死印
この程度の仕事で五千円貰えるなら、まぁ文句もないか。
ゴミ袋の七割くらいを埋めた緑と茶色の入り混じる雑草を眺め、頭に巻いたタオルを外して首筋を流れる汗を拭う。
思ったより日焼けしているのか、少しばかりヒリついた感覚が返ってきた。
お盆の時期はいつも父さんの実家に帰っていたのだが、今年はどういうわけか母さんの実家に行くことになった。
遊びに来ている同年代の親戚などはおらず、ヒマをつぶせるような施設は近くにない。
というか基本的に、畑と田んぼと空地と森と山しか視界に入ってこない。
そんなワケで、何をするにもスマホだけが頼りなのだが――
「チッ――また圏外かぁ」
ド田舎の悲しさで電波状況がすこぶる悪い。
祖父母の家の二階なら大体入るんだが、外だと途端に難易度が上がる。
東京で暮らしているってのはラッキーなことなのかも、などと思いつつスマホをポケットにしまった。
車で四十分ほどの場所にショッピングモールがあるらしいのだが、自転車以外の乗り物を運転できない中学生にはしんどい距離だ。
父さんと母さんは妙に忙しそうにアチコチ出かけていて、どこか連れて行ってくれと言えるような雰囲気でもない。
祖父母は冷淡ということもないが、俺にはあまり興味がない様子だ。
何というか、孫を甘やかそうという心構えがまるで感じられない。
同居している伯父夫婦は揃って無口で、何を考えているのかもよくわからない。
そんな得体の知れない伯父が、ヒマすぎて猫たちと戯れていた俺に、墓地の掃除を頼んできたのが今朝のことだ。
数日後の墓参りに備えた、敷地の草むしりと掃除。
どうせヒマだし、こづかいも貰えるというならば、断る理由はない。
歩いて十分ほどの場所にあるそこには、本家の大きな墓を取り囲むようにして、分家や親戚筋の墓が並べられていた。
墓までの道すがら、「自分たちが本家でどうたらこうたら」って話を伯父がしていた気がするが、興味がないのでほぼ聞き流してしまった。
何はともあれ、あとはザッと掃き掃除をすれば任務完了だ。
頭にタオルを巻き直し、年季の入った竹箒を手にして、雑に仕事を終わらせる――つもりだったのだが――
「ん? ……んー?」
彫られた字もハッキリと読めない、とにかく古いことだけわかる黒っぽい墓石。
母親の実家の姓である嘉島ではなく、森なんとか家の墓と書いてある。
その裏側、骨が納められているであろう二人の名前の下に、やけに鮮やかな黄色い何かが見えた。
「びょう? やまい?」
テニスボールくらいのサイズの輪の中に、『病』という字が書かれている。
手書きとは思えない、印刷されたように整った文字だ。
まるでハンコを捺したように、まったく同じ字体とサイズのものが二つ並んでいた。
墓のことには詳しくないが、こういうことをやる習慣があるんだろうか。
「ん、こっちにもある。これは……じ? こと、かな」
隣の少し新しい墓には、三人の名前が刻まれていた。
輪の中に一文字が書かれた、黄色いハンコみたいなのは、コチラにも存在していた。
しかし二つは『病』だったが、一つには『事』となっている。
何なんだコレは、と思いながら他の墓も見て回った結果、ほぼ全ての墓に黄色い文字が
残されていた。
輪の中に書かれた文字は四種類だった。
一番多いのは『病』――というか、他の文字は数えるほどしかない。
六個あったのが『事』で、あとは『戦』が三つと『自』が二つ。
軍手をはめた手で擦っても字は消えない――もしかしてこれ、かなり厄介なイタズラをされているのでは。
とりあえず、伯父さんに連絡しておこう。
スマホを手に辺りをウロついてみるが、どうしても電波が入ってくれない。
一度、家まで戻るか――そう思ったところで、さっき『戦』の字を見た墓に刻まれた名前が目に入る。
『嘉島健三郎大尉 昭和十八年十一月十六日』
大尉ってことは軍人で、命日は日付からして太平洋戦争の最中だ。
ということはつまり、『戦』ってのは戦死のことなんじゃないか。
だから一番多い『病』は病死、『事』は事故死で『自』は――たぶん、自殺。
謎の答えに納得しかけたところで、納得いかない点に気づいてしまった。
誰が何のために、墓石にこんなことをしたんだろう。
ワザワザ一人一人の死因を調べて、チマチマ一つ一つ書いて回るなんて面倒なことを。
意味のわからなさも中々だけど、とにかく善意の行動ではないように思える。
「実はウチ、恨まれたりしてるのかな」
無意識に漏れていた呟きは、何種類かのセミで構成される混声合唱で掻き消された。
しかし、生じてしまった疑惑は消えてくれない。
こういう田舎には、現代人には理解不能なインシューとかタブーとかそんなのがある――って前に映画か漫画で観た記憶もある。
説明を簡単にするために、墓石の写真があった方がいいか。
帰りかけたタイミングで気付いたので、わかりやすいように本家の墓を撮っておく。
しかし、デカい墓の背面にも側面にも名前が掘り込まれていない。
どこか別の場所に書いてあるのかな、と少し探したらそれっぽいものを見つけた。
ゴチャっとした装飾がある、黒くてツヤツヤした石板――石碑と呼ぶべきだろうか。
とにかくそんな感じの平らな石に、いくつもの名前と日付が並んでいる。
どの日付の下にも、やっぱり黄色いハンコのような円と文字が記されていた。
病、病、病、戦――
大体みんな病気で死ぬんだなぁ、などと思いながら文字を目で追って、最後の方に辿り着くと命日の元号が変わっていた。
この辺りまで来ると、聞いたことがある親戚の名前も混ざっている。
――病、殺、病、病。
「……おぅ?」
今ちょっと、変な字が混ざっていなかったか。
再確認してみても、書かれている字は『殺』だった。
さっきの推理に当てはめるなら、これが意味するのはおそらく――殺人。
この字が書かれている朱莉叔母さんは、俺と同年代だった頃に水難事故で亡くなったと聞いている。
事故ではなく殺された、的なミステリーっぽい事情があるのだろうか。
もしかすると、自然によって殺されたと分類されてるのかも。
何はともあれ、写真を撮って一度戻るべきだな。
そう気を取り直した俺が石碑にスマホのレンズを向けると、背中に「おぅい」という低い声がぶつかった。
「おぁあ、てっ! とぉ」
危うく落としかけたスマホを、ギリギリのところで掬い上げる。
二重の驚きでもって、心臓が変な感じに跳ね回っていた。
変な声を出させた相手を確認しようと振り返れば、つまらなそうな表情を貼り付けた婆ちゃんが、咥えタバコで立っていた。
「なぁにやってんだ、おめぇ」
「いや、何って……」
どう説明したものかと迷って石碑の方をチラ見していると、溜息と煙をぶわっと吐き出した婆ちゃんは、俺の視線を追った先で何かに気づいたのか、少し眉根を寄せた。
アレが見えてるなら、何なのかを訊いても大丈夫だろうか。
そう考えて黄色い文字を指差すと、婆ちゃんは半分ほどになったタバコの先を俺の鼻先へと突きつけ、それからグイッと顔も近づけて言った。
「なぁんも、言うな」
「それって――」
「だから黙れ、てぇんだよ」
「あだっ」
結構な勢いで頭を叩かれ、ムカついて婆ちゃんを睨みつける。
しかし婆ちゃんは俺の方を見もしないで、二度三度と舌打ちしながら雑草の入ったゴミ袋と箒を回収すると、何も言わず墓場から早足で立ち去ってしまった。
ワケがわからずに呆然と見送るしかなかったが、ここに残っていても仕方がない。
「……帰るか」
色々と納得いかないが、たぶん誰も理由を説明してくれないだろう。
きっと自分でも気付かない内に、ヤバいインシューやタブーに触れてしまったのだ。
半ば無理矢理にそう結論を出して、俺も墓地を後にする。
何となくだけど嫌な予感がして、振り向かずに婆ちゃんみたいな早足で歩いた。
妙なことになったけど、あのハンコみたいな字の写真をクラスの連中に見せたら、新学期にちょっとしたネタになるかもしれない。
そう思って写真フォルダを確認してみるが、あの石碑を撮るよりも前にスマホを落としかけていたようで、最後の一枚はキャッチした時に偶然撮影したものだった。
ブレブレな俺の髪と腕が写っていて、その上から見知らぬ顔が覗き込んでいる。
溶けているというか崩れているというか、何だか輪郭がおかしなことになっている、性別不詳の黄色い顔。
これは絶対にヤバいと本能が判断したのか、指が半自動的に動いて数秒後には画像を消去していた。
「いやいや、これダメなやつじゃん……マジでダメなやつ」
この場から走って逃げたいのに、両膝から下が痺れたみたいに無感覚になっていて、歩くことすらままならない。
それでも無理矢理に動こうとしたらサンダルが脱げ、地面にヘッドスライディングしてしまった。
痛みと衝撃で動けないでいると、誰かが近づいてくる気配がする。
「ダイジョウブデスカ」
早口の棒読みで、そんなことを訊いてくる。
反射的に「大丈夫」と答えながら、顔を上げようとする。
視界の端に、黄色い何かが見えた。




