けむりだな
「ケイちゃんケイちゃん、あれ」
近所のコンビニで買い物を済ませ、俺の家まで戻っている最中。
左隣を歩いていたハナが、俺のシャツの裾を引っ張りながら言った。
足を止め、手元のスマホからハナが指差している方へ視線を移動させる。
色の薄い青空に、濃い灰色の煙が立ち上っていた。
住宅街のどこかから生じている煙は、真っ直ぐに空へと向かっている。
「煙、だな……火事か」
「火事だったら、あんな煙になんなくない?」
ハナに反論され、それもそうかと納得する。
火事でも焚き火でも、もっと勢いよく煙が広がっていくだろう。
細い煙がスーッと伸びていく様子は、線香のそれを連想させた。
しばらく眺めていると、またハナが裾をクイクイと引っ張ってくる。
「ねぇねぇ、どうなってんのか確かめよ。折角だし」
「あぁ……ん、行ってみるか」
何がどう折角なのかサッパリだったが、ハナの提案に乗っておく。
買い物の中に溶けるモノも冷めるモノもないし、別に構わないだろう。
日差しと風が心地良くて、散歩には丁度いい気候だ。
たぶんこっちだな、と当たりをつけて煙の出所を目指す。
「こっちって何があんの?」
「知らね。ここらは用ないから、初めて通るわ」
自宅の近くではあるが、最寄駅までのルートから外れているし、車で通る道でもない。
考えてみたら本当に、これまで一度も通ったことのない道だった。
安っぽい建売住宅が並んだ中に、落書きだらけのシャッターが下りたパン屋や、閉店を知らせる貼り紙の文字が色褪せているフルーツ屋といった、見ていて切なくなるような物件がチラホラと混ざっている。
それにしても――
「日曜の昼って、こんなに静かなモンか?」
「えーと、むしろ休みだからみんな家にいない、とか」
俺の疑問に、ハナはそれっぽい答えを返してくる。
一理あるような気がしなくもないが、にしてもこの人気のなさはちょっと変じゃないか。
さっきから結構な距離を歩いてるのに、通行人と会わないどころか車も通らない。
強まる違和感に、スマホで付近の情報を調べようとしていると、背中をポテポテと緩く叩かれた。
「どうした?」
「あっちっぽいよ、ケイちゃん」
「んー、もう近いな」
最初に見た時よりも、煙は随分と濃くなっている。
何かが焼けたり焦げたりの臭いもしないし、やはり火事ではないようだ。
いや、それにしても十分以上は燃え続けているのだから、何かしらの異変を感じ取れるのが普通って気もするのだが。
手入れのされてない生垣に囲まれた家を通り過ぎると、その隣には戸建て二軒分くらいの更地が広がっていた。
雑草が疎らに生え、細かい木片や瓦礫が散っている。
等間隔に打ち込まれた杭で囲まれているが、バラ線などは使われていない。
ゴミか建材か判別できないものが固まって置かれている中に、濛々(もうもう)と煙を吐いている陶製の何かが見えた。
「アレか」
「何だろ……壺? 瓶?」
「ちょっと、見てくる。ハナはここにいて」
コンビニの袋を渡しながら言うと、ハナは小さく頷いた。
柔らかい地面にサンダルを沈ませながら、俺は煙の元へと近寄っていく。
問題の古びたツボだかカメだかは、下の方が地面に埋もれていて思ったよりデカい。
青地に、緑っぽい釉薬がかけられている。
水瓶とか火鉢とか、そういうのだろうか。
そんなことより、こんなに近寄っても煙たさを感じないのはどういうことだ。
疑問を感じながらも、煙を顔に浴びないように少し距離を置いて覗き込む姿勢をとる。
もう少しで中が見えるかな、となったところで前触れもナシに煙が掻き消えた。
「んぁ?」
「ふぇ?」
予想外の状況に妙な声を漏らすと、そこに被せるようにハナの声がした。
振り返ると、険しい表情のハナが空を見上げたり俺を見つめたりと、忙しくアチコチに視線を動かしている。
色々とおかしいが、ここまで来て『よくわからなかった』で引き返すのもな。
そんな判断を下した俺は、湧き上がってくる嫌な予感を捻じ伏せ、丸く口をあけた瓶の中を覗き込んだ。
「これは……」
中には吸殻の入ったまま水を入れた灰皿みたいな、透明感のある茶色い液体が溜まっていた。
それから、見覚えはあるがタイトルはわからない、子供番組のキャラがプリントされたコットンのシャツやパンツが、茶色く変色した状態で乱雑に積み重なっている。
男児用と女児用が混ざっているようで、番組は最近のものではない雰囲気だ。
その他に、画用紙っぽいサイズと質感の紙を固く捻って棒状にしたものが、下着の山に何本か突っ込まれている。
「何なんだ、こりゃ」
口の中で小さく呟きながら、捻れた紙を拾い上げて湿った下着を掻き分ける。
すると、これまで何のニオイもなかったのに、不意に牛小屋に似た悪臭が鼻につく。
顔を顰めながら下着をどかしていくと、黒く変色した屋根のようなものが浮き出てきた。
こいつは家の模型、だろうか。
鳥小屋にしては作りが細かいし、ドールハウスにしては和風だ。
どこかで見たことはある感じなんだが。
お城のプラモ、神社――いや、違う。
「……神棚」
正体を言葉にしてみると、自分の見ているものの異様さが再確認される。
意味や意図はわからないが、『よくないことが行われている』のはわかる。
更にもう一つ、疑問点が浮かんできた。
あの煙は、どこから出ていたのか。
そこに気付いてしまった途端、柔らかい風に棘が混ざったような気分に陥った。
風――そうだ、今日は風が吹いている。
なのにどうして、俺たちの見た煙は真っ直ぐに空へ上っていたのか。
これは絶対に、確実に、関わったらダメなやつだ。
俺はその場を離れると、早足でハナのところへ戻った。
そして何を見たのかと訊かれる前に、咄嗟に思いついた嘘を口にする。
「あー、アレだ。あの、煙玉。あるだろ、一個が十円とか二十円で売ってる、花火の」
「うん、知ってる」
「アレの残骸がな、これでもかってくらい大量に入ってた。どっかのアホなガキが、フザケて一気に火を点けたんだろ」
俺の話を聞いたハナは、曖昧な表情を浮かべて首を傾げ、視線を瓶に向けている。
あたしもそれ見てみたい、と主張したら止めた方がいいだろうか。
そんなことを考えていると、ハナがこちらにコンビニの袋を渡しながら言う。
「なるほどー、煙玉かぁ。めっちゃ黄色い煙だし、何かキラキラしてるしで、ちょーっと変だと思ったんだよねぇ」
「えっ?」
「……えっ?」




