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ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~  作者: 長篠金泥


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【緊急】賽尤示然会に関する警告事項

 平日の夜にかかってきた見知らぬ番号の相手は、高校時代の同級生だと名乗った。

 ナラサキミカ――記憶にない名前だが、三年の時に同じクラスだったらしい。


「ごめんね、いきなり電話しちゃって。十年ぶりくらいになるけど、覚えてる?」

「すまん、全く覚えていない」


 なるべく冷淡に聞こえるように、正直な答えを返す。

 何拍か置いてから、狼狽を苦笑で誤魔化した気配が伝わってきた。

 それでも、ナラサキはひるまずに話を続ける。


「そっかぁ……しょうがないけど、ね。私、あんま絡みなかったかもだし」

「いや、そんなことより、どういう用件? 同窓会とか?」

「ちょっと違うかな。久しぶりに堀辺ほりべ君と会って話したいのもあるんだけど、今回はそれよりも大事なことがあって」


 ナラサキは、真剣味を帯びた声で言う。

 唐突にトーンが変わったせいか、そこはかとなく芝居がかった響きがある。

 

「大事なこと、ねぇ……電話じゃ無理なのか」

「無理ってこともないんだけど、かなり込み入った内容のことだから、ちゃんと顔を合わせて話しておきたくて……ダメ、かな?」


 何となくアレな勧誘の類かな、との予感は最初からあった。

 それはナラサキの話運びでもって、ほぼ確信に変わる。

 新興宗教、マルチまがい、ネットワークビジネス、インチキくさい投資――目的はどうあれ、面倒事に関わらせようとする魂胆は見え見えだ。

 こんな古典的な手口に引っかかるほど、こちらもマヌケではない。


 なので、電話があった週末の夜に洋風居酒屋の個室でナラサキと差し向かいに座っている現状は、別に騙された結果ではない。

 冷やかし半分、というか七割――いや、九割五分くらいだろうか。

 噂には聞いていても実際に怪しげな勧誘を受けたことがないので、ネタとして一度体験してみようというのが主な目的だった。


 高校時代の友人知人で、未だに交流のある連中に確認してみたところ、ナラサキという女から連絡があったというのが二人いた。

 どうやら、俺を狙い撃ちにした詐欺ではないらしい。

 手元に卒業アルバムがある奴に、ナラサキの顔写真を撮って送ってもらった。

 そこには不細工ではないが可愛いとも評しづらい、とにかく地味な印象の奈良崎実嘉ならさきみかという少女が写っていた。


 目の前にいるナラサキにも面影はあるのだが、明らかに美人寄りの容姿になっている。

 それが十年近い歳月のせいか、化粧の効果なのかはわからないが。

 服装や雰囲気に不潔感やアンバランスさはなく、普通に社会人をやっている様子。

 普通じゃない思想や思考にどっぷりな奴に特有の、あの『やべぇなコイツ』的な空気はとりあえず検知されない。


 ただ、こうして至近距離で顔を合わせていても、相手に関する思い出が何一つとして浮かばないのには少し困った。

 個室風に仕切っただけではなく、キッチリ個室になっている店だったのも、この場合はありがた迷惑と言える。


「堀辺君……今日は来てくれてありがと」

「ん、まぁ、特に用もなかったから」

「私が口下手なのかな……みんなから断られちゃって」


 口下手とかそういう問題じゃないだろ、と思いながらも曖昧な笑いで受け流す。

 乾杯はさっき済ませたが、こちらが生ビールを頼んだのにナラサキはジャスミン茶だ。

 やはり危惧していた通り、何かしらの罠にハメようって気なのだろうか。

 そんな警戒を察しているのかいないのか、ナラサキは時々スマホをいじりながら、自然体で当たり障りのない話題を振ってくる。


 文化祭などのイベントにまつわる思い出。

 校内の有名人だった先輩の現在。

 陰キャなクラスメイトの意外な就職先。

 そんなこんなの話が続き、流れ的に互いの近況を語るターンかな、と思ったタイミングで、ナラサキがスマホの画面を忙しくタップし始めた。


「どうした? 仕事の連絡か何か?」

「ううん、じゃなくて……ちょっと色々と、ね」


 意味のある情報が一つもない雑な返事に、軽めのイラ立ちが浮き上がった。

 つい表情に出てしまったのか、ナラサキは気まずそうに目を伏せる。

 そしてスマホを置くと、スッと姿勢を正して真剣な表情を向けてきた。

 俺は警戒心を高めつつ、空気が変わったことに気付かないフリでジョッキを呷り、眠たげに目を細めつつナラサキを見返す。


「ここからが、今回の本題なんだけど……堀辺君。サイユウシネンカイ、って聞いたことないかな」

「さいる――何て?」


 バッグからメモ帳を取り出したナラサキは、ボールペンをササッと走らせてから書いた文字をこちらに示す。

 そこには、女性らしからぬ力強い筆致で『賽尤示然会』と書かれていた。


賽尤示然会さいゆうしねんかい。誰かがここについて何か言ってたとか、ネットで話題になってたとか、そんな覚えがあったりしない?」

「どうかな……えぇと……いや、今が初耳だと思う。多分」


 思い出せる範囲には、そんな奇妙な響きを持った団体の情報は転がっていなかった。

 俺の返事に、ナラサキはあからさまに落胆した表情を浮かべる。

 しかしすぐに切り替えたようで、身を乗り出して俺に顔をグイッと近づけると、メモの字を指でトントン叩きながら言う。


「堀辺君に来てもらったのは、この賽尤示然会について話をさせてもらいたかったから、なの」

「お、おう」


 ついに勧誘イベントが来たか、という気持ちで身構える。

 油断すると吹いてしまいそうなので、奥歯を噛み締めて眉間にも力を入れる。

 そんな俺を不思議そうに見ていたナラサキは、こちらの心情に気付いてか「違う違う」と苦い顔で手を振った。


「待って、待って堀辺君。多分、勘違いしてるから。会の教えを語りたいとかそういうんじゃなくて、賽尤示然会の周辺で失踪者が続出してる件についての話だから」

「よくわかんないけど……新興宗教トラブルでよくある、出家信者と連絡がつかないとかそういうヤツ?」


 自分の中にある知識からそれっぽい予想を立ててみるが、ナラサキは微妙な角度で首を傾げながら答える。


「賽尤示然会が宗教なのかどうか、そこからもうわからないの。ただ、失踪した人たちが消える前に会について話してたり、パンフレットみたいなのを持ってたりしてたから、何らかの関係は絶対に――」

「それはわかった。わかったけど……何でそんなことを俺に?」


 勢い込んで語ろうとするナラサキの話を当然の疑問で中断させた直後、個室の引き戸がノックもなしに開かれる。

 反射的にそちらを見ると、痩せていて背が高く顔色の悪い男と視線がぶつかった。

 予期せぬ状況に固まっていると、ナラサキは闖入者ちんにゅうしゃに親しげに声をかける。


「ああ、ミズミさん。丁度いいところに」

「は? 誰?」

「賽尤示然会の問題を追求している方で、私の調査にも協力して下さってるの」

「どうも、ミズミといいます」


 ナラサキの隣に座った男は軽く会釈をし、それから名刺を俺の前に差し出す。

 受け取ったそれは、『水見修吾』という名前の他には電話番号とメールアドレスが記載されているだけの、肩書きすら書かれていないシンプルなものだった。

 リアクションに困って、名刺をひっくり返して裏面に何も書かれていないことを確認したりしていると、ナラサキがさっき中断された説明を再開した。


「でね、私とかミズミさんとかが調べた結果、賽尤示然会との関連が疑われる二十数人の失踪者の中に、私らと同じ東高の卒業生が五人いたの。学年でいうと、二つから四つ下の世代になるんだけど」

「それは……」

「偶然で片付けるには多すぎる数、です」


 困惑する俺を代弁するように、ミズミがよく通る声で断言してきた。

 だからお前は誰なんだ、と訊きたくて仕方ないのだが、それをさせない謎の気迫がある。

 ミズミのことはさて措いて、それだけの人数が絡んでくるならば、背後に何かしらの陰謀めいた作為はあるだろう。

 だが、その作為がどういうものなのか、となると俺には皆目見当がつかない。


「だからね、堀辺君。情報収集と注意喚起を兼ねて、東高出身の人とコンタクトを取りたかったの。でも連絡先がわかんない人も多いし、連絡が取れても変に警戒されたりするしで、中々上手くいかなくて」

「会の関係者ではないか、と目星をつけている人物はいるのですが……我々の存在を察知されると、潜伏されてしまう危険性があるので」

「そう! それがあるから、まずは信用できそうな人を選んで、そこから探りを入れていこうってことに」

「賽尤示然会は明らかに危険です。宗教団体なのか思想集団なのかすら定かではないものの、何かしらの破壊的な目標を掲げているのは間違いありません」

「ですね。下手をすれば、テロ組織に準じる性格な可能性も」


 ナラサキとミズミはそんな説明を皮切りに、勢い込んで賽尤示然会とやらの危うさを力説してくる。

 二人の真剣さからして、実際にかなり危険な連中なのだろうとは思う。

 思うのだが、どうにもリアリティがないというか、自分と何の関係があるのかって感覚は拭えない。

 引いているコチラの気配を察したのか、ミズミは語りを中断すると大きく溜息を吐き、声のトーンを低くしながら言う。


「先月の神奈川の通り魔事件と、その少し前の暴走トラック事件のこと、覚えてますか」

「そりゃまぁ……あんだけ大々的にニュースになれば」


 通り魔事件では四人、暴走車事件では七人が殺害され、怪我人はその数倍だ。

 日本刀を凶器にした通り魔は逃亡の末にビルから飛び降り、トラックの運転手はガススタに突っ込んで爆死する最期を遂げた。

 間を置かずに連続した大量殺人事件に、マスコミ各社は嬉々として加害者と被害者について根掘り葉掘りの報道を行ったのだが――

 

「結局、どちらの事件も犯人の動機は謎のまま、ということになっています」

「あー、でしたかね。専門家の分析とかは、色々とされてたような」

「全部的外れなんですよ。両事件とも、犯人は賽尤示然会の指示で動いているのです」

「えっ……いやいやいやいや」


 真顔のミズミは、突拍子もない陰謀論を流暢りゅうちょうに語ってくる。

 笑うに笑えない雰囲気を感じつつも、敢えて全力の苦笑いで否定しておく。

 するとナラサキが、二枚の紙をバッグから取り出して俺の前に滑らせた。

 監視カメラの映像を一時停止し、それをプリントアウトしたようだ。


「えぇと、これは?」

「ミズミさんが特殊なルートで入手した、事件直前の犯人の様子だね」


 特殊ってどういうことだよ――とナラサキの方を睨み気味に見るが、感情が読めない目で見返してくるばかりだ。

 仕方ないので、画質の粗い二枚をジックリと観察する。

 被写体はどちらも若い男で、二人とも同じポーズをとった瞬間を切り取られていた。

 両手を胸の前でもって、何と表現すればいいのかわからない妙な形に組んでいる。


「このポーズ……」

「はい、それが賽尤示然会の会員であるのを表明するサイン、との証言を得ています」

「それは、元会員とかそういう人が情報源……なんですか?」

「いえ、会員だと思しき失踪者の御家族です――でした。その方は二週間ほど前、自宅のシンクで溺死なさいました」


 不可解な事情を淡々と語るミズミに、不快感とも寒気ともとれない感覚が湧いてくる。

 これはひょっとしなくても、関わり合いになっちゃダメな状況なのでは。

 気になる点は多いが、好奇心で首を突っ込むとそのまま首をもがれそうな予感がしてならない。


「堀辺君……あなたにもこの件、手伝ってほしい」

「手伝うっても、俺も仕事あるし……事情もよくわからんし……」

「ううん、そんな大袈裟なことじゃなくて。あの会について知ってもらって、その実態を周囲に広めてもらいたいの」


 否定のポーズで突き出した右手を、ナラサキが両手で包んでくる。

 温かくふんわりとした感触に軽く動揺していると、ミズミがさっきまでとは違う明るい調子で言う。


「賽尤示然会問題への対策を考える会合が、今夜開催される予定になってまして。よろしければ、そこに御一緒していただけないかな、と」

「いやぁ、ちょっと……どうなんですかね。正直に言うと、あまり――」


 関わり合いになりたくない、と本音をぶっちゃけようとした俺の言葉を遮って、ミズミが圧迫感たっぷりに目力めぢからを発揮しながら告げてくる。


「今、この段階でどうにかしないと、連中は手に負えなくなります」

「でもそれって、警察とか公安とかそういう人らの仕事なんじゃ」

「そこが本気で対応するような状況になってからでは、手遅れになっているおそれがあります。たとえば●●●●●教や×××軍といった有名な集団も、誰もが普通じゃないのを理解していたのに、暴走を止められずに多大な被害を出しました。それと同じことが今、まさにこの瞬間にも水面下で進行しているのです」


 熱意と危機感に溢れたミズミの語りはやがて演説と化し、コチラは黙って頷くしかない状況に追い込まれる。

 やっぱり俺には関係ない、とねることはできなくもない。

 しかし、いずれ賽尤示然会が何事かをやらかした時、一生モノの後悔を背負い込むことになるのでは――そんな予感がここから立ち去ることを躊躇させる。


 結局、ナラサキとミズミの説得に押し切られた形で、俺はこれから行われる会合とやらに参加することになってしまった。

 店を出ると、二人が手配したというワンボックスカーがやってくる。

 運転しているのは、ミズミと同じように顔色の悪い若い男。

 助手席には、体重が百五十キロを超えていそうな、赤ら顔で年齢不詳な巨漢で髪の薄い白人がみっしりと収まっている。


「あの、彼らは……」

「まぁ、そこんとこは追々ね。じゃあ出しちゃって、ヤマジ君」


 俺からの質問を流し、ナラサキは運転席の男に指示を出す。

 車内には何語か不明な女性ボーカルのポップスが、大きすぎる音量で流されている。

 だから会話するには怒鳴り合う必要があり、自然と誰も何も喋らなくなっていた。

 途中までは西に向かっていると把握できていたが、細い裏道や未舗装の農道みたいな場所ばかり走るので、今はどこを走っているのかサッパリわからない。


 マズいことになってるんじゃないか、という予感は随分と前からあった。

 異常事態に流されてここまで来てしまい、やっと冷えてきた頭で現状を分析する。

 この車は、一体どこに向かっているのか。

 ジッと前を向いたまま身動みじろぎもしない、このハゲ散らかったデブは何なんだ。

 そもそもの疑問として、こいつらは何者なんだろう。


 ナラサキとミズミ、そしてヤマジという運転手と謎めいたデブ。

 こいつらが何らかのグループに属しているとして、それはどういう集団なのか。

 というか、まずナラサキについてすら、俺は何も知らない。

 クラスメイトだったということで何となく受け入れていたが、その事実すら忘れていたんじゃなかったか――


 その瞬間、自分が得体の知れない連中と同じ空間にいる、との認識に至ってしまった。

 どうして俺は、こんな奴等と目的地もわからんドライブをしているんだ。

 大体、まったく聞いたことない賽尤示然会なんてのが、本当にあるのだろうか。

 そんな根本的な疑惑すら浮かんだので、スマホでもってその五文字を検索してみる。

 七十件ほどの検索結果が出てきたが、とりあえず日本語のページは見当たらない。


「んなっ?」


 検索法を変えようか検討していると、伸びてきた手にスマホをヒョイとり取られた。

 驚いて左隣を向くが、ミズミはこちらを見もせずに無言のまま窓を開けると、俺のスマホを外に投げ捨てた。


「ちょ、何してんだぁオイ! ふざけ――」

「大丈夫です」

「ハァ? 何一つとして大丈夫じゃ――おふぉおぅ?」

「いいから、すぐわかるから」


 滅茶苦茶なことをしておいて素のテンションなミズミに詰め寄った俺の肩に、ナラサキが手を掛けて予想外の力強さで引き戻した。

 動揺しつつ振り返ると、ナラサキがイタズラ小僧を咎めるような渋面を浮かべている。

 色々と納得できないものを感じるが、とにかく抗議しようと口を開く。


「わかるって、何がだよ!」

「落ち着いて。行けばもう、それでわかるの」

「あっ――」


 なるほど、これはダメなタイプのやつだ。

 バイト先でかつて遭遇した、会話の成立しないクレーマーのことを思い出しつつ、俺は座席に座り直して天井を仰ぐ。

 あとはもう、こいつらの壊れ方が想定の範囲内に収まっていることを願うしかない。

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