りのない会話を繰り広げつつ、相手が本題を切り出してくるのを待つ。
友達のこと、学校のこと、コスメのこと、芸能人のこと、と話はアチコチに飛ぶ。
やがて、コーヒーが空になりかけたところで、カナちゃんが不意に黙り込んだ。
あ、ここから始まるんだな――それと察した私は、手にしたカップを静かにテーブルに戻した。
何か言いかけてやめるのと、俯き加減に目を逸らしてまた顔を上げるのを二回ずつ繰り返してから、カナちゃんはこちらを真っ直ぐ見据える。
「あのね、もしかしたら、もう気づいてるかも……なんだけど」
「うん」
「あたしとアミ、最近ちょいギスギスしてるじゃない?」
「……うん?」
「あれってさ、副店長が余計なことしたのが原因なんだよね」
「んん? そう、なんだ?」
警戒していたのと方向性が違う、普通の相談事が始まってしまった。
アミはバイト先の同僚で、私よりだいぶ古株な先輩だ。
シフトの時間帯が違うんで、私はあんまり接点がない。
だけど、カナちゃんとは結構仲良くやっていたはず。
そんなことを考えながら、まとまりに欠けたイザコザの経緯を説明される。
「――って感じなんだけど、どうすればいいと思う?」
「うーん……だいぶスレ違っちゃってる感じするから、とりあえずカナちゃんから謝るのがいいかも」
「あー、まー、それもわかるんだけど……でもさ、あたし別に悪くなくない?」
「それはそう、なんだけど。言ったらアミさんも特別に何が悪いってことないし、こっちが下から行けば、何となくお互いゴメンで収まるっぽい流れになるよね」
しょうもないのに面倒臭い、拗れかけた人間関係の話が延々と続く。
私は頑張って役立ちそうな助言を述べるが、どうも私の提案が気に入らないようで、何を言ってもカナちゃんは否定で返してきた。
昔読んだ本に、相談とは既に答えが決まっている物事に対して賛成意見を求める行動、みたいなことが書かれていたが、今の状況を見事に言い表している指摘だ。
誰か緊急の要件で電話してきてくれないかな、と願いながら溜息を飲み込んで不毛にも限度がある対話を繰り広げる。
「――じゃあアレだ。まずは誤解させるようなことを言ったのを理由に副店長からアミさんに謝らせて、その後でカナちゃんが謝る形にすればどう?」
「そもそも、橋本がめっちゃ無神経だったのが原因だし……あいつにさ、そんな気の利いた行動できる?」
「させるの。私らで言ってダメなら店長にも話通して、副店長にはキッチリ悪者になってもらお。元からアレな扱いだし、ちょっと嫌われ度がアップしても誤差でしょ」
「むー……やっぱ、そういうのしかないかー」
ああでもないこうでもないと長々検討を続けた後、ようやくカナちゃんが納得できる話の流れになったようで、眉間に寄りっぱなしの皺がやっと薄らいだ。
そこからは当たり障りのない会話に戻ったが、すっかり疲れてしまったので適当なところで切り上げて、お暇させてもらうことにした。
「じゃあカナちゃん、またお店でね」
「うん、今日はありがとう……あ、そうそう! ちょっと待ってて」
玄関まで見送りに来てくれたカナちゃんは、そう言うと急ぎ足で二階へと向かい、数分後に小さな紙袋を提げて戻ってきた。
受け取って中を見ると、私とカナちゃんが好きなバンドの、レアな限定版CDが入っている。
「それね、おみやげ」
「えっ、わ、いいの? これめっちゃプレミアついてるヤツじゃん」
「ウチは二枚あるから。相談に乗ってくれたお礼だよ」
「ありがとっ! うゎー、ホント嬉しい」
変なモノを見たり変な話を聞かされたりした最悪の気分が、一瞬で帳消しになるサプライズなプレゼントだった。
今後の付き合い方を考え直そうともしていたが、こんなの貰ってしまったら無期限の執行猶予だ。
スキップしたい気分で駅へと向かう私だったが、どうも違和感があるのに気付く。
ローファーが立てるコツコツという音に、違う音が重なっているような。
柔らかい、けどそれなりに重量を感じさせる、一定のリズムで続く音。
これに似てるのは――裸足で歩いた時の足音。
その単語から連想するのは、カナちゃんの家で見た変な子供だ。
「まさか、だよね」
不安を小声に変換して、二秒ほど迷ってから背後を振り返る。
当然ながら誰の姿も見えず、緊張を溜息で吐き出し、苦笑いでもって散らした。
気のせい気のせい、考えすぎのビビリすぎ。
そう結論付けて歩き始めたが、また足音に『たっ、とっ』みたいな音が重なった。
知らんぷりで歩こうとするけど、膝から力が抜けて今にも転びそうだ。
逃げたい――でも、逃げると延々ついてきそうな、嫌な確信がある。
どこまでも、もしかすると家までも。
泣きそうになるのを堪え、フラつきながら最高速度の急ぎ足で進む。
そうする内に、右手にくすんだ朱色の鳥居が見えた。
ああいうのはきっと、神社とかお寺とかは苦手に違いない。
曖昧な知識だけを頼りに、どうにか転ばず境内へと駆け込んだ。
日が暮れかけた神社に、人影は見当たらない。
短い距離を走っただけなのに、心臓がマラソン直後のように跳ねている。
呼吸を落ち着かせてから、石畳の参道を歩いてみる。
自分の靴が鳴らす音だけで、あの足音はついてこない。
ここまで入ってこれなかったのか、この場だけ大人しくしているのか。
「でも、どうして――」
私についてきたんだろう、と言葉にする前に視線が右手に提げた紙袋に落ちる。
冷静になってみれば、カナちゃんがこんなのをくれるのは不自然だ。
自分がダブって持っていたとして、メルカリなんかに出せば三万はカタいのに、友達未満のバイト仲間にポンとあげられるだろうか。
無理だな、と結論が出るまでの時間は一呼吸で十分だった。
貰ったばかりのお宝はもう、禍々《まが》しい物体にしか感じられない。
ケースを開けてディスクやブックレットを調べるが、おかしな箇所は見つからない。
念のためにトレイ部分を外してみると、駄菓子屋で売ってるジュースみたいな不自然な甘いニオイが漂って、何かがヒラッと宙を舞う。
「おぅふ」
何なのかを目で追って、確認した瞬間に呻き声が漏れた。
写真だ。
カナちゃんの部屋のコルクボードに裏向きで貼ってあった、あの写真。
トレイの下にはその他に、十センチくらいに切った髪を細くまとめて紙縒りで束ねたものが入っている。
どうしたらいいんだろ、これ。
家まで持ち帰るのは論外だし、捨てるのも祟りとかありそうだ。
色々と検討してみたが、頭は混乱する一方だった。
いっそのこと、神頼みでどうにか――
「あ」
閃いた私は、落ちた写真を拾い上げて社の方へと向かう。
そして賽銭箱の中に、CDと写真をまとめて突っ込んだ。
さすがにそれだけだと罰当たりに思えたので、追加で五十円玉も放って「あとは宜しくお願いします!」とたっぷり念じておいた。
人生で最高に本気の祈りを奉げた後、意を決して鳥居の外に出てみる。
一歩、二歩と進んでみるが、あの足音は追いかけてこない。
五歩、六歩と神社から離れても、もう大丈夫そうな気配だ。
安堵感と疲労感の籠もった溜息を吐き、落ち着きを取り戻すにつれて別の感情が湧き上がってくる。
カナちゃんは、どういうつもりだったんだろう。
どんな気持ちで、私を自宅へと呼んだんだろう。
考えても混乱するばかりだったので、ストレートな質問をラインでぶつけてみることにした。
『あの写真と髪の毛、何なの』
いつものルーズさとは打って変わって、二十秒ほどでリアクションがくる。
『そんなこ しらない』
自白というか自爆というか、カナちゃんらしい間の抜けた返事だった。
だけど、そんな綽名で呼ぶのも今日で最後になりそうだ。




