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ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~  作者: 長篠金泥


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そういうルール

「なぁ、さっきのアイツさぁ、ちょっとヤバくねえか?」

「ンァ、ドォカナ……マ、ダイジョーブナンジャネ」


 面倒臭いから関わりたくないのか、単に興味がないだけなのか。

 自称日系ブラジル人のマスターは、こっちをチラ見して雑な返事を寄越すと、すぐに視線をTV画面へと移動させた。

 こうもあからさまに聞き流されると、この話を続けるのも躊躇ためらわれる。

 俺はミント強めのモヒートで、行き場を失くした言葉たちを腹の底に戻す。


 気になっているのは、トイレに行ったまま帰って来ない、ここでは初めて見た客だ。

 入ってきた時点で結構酔っていて、ここの前に寄った店で注文したカクテルの酷さをダラダラと愚痴っていた。

 そろそろ出てから三十分といったところだろうか――置き去りにされたフォアローゼスのグラスが、たっぷりと汗をかいている。

 店のドアをボンヤリ眺めていると、笑ってるのか咳き込んでるのかハッキリしない音の後で、常連のオーミさんが声をかけてきた。


「心配しすぎじゃない? 最近はここらも、そんなに治安悪いって感じもないしー」

「つってもなぁ。どう見ても場違いなショボいやつが、あんなキンキラ見せびらかしてたら、やっぱマズいんじゃねえの。何軒か回ってから、ここに来てるみたいだし」

「あー、んー、かもね」


 極端な太り方をしているせいで年齢不詳で性別不詳のオーミさんは、煮え切らない感じで言うと瓶ビールをラッパ飲みした。

 太い指と肉厚の手に掴まれて、黒ラベルの大瓶がコロナくらいのサイズに見える。

 

「そもそも似合ってねぇんだけど、何だろうなアレ。ド派手なきんのブレスに、やたら石のデカい指輪なんて。成金が調子乗ってワル気取り、とかそんなのか」

「どうかなー。悪目立ちしてんのは確かだけど」


 不自然さだけで構成されているような、そんな男だった。

 俺と同年代の三十前後だと思しき容貌なのに、白髪が多くてくたびれている。

 安っぽいスーツに、高そうなアクセをジャラジャラとつけていて、それがまったくサマになっていない。

 勤め人にも見えないがアウトローにも見えない――雰囲気的に一番似ているのは、ニートとフリーターの中間地点にいる、知り合いのダメ人間だ。


「やっぱ……ちょっと見てくるわ」

「いってらー」


 オーミさんの気の抜けた声に送られ、モヒートのグラスをした俺は店を出る。

 この飲み屋が入っている雑居ビルは、各階に共同のトイレが一つあるだけだ。

 一昨年からテナントが入っていない空き店舗と、何の仕事なのかわからない事務所の前を通り、フロアの一番奥にあるトイレを目指す。

 確かにここらじゃ見境なく誰かに絡むアホは減ったが、相手を見て小遣いをせびろうとするクズはいる。

 そんな連中にとって、あの男はどう考えても極上のカモだった。


「ふふふ……ぅははははっ」


 力のない調子外れな笑いが、アルミのドア越しに聴こえてきた。

 心拍数が早まるのを感じながら、軸のガタついたノブを握る。

 個室が一つに小用便器が二つ、という構造の見慣れた男子トイレだ。

 こびりついたアンモニア臭の中に、不吉な生臭さが混ざっている。

 湧き上がる厭な予感を酒の勢いで捻じ伏せ、ドアが開いたままの個室を覗き込む。

 

「うぅん、ああ……あなたですか」

「おい、大丈夫か!」

「いやぁ、素晴らしい。素晴らしい、解放感です」


 洋式便器に腰を下ろした男が、虚ろな目で笑顔を向けてきた。

 左の頬骨辺りが異様に膨れ上がり、ボタンの飛んだジャケットの下のシャツは、今も止まりきっていない鼻血で、物騒な水玉模様が描かれている。

 そして当然ながら、ブレスレットと指輪は消え失せていた。

 遅かったか――予想はしていたものの、当たったことを喜べるでもない。


「警察とか、救急車は」

「119には、連絡しました……警察は、ちょっと」

「いやでも、あんた」


 俺の視線がどこに向けられているのかを察したのか、男が寂しくなった右手をヒラヒラさせて言う。

 乱雑に指輪を引き抜かれたのか、手の甲にはミミズ腫れに似た長い傷が残っている。

 相変わらず満面の笑顔だが、痛みのせいなのか呼吸はだいぶ荒い。


「ああ、これは、もういいんです。いいんですよ、本当に」

「いいワケあるか。ケガもやべぇし、メッキじゃねえんだろ、アレ」

「まぁ純金だと、思うんですけど……そうだ、救急車が来るまで、しばらく話に付き合って、もらえますか」

「それは構わんけど、ホントに通報はいいのか?」


 やや雑な態度で再確認するが、男は小声で「大丈夫」と繰り返しながら頭を振るばかりだった。

 無理強いもできないし、呼んだら呼んだで色々と面倒事に巻き込まれそうだ。

 そう判断した俺はスマホをポケットに戻し、とりあえず話を聞いてやることにする。

 男はトイレットペーパーで何度か鼻をかんで、真っ赤になったそれを同じ色の床に放り捨てた。

 その『ベシャッ』という重い音を始まりの合図にして、男はゆっくり語り出す。


「私は……祟られ、てたんです」

「タタラレ? 末代まで祟る、とかそういうアレのことか」

「そう。呪い、なのかもしれない、けど……とにかく、そういうものに。私が、というか、私の家族が、と表現した方が……より正確、でしょうか」

「いや、知らんけど。で、祟りってどういうことだ」


 俺が訊くと、男は遠い目で視線を空中に数秒ほど漂わせ、それから答える。


「幸せなこと、があると……直後に、決まって、強烈な不幸、が来る……ずっと前から、そうなんです……ずっと、そう決まって」

「あー、何だっけ? 禍福かふくはあざなえる何たらかんたら、ってのか」

「ではなく……確実に。絶対に。いいことが、あると……その後で、凄まじく、悪いことが、起きる」


 どうにも意味がわからず、話を聞いていると眉間に皺が寄ってしまう。

 俺の困惑を察したのか、男は少し考え込む様子を見せてから、苦しげな調子で訥々(とつとつ)と説明を再開した。


「道端で、五百円拾った日の夜……自転車、盗まれて……可愛い子に告白された、次の日に……痴漢冤罪、で捕まる。それに、就職決まった翌週、バイクで事故……両腕、骨折して」

「でもよぉ、そりゃあ――」

「避けられない、ルールだから。家族もそう……親父が宝くじ、三等当てて。そのすぐ、後に家が火事……お袋が、逃げ遅れて」


 運は悪いが偶然だろう、と俺が言いかけたのを遮って、男は断言した。

 その表情はどこまでも真剣で、自分の言葉を疑っている様子はない。


「そんな祟りの、原因が……あの金の腕輪、だったんです。どこからか、親父が手に入れてきた……あれが、ウチに来てから、何もかもおかしく」

「だったら、売るなり捨てるなりしとけば」

「だめ、なんです。誰かにあげても、返されて……売ろうとしても、断られて……置き去りにしても、何故か戻ってきて。海に捨てた数日後、自宅のポストに入ってるのを見た時……処分は諦め、ました」


 そんな馬鹿な、というこちらの感情は完全に表に出ていたと思うが、男の語りは止まらない。


「だから、誰かに……盗ませようと。人目につくように、派手な指輪も……危なげな場所を、酔っ払って……」

「いや待てよ。海に捨てても帰って来るんだろ? だったら盗まれても、やっぱり戻ってくるんじゃ」

「去年親父が死んだ後、出てきた日記を読んでみたら……あれはそもそも、道端で酔い潰れていた、見知らぬ男から盗んだと……」


 なるほど、それが根拠か。

 しかし、ここまで無茶なことをしなくても。

 俺のそんな考えが通じたのか、男は腫れて歪んだ口の端を吊り上げながら言う。


「妹がね……来月、結婚するんです。だから、その前に……あれを」

「わかった。わかったからもう、喋らない方が」


 俺の言葉に男は頷き、弱々しく溜息を吐いて目を閉じる。

 直後、救急車のサイレン音が近付いてきた。

 俺は救急隊員を案内するために、階段を急ぎ足で駆け下りていく。

 しかしその最中も、頭から離れない疑惑がある。


 男の左脇腹に深々とナイフが突き刺さっていたのは、妹が結婚することが理由なのだろうか。

 もしそうではなく、いわくつきのアイテムを望み通り手放すことができたのが理由だとしたら、腕輪の祟りはまだ――

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