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ありふれた悪夢 ~ホラー短編集~  作者: 長篠金泥


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またきてね

 整備不良の結果なのか不良気取りの暴挙なのか、過剰な騒々しさと油臭さを撒き散らして、結構な速度で原チャリが行き過ぎた。

 一人きりの楽しみを台無しにされた気分で、遠ざかっていくテールランプを睨む。

 趣味らしい趣味もないまま三十路手前まで来てしまったが、十年以上続いている唯一の習慣が休日前の深夜の散歩だ。


 今の季節は、長く歩いても汗ばむことなく、芯まで冷やされることもない。

 夜道を宛てもなく意味もなくウロつくには、最適と言っていいだろう。

 駅周辺や大通りは音と光が多すぎるが、深夜の住宅街には静けさと暗さが澱んでいる。

 そこをゆっくりと、足音をなるべく立てずに歩く。

 そして気まぐれに足を止め、月明かりが照らす景色を眺める。

 何ともいえない贅沢な時間だと思っているのだが、人に話しても中々理解してもらえない。


 無粋なエンジン音できょうをそがれたし、今日はもう帰ろうか。

 時計を確認してみると、そろそろ一時を過ぎようとしている頃合だ。

 帰るにしても、来た道をそのまま引き返すのもつまらない。

 なので、いつもは使わない道で遠回りをしながら家路を辿ろう。

 そう決めると住宅街を抜け、森や畑が目立つ方面へと進路変更をした。


 マンションが散在しているせいで、自然の中を歩いている感じでもない。

 だが、巨大な建築物が混ざる不自然さも、これはこれで味がある。

 そんなことを考えつつ、入り組んだ狭い道や農道をデタラメに歩いていると、森の奥へと消えている細い道を発見した。

 街灯はあるにはあるが、設置間隔が開きすぎでやたらと暗い。

 これはいい――怪しげな場所に繋がっている雰囲気を芬々に撒き散らしている。

 俺は一瞬も迷うことなく、そちらの方向へと足を向けた。


 雑な舗装しかされていない歩きづらい道は、森に入った直後に石段へと変わる。

 整備はされていないが朽ちてもいないそこを上がると、木々に囲まれたひらけた場所へと辿り着いた。

 こんな時間だというのに、二匹のハトがせわしなく鳴いている。

 灯りは存在せず、半月の光だけが辺りを照らしていた。

 雰囲気からして、恐らくは神社か元神社なのだろう。


 入口に鳥居はなく、参道の石畳はまばらで、石碑の類が隅の方に固めて打ち棄ててあり、その内の一つには黒と黄色のトラロープがみっちりと巻かれていた。

 手水舎があったらしい場所には、首のない狛犬が転がっている。

 拝殿はいでんらしき建物はひしゃげて潰れ、完全に廃屋の風情を漂わせていた。

 ここまで荒れ果てているのに、この空間にないがしろにできない緊張感みたいなものが漂っているのは何故だろうか。


 確実に何かがオカシいし、早々に退散した方がいいのではないか。

 意識下からの忠告は、敷地内に足を踏み入れた直後からずっと続いている。

 しかし同時に、不意に遭遇した異界めいた情景に対する興奮もあった。

 自分が深夜の散歩に求めているもの――日常からの僅かな逸脱が、『僅か』のラインを大きく超えて目の前に現れている。

 したいからといってできるものでもない、そんな稀有な体験の最中にいる自覚が、この場から逃げ出すことを躊躇させる原因だ。


 何かが起こりそうな予感に、心拍数がじわりと上がっていく。

 ハトの鳴き声の合唱が途切れ、ゆるい風が森を揺らすざわめきが広がった。

 その風が収まりかけたところで、「カラン」と金属質の音が響く。

 音のした方を見れば、廃墟の中で不自然に形を保っている、摂社か末社のものらしい小さなやしろの影が浮かんでいる。

 

 緊張が高まるのを感じながら、ゆっくり社の方へと向かう。

 一歩距離を縮めるごとに、行く先にあるモノの気配が濃くなるのがわかる。

 そこには何かがある――或いは、いる。

 予感はいつの間にか、確信へと変わっていた。

 理性は近寄ることを拒んでいるのだが、好奇心がそれを乗り越えているのか、足はまるで止まってくれない。


 賽銭箱らしきものが壊され、湿った木片が散らばっている。

 その奥にある扉は開いている、というか二枚の扉は左右ともどこかに消えていた。

 深呼吸をしてから、社の奥へと目を凝らす。

 奥行きは数メートルもないはずなのに、闇が詰まっているかのように内部は窺えない。

 もっと近付こうと三歩ほど進んだところで、ぬるっと闇が動いた。


「おあっ?」


 反射的に、大きな声が出てしまった。

 それに反応して、社の中にいる何かが慌しくうごめく。

 瞳が見えた。

 歯が見えた。

 舌のような物も、あったかもしれない。

 でもそれは、顔と認識できる配置にはなっていなかった。


「ひぁ――ぅああああああああああああああっ!」


 混乱した感情が弾け、悲鳴となって噴出する。

 自分の叫び声で耳が痛い。

 早くここから離れたくて、もつれる足をとにかく動かした。

 あれが出てくる。

 あれがついてくる。

 あれをまた、見てしまう。

 脳がふくらんでいるような違和感と、頭蓋骨がきしむかのような疼痛とうつうが思考を鈍らせる。


 走ると転ぶの中間にある動作を続け、石段の手前まで辿り着く。

 もう大丈夫、逃げ切った――

 そんな安心感で、肺の中の息を吐き切った直後。

 数段分を一度に跳び越えたみたいな挙動で、人影が目の前に現れる。

 

「んぶっ――」


 息が詰まった状態なのにせる、よくわからないことになった。

 見ちゃダメだ。

 絶対見ちゃダメだ。

 見たらきっと、酷いことに。

 湧き上がる不安感に溺れそうになりながら、俺は下を向いたまま石段を駆け下りる。


 途中で何度か、手のひらで背中を撫でられるような気配があった。

 耳を澄ませば何と言っているのかわかりそうな、女性のものらしい囁き声も聞こえ続けていた。

 しかしそれらを無視して、視線を足元に固定して俺は黙々と逃げる。

 そして奇跡的に転ばずに下りきった後は、段上を振り返りたくなる衝動をこらえ、デコボコの細い道を急ぎ足で引き返した。



  ※



 神社らしき場所で、変なものに遭遇してから一週間。

 ドアを開けたらいるんじゃないか、ふと窓を見たら目が合うんじゃないか、みたいな不安に駆られていたが、ここまで何もないということはもう大丈夫、なのだろう。

 あそこが何だったのか、ネットで調べてみたがよくわからなかった。

 過去に神社があったという記録もなく、地図で現状を見ても森にしかなっていない。

 図書館で郷土史に当たれば何かわかるかもしれなかったが、それをやるとあれに近付いてしまうように思えたのでやめておいた。


 今のところ、深夜の散歩を再開する気分にはなれない。

 いや、もしかするともう二度と、深夜に人気のない場所を歩けないかもしれない。

 あの夜、忌まわしい記憶と全身の脂汗を洗い流したくて、シャワーを浴びようと震える手で服を脱ぎ捨てた時。


 洗面所の鏡に映った自分の背中に、赤痣のようなものが広がっているのが見えた。

 必死だったんでよく憶えていないが、転んだ拍子にでもぶつけたのか。

 そう思って状態を確かめようとした俺の目に飛び込んできたのは――

 縦に並んだ五文字のひらがな、だった。

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