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そういえばそんな話を聞いていたな、とオリーヴは入学式後の学食で兄のクロードに視線を向けながら思い出していた。
オリーヴとクロードは2歳差の兄妹である。
兄のクロードは一足先にこのオラール学院にて魔術を学んでいるが、侯爵家に保護されている異世界人『ユリ・キヨノ』も入学してきたと言っていた。
ポートリエ領にいる和史達は「それってなんて乙女ゲー?」と言って笑っていた。
(そういえば、おとめげー、って何かしら?教えてくれないのよね)
彼らは笑いながらも、クロードには生まれながらの婚約者であるユルフェ公爵家のアレットに、「きちんと愛を囁き、プレゼントも手を抜かず、大切な日は必ず一緒にいるように」とアドバイスをしてきた。
ことあるごとにボディタッチしてきたり、デートの誘いらしい言葉を向けてくるユリに、クロードは和史達のアドレスを守ったらしい。
更には行きも帰りも昼休みも一緒にいて、あまりの溺愛ぶりにからかわれた程だ、と嬉しそうにアレットは笑っていた。
結果、ユリはあまりクロードに関われずにいた。
が。アレットはクロードの一歳年上で、先日卒業してしまった。
それを狙っていたのだろう。ユリがクロードの腕を抱えるように、もしくは胸の間に挟むようにベッタリ馴れ馴れしく歩いてきた。
(お兄様、ちょっと怖いです)
何度もユリから離れようとしつつつも上手くいかず、顔をしかめるクロードについ視線を反らしてしまいそうになりながらも、オリーヴは少し右手を上げ、小首をかしげながら声をかけた。
「クロードここです」
クロードはオリーヴに気づき、彼女を強引に引き離し、オリーヴの隣に腰かけた。
「待たせたか?」
「いいえ、来たばかりです」
あからさまにホッとした表情を見せるクロード。ユリは忌々しげにオリーヴを睨んできた。
「私が先に話していたのに失礼じゃ……」
ユリの発言はしかし他の人間により遮られた。
「こちらのお嬢さんはどなたかな?クロード」
声の主に視線を向けると、ユリは蕩けるような笑顔を向けた。
「ノエル様!」
先程までのクロードへの執着は何だったのか。
あっさりと目の前で他の男性に鞍替えするユリを見て、オリーヴは呆れていた。
そんなオリーヴの肩に手をかけ、クロードは満面の笑みを浮かべた。
「見ての通り、私の大切な人ですよ」
クロードの発言にユリはオリーヴを睨み付け、回りにいた女生徒達からは悲鳴が上がった。
悲鳴を上げたのは恐らく、クロードとアレットの仲の良さを知ってるのだろう。
「相変わらずの仲の良さだね、オリーヴ」
何の迷いもなくオリーヴの前の席に座ったのは、アレットの弟モーリスだ。
彼はクロードと同級生で、文官の学科に通っている。
「モーリスとも知り合いか?クロードにはアレットがいたはずだが……」
腕に絡まろうとするユリを巧みに避けながら、彼はクロードの前の席に着いた。
「二人は相も変わらずラブラブですよ。ね?モーリス兄様」
「あてられてばかりだよね」
そう言って笑い合うと回りの女生徒達は安堵の表情を浮かべた。
年頃の乙女としては、先日までラブラブであった二人には仲良くして欲しかったのだろう。
クロードとアレットは会う前から婚約者なので、政略結婚をする女生徒からすると憧れもありそうだ。
「モーリス兄様?モーリスには妹はいなかったはずだが……」
「これから先、妹になる予定がありまして」
「???」
正確に言うのならば、アレットの義理の妹なのだが、似たようなものだ、とオリーヴは説明を省いた。
クロードもモーリスも特に説明しないのなら、問題ないだろう。
「……除け者にされている気がするんだが」
「気のせいだ」
クロードが切り捨てるように発言すると、彼は眉根を寄せる。
(わざわざ隠し通す必要もないのだけれど)
兄達の反応にオリーヴはどうするべきか、ちらりとモーリスを伺うと、苦笑された。
「オリーヴが困ってるよ、クロード」
「わざわざ教える必要もないだろう、モーリス」
「……必要がないのなら、私がどのようにしても問題ないのだな、クロード」
「……は?」
「……え?」
兄妹揃って疑問を浮かべると、彼は席を立ち、オリーヴの元までやってきた。
何の迷いもなく、オリーヴの右手を取り、手の甲に口付けた。
「来週の夜会のエスコートに名乗り出たい。どうか色好い返事をくれないか」
「……」
あまりのことに、思考が追い付かない。
オリーヴが呆然としているとモーリスが苦笑し、クロードは不機嫌さを隠しもしなかった。
「まだ社交界デビュー前だ、殿下」
(え?殿下?)
「デビュー前なら仕方ないわ、ノエル様。私のエスコートをして下さらない?」
「……君は誰から招待されているの?その人にエスコートを頼んだらどうだい」
「妬きもちですか?」
「……」
異世界人だから空気が読めない……なんてことがないのはポートリエ商会にいる和史達で知っている。
(殿下にアプローチ?まあ、お兄様に関わらないなら問題ないでしょう)
オリーヴがちょっとホッとしたのを殿下は見逃さなかった。
触れられている右手が少し強めに掴まれる。
(ええと?)
小首をかしげ、オリーヴは数回瞬きをした。
「ではこの夜会でデビューしたらいい」
「…今からでは準備が間に合いませんから」
「それは、間に合うのならエスコートしても構わないいうことかい?」
(…すごく嫌な予感がするわ)
なんとか殿下から自分の右手を取り上げたい。
そんなことをオリーヴが思っていると、学食がにわかに騒がしくなってきた。
皆がちらりとそちらを見ると、ユリが忌々しげに舌打ちした。