お客様からの貴重な御意見は今後の参考とさせていただきます
「先輩……今って確か、ランチライムの真っ最中ですよね」
「そうだが?」
「なのにこの客入りって、ぶっちゃけヤバくないですか」
「むしろヤバみしかないだろ」
バイトリーダーの鳥羽が、眉間に皺を寄せながら小声で応じてくる。
半年前から俺がバイトをしている『びいどろ』は、一年ちょっと前に新規オープンしたばかりの和風レストランだ。
客数も売上も順調に伸びていて、先月のスタッフミーティングだと、バイトをもう何人か増やそうとの意見も出たくらいだったのに、この二週間ほどの売上は壊滅的だった。
まったく理由がわからないまま客が減り、客単価が減り、二ヶ月前と比べて売上は三割にまで落ち込んでいる。
三割減、ではなく三割だ。
人影の疎らなホールを見渡して溜息を吐き、手持ち無沙汰な雰囲気を漂わせている鳥羽に訊く。
「客か、もしくはバイトの誰かがツイッターでやらかした、とか」
「店長もそのへん気にしてネットをチェックしてたけど……特に何もなかったらしい」
「競合店が出来たってのもないですし、味が落ちたりもないですよね?」
「そういうわかりやすい原因があるんなら、どうにか対処もできるんだろうけどな」
「たまたま悪い時期だった、みたいなオチで何となく終わってくれるのを祈りますか」
しかし祈りは通じてくれず、それから一週間経っても状況は改善されなかった。
客が皆無というワケでもないので店を閉めることもできず、店の経営状態は結構なスピードで悪化している。
俺もバイトのシフトを大幅に削られてしまい、もう一つ仕事を見つけないと収入的に厳しいところに追い込まれていた。
週一くらいで見かけた家族連れや、毎日のように通っていた背の高いお爺さん、学校帰りであろう制服姿の高校生達もすっかり見なくなった。
割引サービスを実施しても遠退いた客足が戻ることはなく、近隣の地主一族である女性オーナーから「どうにかしろ」と詰められ続けた店長は、半病人のようにやつれ果てている。
そんな中、事態解決の一案として女子高生バイトの水谷さんの「お客さんからアンケートを取ってみてはどうか」とのアイデアが採用される。
それで問題点がわかれば苦労しない、みたいな空気もなくはなかったが、他にこれといった別案も出てこなかったので、早速実施されることになった。
各テーブルに用意されたアンケート用紙に記入して、支払いの際にレジの前に置かれた箱に入れてもらう方式だ。
回答率を上げるため書いてくれた客の料金は割引し、ついでに次回使えるドリンク無料券も渡している。
アンケートの開始から五日経った今日、営業終了後に結果を確認することとなった。
「ん、結構入ってますね」
「アンケートに答えるだけで、5%オフとタダ券ゲットだからな。とりあえず書いてみようか、って気にはワリとなるだろ」
「何かしら書いたフリで白紙、ってのも混ざってそうですけど」
「そういうインチキもまぁ、ある程度はしょうがない」
鳥羽とそんな会話をしつつ、折り畳まれた紙の束を手にして事務所へと向かう。
ザッと数えてみたら、用紙の数は三十枚くらいだった。
相変わらずのくたびれ加減な店長と三人で、手分けしてアンケートの内容を見ていく。
質問の項目は特に設けられておらず、意見があれば何でも書いてください、というだけのシンプルなものだ。
「どれもテキトーですね。えぇと……特になし、水谷ちゃんカワイイ、白紙、きのこハンバーグの味が落ちた、そんでまた白紙と。店長はどんなんです?」
「ふぅむ……皿の趣味が悪い、白紙、エアコンが強すぎる、もっといい醤油を使うべき。あまり役立つ意見はないねぇ。鳥羽くんの方はどうだい?」
「こっちも似たようなモンかな。何となく雰囲気が暗い、水が何か臭い……ぅん?」
「どうしたの。長文のダメ出しでも入ってた?」
妙な声を出した鳥羽に、店長が疲れた声で訊く。
鳥羽は渋い表情で首を傾げながら、おみくじを結ぶような形になった紙をテーブルの上に置いた。
どうやら、別の畳まれた紙の間に挟まっていたようだ。
コンパクトにされたアンケート用紙を前に、しばらく無言の時間が流れる。
「……とりあえず、見てみようか」
「そう、ですね」
店長の言葉に俺が同意すると、鳥羽はその紙を解いて広げた。
細かく波打っている紙の真ん中に、鉛筆の下手糞な字が縦書きで大きく記されてある。
『苦ーい』
「……何だこりゃ」
「にがーい、かな?」
「ですかね……どういう意味でしょ?」
質問を振ってみるが、店長も鳥羽も首を傾げるばかりだった。
きっと子供のイタズラだろう、ということで片付けてアンケート内容の確認へと戻る。
店の不調に関係ありそうなものとしては、「急に外から窓を叩かれてビックリした」と「お冷が生臭い」が気になった。
「他にも水が臭うってのありましたし、冷水器の掃除はしといた方がいいですかね」
「だな……しかし、窓を叩かれたってのは何だろな」
「うーん、外から叩くってのは位置的に難しいと思うんだけど」
「鳥がぶつかった、とかじゃないですか」
「そっちの方がレアじゃね?」
よくわからなかったので、これにどう対処するかは保留となった。
ともあれ、それなりに意見が集まるのは期待できそうなので、アンケートをしばらく続けてみよう、という方向で話はまとまった。
そして一週間後の営業終了後、前回と同じ面子でアンケートのチェックを行うことになったのだが――
「……減ってますね」
「まぁ、店があんな調子だからな」
回収された用紙は二十枚前後。
効果的な対応策が見つからないまま、来客数と売上はますます低下していた。
景気の悪い話を遮るように、顔が土色に近づきつつある店長が言う。
「今度こそ、原因がわかるといいんだけど」
まったく期待している風でもない発言に頷き返し、俺と鳥羽さんはアンケートの内容を確認していく。
意味ありげなものをピックアップしていくと、サラダに変な金気がある、おじさんの店員がめっちゃ陰気くさい、隣の席のヤツが「おい」と何度も声をかけて絡んでくる、などが残される。
「店長、ディスられてますね」
「はは……おっと、もう一枚あった」
「おっ、懐かしいタイプのやつだ」
鳥羽がそう評したのは、中高生の頃に授業中こっそり回された手紙みたいに、小さく折り畳まれたものだった。
確かに懐かしいな、と思いつつ何が書かれているのかを見てみると、横書きで小さく三文字が並んでいた。
『フムナ』
目にした瞬間、心がザワついた。
店長は不愉快そうに眉を寄せ、鳥羽も引き気味の表情で手紙を眺めている。
この前の『苦ーい』とだけ書かれたアンケートを思い出すが、字体や紙の折り方の違いからして別の客の仕業とも思える。
「ふむな……」
「踏む、ってこういう踏む?」
床を蹴る鳥羽の動作に、店長が短く唸ってから応じる。
「お客様の足や荷物を踏んだ、とかそういうトラブルは?」
「いや、聞いてない」
「なかったと思いますけど」
「だったら、これは一体……」
三人揃って、またも変な文字を前に頭を悩ませることになる。
何事かへのクレームだとするなら、もっと具体性があって然るべきだろう。
かといってフザケ半分の落書きにしては、コチラの目に留まる工夫がワザワザしてあるのが不思議だ。
色々と意見を出し合ったが正解らしきものには辿り着けず、今回もまた保留となった。
そして一ヵ月後。
来客と売上は回復せずに減り続け、『びいどろ』は廃業の瀬戸際にあった。
問題らしい問題は見当たらないのに、ひたすらに店の雰囲気は悪くなっていく。
時短営業で人件費を浮かせようとしたが、出勤日数と勤務時間を大幅にカットされたバイトたちは、大半が見切りをつけて店を去った。
成果がなかったアンケートは中止され、それを提案した水谷も既に退職している。
関係者全員「どうしてこうなった」と悩んでいるが、まったく答えが見つからない。
閉店作業を終えて事務所に戻ると、鳥羽が無料の求人情報誌を眺めていた。
バイトリーダーの鳥羽でも、もうダメだと諦めているようだ。
「店長は、またオーナーと電話ですか」
「ああ。一番キツいのはオーナーだろうし、文句を言いたくなるのもわかるけど、調子悪い原因がわからんのに対処のしようもないよなぁ」
「やっぱり、もうダメですかね」
「あぁ……まぁでも、やるだけやったからな。こういうのとか、さ」
鳥羽が事務所の隅に積んであった、錠のついたままのアンケート用の箱を振ると、カサッと軽い音が鳴る。
もう一度振ってみると、やはり紙のこすれるような音が聞こえた。
「まだ、中身入ってるみたいですね」
「Gが潜り込んでる、とかじゃねえだろうな」
そんなことを話していると、オーナーとの電話を終えた店長が、顰めっ面で事務所に戻ってきた。
箱について鳥羽が説明すると、店長は首を傾げながらも「一応、確認しておこうか」と言い、腰に提げた鍵束の中の小さな鍵で南京錠を外した。
「は?」
「何で?」
微妙なリアクションの鳥羽と店長に続いて、俺も続けて箱の中を確認する。
そこにあったのは一枚の紙。
妙なことは妙だが、前に見たような変な折り方なんかはされていない。
ただ、グシャッと雑に丸められているだけだ。
「あっ……え?」
見た瞬間に生じた違和感の正体に気がつく。
幅一センチもない投入口から、どうやって丸めた紙を入れたのか。
鍵を持っている店長なら可能だろうが、そんなことをやる意味がない。
どうするよ、これ――と皆が言いたげだが口にしない強張った空気は、鳥羽の行動によって破られる。
「さすがにこれは、見ておかないとマズいっしょ」
広げられたアンケート用紙には、指先で泥を擦りつけたような文字が、大きく殴り書きされていた。
『ユルサヌ』
「……許さないって意味、ですかね」
「いやいや……許さないって、何をだよ」
十数秒の沈黙を破った俺の言葉に、鳥羽が尤もな疑問を述べる。
相手が怒りを表明しているにしても、何に対してか不明だと対処のしようがない。
以前の『フムナ』と書かれた紙も、それが理由で無視をするしかなかった。
「ユルス、なら江戸川乱歩なんだけどねぇ」
「それはさて措き、前やったアンケートに混ざってた変な回答と、やっぱ関係あるのかも」
「えぇと『苦ーい』に『フムナ』、それとこの『ユルサヌ』ですか」
「それさ、ちょっと気になってたんだけど、最初のは『にがい』じゃなくて『くるしい』だったんじゃない?」
店長に言われて、スマホで撮影してあった問題の画像を開いてみる。
そう思って見れば、長音符ではなく『し』と読めないこともない。
苦しい、踏むな、許さぬ――こうして三つ並べてみると、何かしらの抗議をしているような気配がある。
しかし、誰からの何についての苦情なのか。
そもそも、これを書いたのは客――というか、人なのか。
落ち着かない気分で二人の様子を伺うと、鳥羽は落ち着かない様子で貧乏揺すりをし、店長は去年に止めたハズの煙草に火を点けている。
鳥羽と店長も、俺と同じ疑問に辿り着いてしまったのだろう。
「それで……どうします?」
「こんなん、どうするってもなぁ」
「どうしようもないねぇ……」
俺の質問に、揃って力なく投げ遣りな答えを返してくる。
二人の言葉はまるで、この店の行く末を語っているかのようだった。
程なくして『びいどろ』の閉店が決まり、俺は勤め先を失うこととなる。
最後の最後まで、店がおかしくなった原因は判明しなかった。




