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ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~  作者: 長篠金泥


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何この……何?

「お、これは……」


 夕方に学校から帰り、何か飲もうと冷蔵庫を開けたら白い箱があった。

 持ち手のついている、ケーキなんかを入れる紙箱だ。

 母親か姉貴が買ってきたんだろうか。

 黙って食うと怒られそうだが、中身だけでも確認させてもらおう。


「ぅ重たっ」


 予期せぬズッシリした手応えに、つい驚きを口に出してしまう。

 全部レアチーズケーキでもここまで重くないだろ、ってくらいの重量感だ。

 何を買ってきたんだよ、と思いつつテーブルの上に置いた箱を開ける。

 閉じ込められた冷気が、半透明の白い煙になって立ち昇った。


「ん? んんん?」


 覗き込んで、そこにあるものを見て、小さく唸りながら眉根を寄せる。

 ケーキではない、と思う。

 パイやゼリーの類でもないだろう。

 では何なのか、といえば何だかわからない。


 見た目の質感は――湿った木、が近いだろうか。

 といっても、ブッシュ・ド・ノエルなんかに似ていることもなく、乱雑に切られた端材のような形状をしていた。

 表面は全体が毛羽立けばだっていて、硬いのか柔らかいのかよくわからない。


 最もインパクトが強いのは、その色だ。

 目が痛くなるほど鮮やかな光沢のある黄色をしている。

 スポーツカーくらいでしか見かけないインパクトの強さだ。

 そして、緑茶に酢と石鹸を混ぜたみたいなニオイが、箱の中から薄く漂ってきた。


「食い物じゃない、のか?」


 だったら、何だというのか。

 独りごちた後に当然の疑問が浮かぶ。

 南国産のフルーツとか、その手の不思議食材なのかも。

 何にせよ、誰かが帰ってきたら訊けばいいか。

 そう結論を出すと、紙箱の蓋を閉じて冷蔵庫に戻し、二階の自室に向かった。


 ダラダラとスマホでゲームをしていると、いつものメンバーから遊びの誘いが来た。

 断る理由もないので、出かける準備をして階段を下りる。

 高校の制服姿の姉貴が、リビングで誰かと電話しているのが目に入った。

 軽く手を振って「出かけてくる」と伝えようとしたら、彼氏らしい電話の相手に「ごめん、すぐまたかけ直す」と告げて切ると、冷蔵庫を指差しながら訊いてくる。


「ねぇ、あんた。紙箱のアレ、何?」

「いや、知らん。姉貴が買ってきたんじゃないのか」

「はぁあ? 買うって、どこで売ってるの」

「だから知らんて。なら、お袋が買ってきたんだろ」


 消去法で答えてみるが、姉貴は渋い表情で首を傾げる。


「ママ、あんなの買うかなぁ」

「前にもさ、唐突にイノシシ肉とか生ホヤとかの、面白食材を出してきたことあったろ。そういうタイプの暴走じゃね」

「ああ、でも、うーん……」

「じゃあもう、本人に訊いてみようぜ」


 首の角度が深まる姉貴にそう言うと、スマホを操作して母親の番号を呼び出す。

 五回半のコールでつながった。


『どうしたの、そっちから電話なんて珍しい』

「いや、ちょっと確かめときたいことあって。あのさ、冷蔵庫の中に入れてある、アレって何なん?」

『え? あの箱はあんたかミマのじゃないの? 昨日の夜からあったけど』

「いや、俺んでも姉貴のでもない……」


 話の展開が怪しくなったのを察してか、彼氏との通話を再開しようとしていた姉貴が、不安げな視線をこちらに送ってくる。

 そんな不安感が伝染した気分になりつつ、母親との話を続ける。


「となると、後は親父の仕業ってことになるが」

『お父さん、何も言ってなかったけどねぇ』

「一人でコッソリと、酒のつまみにしようとしてた、とか」

『中は見てないけど、おつまみなの?』

「いや知らんけど」


 そもそも、あれをどう調理したらいいのか、まるで見当がつかない。

 母親との電話を打ち切り、姉貴にわざとらしく疲れた顔を作って見せると、これまたわざとらしい苦笑が返ってきた。


「綿密な調査の結果、よくわからないってことがわかった」

「ご苦労さん。あたしもちょっと出かけてくるし、あとはパパが帰ってきたら正体を確かめようか」


 そんな結論を出してから友人たちの待つドーナツ屋へと向かい、三時間ほど生産性ゼロの無駄話を繰り広げ、そこはかとない倦怠感を背負って帰宅する。

 ただいま、と誰に告げるでもなく言って洗面所に向かおうとする途中、リビングから父親の声が聞こえてきた。


「いやぁ、オレのでもないぞ。昨日寝る前に中を覗いたけど……何なんだ、アレ。イクラとか数の子とか、そういうのか? だいぶ粒がでかくて緑っぽかったけど」

「は? 意味わかんないから。全然そんなんじゃないでしょ」


 父親の言い分を、姉貴が真っ向から否定していた。

 リビングに足を踏み入れると、二人の視線が集中する。


「ああ、いいとこに帰ってきた。あんたも見たでしょ、あの箱の」

「見たけど……」

「アレってこう、五センチくらいのソーセージみたいな? そういうのがビニール袋いっぱいに詰まってるヤツだったじゃない。赤くて透明の汁に浸かってる」

「いやいやミマちゃん、それは変だろ。どう見ても海産物だったからね、アレは」

「えっ? いや、どっちも全然違うっていうか、マジで何の話だ」


 わけのわからないことを言う姉貴と父親に、自分の見た黄色い物体について説明する。

 聞いている二人の表情は、困惑の色を濃くするばかりだ。

 そんな様子を眺めている内に、当然の疑問に突き当たった。


「つうかさ、実物を確かめりゃいいだけじゃね」

「えっと、それが……ママ、アレを箱ごと捨てちゃったって」

「はぁ?」


 姉貴からの予期せぬ答えに、キッチンで何かしている母親の方を伺う。

 自分が話題になっているのに気にした様子もなく、深い鍋に安物の白ワインを注ぎ入れていた。

 ジッと見ていると、顔を上げないままに母親が口を開く。


「うん、捨ててきた。結局、誰のでもないみたいだし、別にいいでしょ」

「そりゃまぁ、そうなんだけど……だけど、そうなるとアレがどっから来たのか、って問題になってくるし」

「どうせ、お父さんが酔っ払ってどっかで買ってきたんでしょ」

「へ? オレはあんなの――」


 父親は反論しかけるが、ダンッと勢いよく俎板まないたに叩きつけられる包丁の音で黙った。

 母親の態度からは『アレについてもう何も言うんじゃない』とのメッセージが、必要以上の強さで伝わってくる。

 そんな心情を汲んで、早々にリビングからの退散を決め込んだ。


 しかし、気になって仕方ない。

 母親が見た箱の中には、一体どんなものが入っていたのだろうか。

 そんなことを考えながら自室のドアを開けると、机の上の様子がおかしい。


「ぅえぇええ……」


 どんな感情にもとづいているのか、自分でもよくわからない声が喉の奥から漏れ出た。

 違和感の正体は、乱雑に積まれた本に紛れた、少し汚れて形の崩れた白い紙箱だ。

 ゆがんで生じた箱の隙間からは、短くて太い赤茶けた毛でビッシリ覆われた、触手のようなものがダランとはみ出している。


「ちょっ――なっ――」


 触手が蛇に似た動きで天井方向に伸びるのを見送りながら、意味のない呟きが音声化される。

 確実に何かがマズいとは思いながらも、どう反応するべきなのか判断できない。

 そうこうする内に、箱は電灯の笠に触手を絡めてブラ下がり、前後運動を始めていた。

 呆然とその動きを目で追っていると、箱が中身を残して床に落ちる。


 すぐそこにいる『何か』の気配が膨らんでいくのがわかる。

 緑茶に酢と石鹸を混ぜたみたいなニオイが、徐々に濃くなる。

 顔を上げて視認することも、目を逸らしたまま逃げ出すこともできない。


 うつむいた姿勢で固まっていると、髪を雑に掻き回される感触が伝わってきた。

 叫びたいのに声が出せず、いつの間にか呼吸もできなくなり、やがて頭の中が熱めの湯で満たされていくような――

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