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ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~  作者: 長篠金泥


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こうへい君とは遊んじゃいけません

「あの子ね……最近どうも、あんまり良くない友達と遊んでるみたいなの」


 仕事から帰るなり、深刻そうな顔色と声色で「相談したいことがあるの」と妻の優花ゆかから切り出され、どんなことを言い出すのかと緊張しながら待ち構えていたら、出てきたのはそんなフワッとした心配事だった。

 想定より八割引くらいの面倒さだったな、と思いながら俺は軽い調子で応じる。


「んー、だけどつばさはまだ小学三年だろ? 不良っぽい友達がいるったって、タカが知れてるんじゃないか」

「だと、いいんだけど……」

「ひょっとして、暴力的になったりしてるのか? お前を叩くとか、物を壊すとか」


 ネクタイを緩めながら訊いてみるが、優花は渋い表情でかぶりを振る。


「そういうのはないの。でも、普通に話してるだけなのに、乱暴っていうか汚いっていうか……とにかくね、トゲトゲしい言葉が混ざるのよ」

「お笑い芸人とか漫画とかの真似だろ、きっと」

「わたしもね、そういうことかなと思ったんだけど……さすがにこういう単語は出てこないんじゃないかな、って」


 そう言って優花が並べたのは、障害者への揶揄やゆや外国人への侮蔑ぶべつや犯罪に関する隠語、それに特定の職業をおとしめるような差別用語と放送禁止語のオンパレードだった。

 小学校の中学年から出てくる語彙ごいとしては、どう考えてもおかしい。


「うーん……そいつはちょっと、マズいかもな」

「だよね。やっぱり変だよね、小さい子がこんなの」

「その友達は、親の言ってることを真似てるのかもしれんが、いくら何でもなぁ」

「ねぇ、どうしたらいいと思う? 叱ってやめさせるにしても、理由を説明するのが難しそうで」


 ガキんちょが大人を困らせようとダーティワードを発射する、という行為は自分も含めて色々と見てきたが、そういうのも大体は「ウンコチンチン」止まりだ。

 しかし、翼が口にしたという言葉は、悪フザケを楽勝で貫通する尖り方をしている。

 どうしたものかな、としばらく考えた後で一応の解決法をまとめてみた。


「説明しても理解できないだろうから、翼がその手のワードを口にする度に毎回注意して……それでもまた言ったら、小遣いを減らすペナルティでどうだ」

「ちょっと乱暴って気もするけど、仕方ないかな」

「外で誰かに聞きとがめられて、大問題になるよりマシだろ」

「そうね……うん、じゃあそういう感じで注意してみる」


 そんな会話があってから十日ほどが経った日曜の昼前。

 遅く起きてリビングで新聞を読んでいると、既視感のある表情を浮かべた優花が「この前した話の続き、になると思うんだけど」と前置きしながら妙なものを差し出してきた。


「翼がね、これを隠し持ってたの」

「うあ、こりゃまた随分と古いな」


 優花から渡されたのは、色褪いろあせてページの軽くれた雑誌。

 表紙には扇情的な言葉と写真が鏤められた、典型的な昔のエロ本だ。

 裏表紙で発行年月日を確かめてみると、昭和という元号が見えた。

 こんだけ古いと俺もまだ生まれてないぞ、と困惑しながら再び表紙を眺める。

 野暮やぼったいビキニ姿で笑顔を作っているモデルは、笑える程に眉毛が太い。


「どこで拾ってきたんだろうな、こんな大昔の……しかしまぁ、ハダカに興味を持つのは仕方ないって。俺らの時代でも、オスガキはそんなんだったし」

「それは、わからないでもないの。でもね、こういう過激なのはどうかなって」

「大人しいモンだぞ、昭和のエロ本なんて。今はネットで検索すれば、もっとえげつないのがゴロゴロしてるからな」


 言いながらパラパラめくっていくと、想像通りの微妙なヌードグラビアやら、新作AV紹介やらが目に入ってくる。

 修正はモザイクですらない黒ベタ塗りで、下の毛すら見えない隠しっぷりだ。

 小学生にはまだ早いかもしれないが、このレベルならそんな大騒ぎする必要はない。


 優花だって、そこまで世間知らずじゃないハズなんだが。

 違和感を拭えないまま見ていくと、やがてグラビアメインのコーナーが終了し、文字ばかりのモノクロページに変わった。

 内容は大体わかったので雑誌を閉じようとするが、そこで妙なものが見えた気がした。

 雑誌をもう一度開き直し、何だったのかを確認する。


「……んん?」


 催眠術の通信教育セットや、アダルトグッズの通販といった怪しげな広告の上に、写真をカラーコピーしたらしい画像が乱雑に貼り付けられていた。

 元になってるのは、サイズ的にポラロイドだろうか。

 十数ページに渡って貼られているそれらに写っているのは、アジア系らしいという以外に共通点はない全裸や半裸の男女だ。

 

 内容的にはポルノのカテゴリーに入るのだろうが、どれもちょっと特殊すぎる。

 乱交、流血、緊縛、動物、糞便、老人、子供、身体欠損――道徳的にアウトだったり、法律的にアウトだったりと、小学生には早いとかそういう問題じゃない。

 本当に、どこでこんなものを手に入れたのか。


「ぬぅ……こいつは確かに放っておけないし、本の出所でどころが気になるな。状態からして、外に落ちてたのを拾ったってこともなさそうだ」

「友達の家にあったのを貰った、とか」

「人んちで見つけて、好奇心から持ち出したって可能性もあるか。何にせよ、こんなのを持っている家との交流は、考え直した方がよさそうだ」


 雑誌を優花に渡そうとするが、テーブルの上を指差してきたのでそこに置く。

 気分的には捨ててしまいたいところだが、もし借り物だった場合は面倒なことになりかねない。

 注意するなら男親である俺からの方がいいんだろうが、性的なことは下手につつくとトラウマになる危険もある。


「どうしましょうか。あの子が帰ってきたら、一回キチンと話する?」

「いや、しばらく様子見した方がいいだろう。もしエロ本が増えたり別のに代わったりしたら、そこで改めて考えよう。とりあえず、これは元の場所に戻しといてくれ」

「ええ……そうね、それがいいかも」


 問題を先送りする俺の提案を受け入れ、優花は安心したように笑みを浮かべた。

 子供のためには性教育も必要なんだろうが、それにしても教材は慎重に選びたい。

 先日の急に言葉遣いが悪くなった件もあるし、本気で対応を考える必要があるかも知れない。

 憂鬱ゆううつな気分がつのり、休日気分はどこかに消えてしまった。


 それから三日後の夕方。

 仕事中、優花から『翼のことで相談があるから、今日はなるべく早く帰ってきて』との連絡が入る。

 また何かあったのか、と不安半分ウンザリ半分で残業を断って自宅に戻ると、困り顔の優花と半泣きの翼にリビングで出迎えられた。


 テーブルの上には、古ぼけた折り畳み式ナイフが転がっている。

 十センチ前後の刃には薄っすらと錆が浮き、グリップにはいくつもヒビが入っていた。

 この物騒な品はおそらく、翼が持っていたのを優花が取り上げたのだろう。

 これから始まる面倒な展開を予想し、俺は眉間を揉みながら長い溜息を吐いた。

 どういう状況なんだ、と言いたげな俺の表情を察してか、優花が説明を始める。


「遊びから帰ってきた翼がね、手も洗わないで自分の部屋に行くから……注意しに行ったのね。そしたら、こんなのを持ってて」

「ナイフか……本物だよな、これ」


 拾い上げたナイフには、ズッシリとした重量感がある。

 刃の腹を指先で軽く弾いてみると、硬質な鋼の感触が返ってきた。

 さすがにコレはまずいだろう、と不機嫌さを丸出しにしてにらんでみせるが、翼はこちらを見ずに背中を丸めてうつむいている。


「それで、どこから持ってきたんだ」

「何かね、『こうへい君から貰った』って言うんだけど……今まで翼の話の中に出てきたことない名前だし、その子がどういう子なのか訊いても、全然答えてくれなくて」

「こうへい君、ね」


 優花の心配していた通り、やはり素行に問題ある友達がいるようだ。

 付き合うのを止めさせたいが、問答無用で頭ごなしに「こうへい君と遊ぶな」と命じるだけだと、反発されて逆効果になりかねない。

 ここは詳しく話を聞いて、相手のヤバさを指摘して翼を納得させる必要があるだろう。


 この場の雰囲気的からして、翼は既に母親である優花からコッテリと怒られているようだ。

 なので今度は、父親である俺がフォローも兼ねて話を訊く方向で行くべきか。

 そう考えて優花には席を外してもらい、俺はナイフの置かれたテーブルを挟んで息子と対峙する。


「ナイフ……欲しかったのか」


 とりあえず探りを入れようと質問を投げると、翼は小さくビクッと肩を跳ねさせた後で強くかぶりを振る。


「じゃあ、どうして貰ったんだ」

「それは……だって、くれるって言うから」

「だけど、欲しくないなら『いらない』って断ればいいんじゃないか?」

「でも、いらないとかダメとか、そういうこと言うとこうへい君、超イライラだし」


 よくわからない説明だが、こうへい君とやらはかなりのガキ大将気質で、自分の思い通りにならないとキレるタイプなんだろうか。

 そういう面倒臭い性格のヤツは昔もいたなぁと苦笑しつつ、もう少し質問を重ねてみる。


「古いエッチな本も、こうへい君から押し付けられたのか」


 少し迷った後で、翼は首を縦に振る。


「こうへい君ってのは、お前のクラスメイトなのか」


 すぐに否定のジェスチャーが返ってきた。


「じゃあ、別のクラスの子か」


 また否定。


「なら上級生か?」

「別の学校に通ってる知り合いとか?」

「中学生とか高校生とか、そのくらいの年上?」


 否定、否定、否定。

 となると、大人なのに小学生の集団に混ざってくるヤバいおじさん、みたいな想像以上の危険人物になってしまいそうだが。

 その点について確認しようと言葉を選んでいると、こちらを見ないままで翼が言う。


「こうへい君は……たぶん、ボクらと同じくらい。でも学校違うし、こうへい君がどこに住んでるか知らないから、何年生かもわかんない」

「そんなヤツと遊んでるのか。そもそも、誰の友達だったんだ」

「たぶん、誰のでもない……気がついたら一緒にいて、ボクらに混ざってきたから」


 相手が子供だったということで少し安心するが、得体の知れなさはあまり変わらない。

 昔はそういうフリーダムなガキが稀にいた気がするが、最近でもそういうタイプがいるんだろうか。

 いや、ゲームの対戦なら野球や鬼ごっこに混ざるよりハードルは低いか。

 そう思って確認してみると、予想外の答えが返ってきた。


「ううん、こうへい君はゲーム機もカードも持ってない。だから、こうへい君がいるときは大体、変な遊びに誘われるんだ」

「変、っていうのは?」

「たとえば、ナイフを投げてダーツしたり、お金を払わないで買い物したり、ガラクタ山で宝探しをしたり」

「おいおいおい……」


 ナイフ投げも危なっかしいが、万引きはそれ以上にシャレになってない。

 ガラクタ山というのは近所の廃品回収業者の敷地で、呼び名の通りにゴミの山だが無断で入れば不法侵入だし、何か持ち出せば窃盗になる。

 これはもう、穏便にどうにかするラインを超えてしまっている。


「まぁ、アレだ。こうへい君とは、もう遊ばない方がいいな」

「うん……ボクもあんまり好きじゃないし、友達みんなもかなりイヤがってるんだけど、どうしても仲間はずれにできないから……」

「いや、翼。学校の先生は『誰とでも仲良くしなさい』みたいなこと言うけど、先生だって嫌なヤツとか悪いヤツとは付き合わない。無理する必要はないんだ」


 俺がこの世の真理の一端を語るが、翼はまたブンブンと首を横に振る。


「違くて、そうじゃなくて……イヤなのに、来ないでって言ってるのに、来るんだ」

「だったら外じゃなくて、友達の家で遊んでればいいだろ」

「そうしても勝手に部屋に上がってきたり、バンバン窓を叩いたりするんだ。無視してると今度は車を蹴ったり、庭の犬をぶったり」

「マジか……ウチにも来たりするのか」

「……うん」


 だとすると、家にある現金や貴重品は隠しておかないとマズいな。

 そんなことを考えていると、翼がスッと右手を上げて窓の方を指差した。


「今も、来てるけど」

「うぃまっ?」


 予期せぬ発言に珍妙な声を漏らしつつ、翼の指し示した背後を振り返る。

 いくら目をらしても、窓の外には誰もいないし何も見えない。

 それも当たり前の話で、ここはマンションの七階だ。

 ふざけた冗談を叱っておこうと、額に薄く浮いた汗をぬぐいながら翼の方に向き直ろうとするが、途中で動きを止める。


「……お?」


 何だか違和感があった、ような。

 すぐには答えが出なかったので、何も置かれてないテーブルから対面に座っている翼たちへと視線を移す。


 ――たち?

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