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ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~  作者: 長篠金泥


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ふたなぁさま

 アレがいつからあの場所にあったのか、実のところよくわからない。

 物心ついた時分から目にしていた記憶もあるし、ここ数年で急に出現したような気もする。

 家族や知り合いに確かめようとしても、みんながバラバラなことを言うので、真相はわからないままだ。


 中学生だった頃、半世紀ぐらいこの町に住んでいるという斜向はすむかいの爺さんに、立ち話のついでに「アレは何なのか」と訊いたことがある。

 いつもの柔和にゅうわで眠たげな表情が真顔になった瞬間は、今でも鮮明に思い出せる。

 しかし爺さんはすぐに見慣れた雰囲気に戻り、妙な感じにはぐらかされてしまった。


 掴みどころのない長話の結論は、アレには構うな――だったか。

 もしかすると、『触るな』だったかもしれない。


 いずれにせよ、何かしらの禁忌タブーが存在していることを臭わせていた。

 十年近く経った現在なら、もっと踏み込んだ質問もできるだろうが、肝心の爺さんが一昨年に亡くなっている。

 近所の他の老人にそれとなく訊いてもみたが、誰もがそっけない態度で「知らない」「わからない」「気にしたこともない」などの反応で話を早々に切り上げてしまう。


 ネットで検索しても、地元民向けのBBSで時々名前が出てくるだけで、その他の情報はまるでなく、写真なども見つからない。

 図書館で郷土史の類を調べても、アレについて書かれたものはどこにもない。

 ついでに民俗信仰に関する本なども何冊か読んでみたが、アレに似ている造形の石像や木像は載っていなかった。


 ふたなぁさま。


 世代差や地域差などもなく、誰もがそう呼んでいた。

 両親も、歳の離れた妹も、斜向かいの爺さんも、全員が同じアクセントで。

 何故か『ふたなぁ』と呼び捨てられることもなく、『ふたなぁさん』などと呼び方が変わることもなく、決まって『ふたなぁさま』。


 違う呼び方も、しようと思えばできないことはない。

 けれど口に出してみると、学校の先生を『お母さん』と呼んでしまうのと同レベルの、中々に強力な違和感がある。

 そんな事情もあるせいで、アレは何だかひどく気になるものとして、意識の片隅にわだかまり続けていた。


 そんなふたなぁさまを撮影して画像をネットに流し、広く情報を求めようとしたのは昨日のことだ。

 これといった理由は特にない――強いて言えば、単なるヒマつぶしだった。

 十年ほど前に閉店した八百屋と、長いこと誰も住んでいない空き家に挟まれた、金網とコンクリの壁で四方を囲まれた狭い場所。

 そこに建つ、朽ちかけた小さい御堂おどうの中に、アレは据えられている。


 人通りの少ない場所だし、調べていて誰かに見咎みとがめられることもないだろう。

 そもそも、おいそれと入れないようにはしてあるが、立ち入り禁止の看板がかかげられてもいないし、管理者の存在を示す標識も見当たらない。

 そう自分に言い聞かせてフェンスを越えようとしたが、目が詰まっていてじ登るのは難しそうだった。


 だから空き家の塀を乗り越えて敷地内に侵入し、至近距離から何枚も写真を撮った。

 スマホを使って様々な角度からアレを撮り、足元に備えられていた何かを撮り、傾いて穴だらけの御堂も撮り、堂内の壁に掛けられていた絵馬のようなものも撮る。

 撮りながら、どうしてこんな変なものが放置されているのか、改めて疑問を深めた――ような気がする。


 断言するのが躊躇ためらわれるのは、撮影を始めてから自宅に戻るまでの記憶が曖昧あいまいになっているからだ。

 塀から飛び降りた後の膝の衝撃や、細かい砂利を踏んで歩いた感触、そしてアレを直視した時の形容し難い気分などは、生々しく思い出せる。

 なのに、そこから先で自分が何をして何を見たのか、あらゆることがけていた。

 

 実際の画像を見れば思い出せそうなのだが、それはちょっとできそうもない。

 テーブルの上に放り出してある、スマホだったものを眺めて溜息を吐く。

 あぶりすぎたスルメのごとくクルッと丸まった、悪い冗談のようなオブジェと化しているそれが、いつどこでそんな状態になったのかの記憶もない。

 だが、原因についての心当たりだけはバッチリとある。


 どう考えても、ふたなぁさまを調べようとしたから、だ。


 本当にアレは何なのだろうか。

 大きさは七歳か八歳の子供くらいで、近くに寄ると花屋の店先の芳香と古くなった漬物の臭気が混ざった、嗅いでいると落ち着かない気分になるニオイがする。

 材質は磨かれた老木のようでもあり、時代を経た陶器のようでもあり、生乾きの粘土のようでもあり、酸化した金属のようでもある。


 そして、その姿はまるで――まるで、どんなだったっけ。

 そっくりなものがあったのだが、それが何かを思い出せない。

 外見的な特徴を挙げて説明しようにも、浮かんだ単語が次々にこぼれてしまう。

 長いこと意識の中に居座っていたハズの、ふたなぁさまのイメージに濃厚なもやがかかっている。


 さっきまでは憶えていたのに、いつからこんなことに。

 そうだ、写真がダメだったら実物を見てくればいい。

 得体の知れない不安が募るのを抑えたくて、自転車を立ち漕ぎして例の御堂へと走る。

 途中、盛大にクラクションを鳴らされる場面が二回あったが、どうにか事故らずに十分ほどで目的地へと到着した。


 したのだが、様子がおかしい。

 八百屋と空き家の間にあった、細くて狭い土地がなくなっている。

 あの御堂が置かれていた場所が消え失せ、二軒は一枚の壁で接する形に変わっていた。

 周辺を探し回っても、空き家の庭に入り込んでみても、見慣れた景色がどこにもない。


 何がどうなっているのか真相を確かめたい気持ちと、何でもいいから早くこの場を立ち去りたい気持ちが、ぜになって思考を混乱させる。

 ここで帰ってしまったら、宙ぶらりんの不安感がいつまでも続くことになる――

 そんな予感が背中を押して、元八百屋だった建物へと足を向かわせた。


 正面のシャッターは長年下りっぱなしだが、その脇には勝手口らしいドアがある。

 年代物のチャイムを押すと、「ふぃーんひょーん」と間延びした音が屋内で鳴っているのが漏れ聴こえてきた。

 反応がないので二度三度と鳴らすと、荒っぽい足音が響いた後でドアの向こうから反応が返ってきた。


「……何だ」

「あの、突然すいません。お宅の隣に――」

「あぁ? 隣はいねぇよ。もう何十年も」


 切り出した話を遮って、五十前と思しき男の声がダルそうに言う。

 あからさまに不機嫌な態度にひるまされるが、これでは何もわからないので食い下がってみる。


「じゃなくてですね、隣の家との間にあった――」

『ジャリジャリジャリジャリジャリジャリジャリ』

「えっ? いや、隣にあった――」

『ガリガリガリガリガリガリガリ』

「あの、ふたなぁさまの御堂ですけど――」

『ザリザリザリザリザリザリザリザリザリ』


 何か言おうとすると、チューニングの合っていないラジオのノイズみたいな音が、結構なボリュームでこちらの声にかぶさってくる。

 耳が痛くなるほどではないが、質問を無視して金属質の無意味な音を聞かされ続けるのは、神経に障ることこの上ない。


 それからも、どんな質問をしようが中年男は何も答えず、ただ変なノイズが返ってくるだけだった。

 五分ほど続けている内に、どうしようもない無力感に囚われてきたので、諦めてその場を離れることにした。

 

 何が何だか、サッパリわからない。

 状況を整理して不安を解消するつもりが、別の謎が生じて不安は増すばかりだ。

 結局のところ、ふたなぁさまとは何なのか。

 全て忘れてしまうのが最も楽だとはわかっているのだが、忘れる方法がわからない。


 疲労と焦燥を土産に自宅に戻ると、妹がボーっと気の抜けた感じでこちらを見てくる。

 せめて「おかえり」の一言くらいあってもいいだろうに、と思いつつ妹に背を向け、玄関のあがかまちに腰を下ろして靴を脱ぐ。

 学校では、ふたなぁさまについて噂になったりしてないか――そう訊いてみたくなるが、こんな小さい子の話ではロクな参考にならないだろう。 


 そこでポンと、前触れナシに疑問が弾ける。

 これまでに、妹から学校の話を聞いたことがあったかな。

 というか、妹ってどんな声をしてたっけ。

 一つのつまづきから、連鎖して次々と妹への疑念が噴き出す。

 

 名前は。

 年齢は。

 髪型は。

 容姿は。


 そもそも、自分に妹なんていたんだろうか。

 そう思い至ると、さっき散々耳にした雑音が聴こえた気がした。


 振り返れば、すぐそこにいるハズだ。

 だけど、その動作を行うことを全身が拒絶している。

 もう一度靴を履き直そうと、身をかがめた瞬間。

 甘ったるくて青臭くて酸味を帯びたニオイが、背後から漂ってきた。

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