四羽
女性との情事を匂わす表現がありますので、苦手な方はご注意下さい。
「なぁボス、本当に神鳥様を船に置いてきてよかったんですかい?」
馴染みの娼館に足早に向かう途中、部下の一人が困惑した表情を見せながら前を歩くシラギの背中に問いかけたが、彼に向けられた目は冷たかった。
「馬鹿か?んな目立つ事を誰がするか」
「ですよねぇ、…でも鳴いてましたよ?」
こいつも焼鳥の信者か。
神気を纏う美しい姿と優雅な仕草、高く澄んだ声。見た目が完璧な神鳥様はシラギ以外?の全ての乗組員を攻略済みだ。
……確かに鬱陶しい程鳴かれた。ピーピーと『夫婦は一心同体、置いていかないで下さい〜!』とか何とか。あまりにも煩かったので土産を買ってくると約束すればコロリと、『旦那様の帰りをお待ちしております』と優雅に首を垂れあっさり見送ってくれたが。
貿易港キューブ。
近隣の海では一番の港だ。
陸側は王都に続く道に面しており、海側は豊富な漁場に加え大型船でも接舷出来る設備が整った大きな港には地元の小型の魚釣り漁船から大型の商船、護衛艦、貴族専用の観光船、シラギと同じ海賊船まで見える。
この港では他とは違うルールが適用されている。すなわち不文律。
キューブは一種の独立国家の様な形態を持ちキャッチコピーは、“ 王族から悪党まで。” つまり全てのものを受け入れると言う事だ。喧嘩も戦争も逮捕も港を出てヤれと。
殺人自由の無法地帯かと思いきや街の治安維持は徹底しており、選び抜かれた五人集と呼ばれるもの達が自衛団やギルドをしっかりと纏め上げている。
昔一度隣国がキューブを占領しようと攻めてきたが、自衛軍の他、普段は敵同士の海賊と商人達が一時的に手を組み、国のルールに縛られない自由な組織作りと戦法で隣国を混乱させ、陸と海の全ての物資を停止された隣国は多額の賠償金を支払ったという話まである。
ゴツゴツとした赤レンガで舗装された道を歩く。壁側には水色の塗料で渦潮や風をイメージされたキューブの街独特の模様が描かれた壁を横手に、大通りを抜け暫く歩くと目的地が見えてくる。辺りは闇の帳が落ちランプの赤みが強い淡い光が店を照らす店内へと足を運んだ途端、女性たちの歓迎の声が響いた。
「シラギ様!いらっしゃい」
「遅かったわね。ささ、此方へどうぞ」
「カルノ様、上着をお持ち致しますね」
「皆様、ゆっくりしてくださいね〜」
店の女性たちに囲まれながら奥にある何時もの大部屋に入り、黒革の大きなソファーに腰を下ろすと直ぐ両側に目元の泣き黒子が色気を増している巻き毛の金髪美女と薄っすらソバカスが浮いた茶色のセミロングの髪の少女二人が他を押しのけシラギの横を競り勝ったようだ。
10人程連れて来た部下たちも思い思いの場所に腰を下ろす。
直ぐに琥珀色の冷えたビールと塩で軽く炒った豆、甘辛い味付けの柔らかく煮込まれた肉やモッツァレラとトマト、バジルを挟んだカプレーゼ、キノコとアンチョビのパスタ、カリカリガーリックパンなどがテーブルに所狭しと用意され、冷えたジョッキを掲げ乾杯の掛け声と共に賑やかな宴会が始まった。
上の階まで届く飲んだくれ共のバカ騒ぎにシラギは顔を顰める。あれでは隣の店にも喧騒が届いているだろう。
目の前に立つ妖艶な美女に謝罪すると、コロコロと鈴のように澄んだ笑い声でシラギを見つめた。東の国独特の胸が開いた衣装に、濡れるように艶やかな黒髪を宝石が散りばめられた簪で纏め上げられ後れ毛が色香を漂わすこの店の女主人、リザは近隣の店を一手にまとめ上げているやり手の経営者であり街の自警団と情報を束ねる五人集の一人だ。
「悪りぃな、騒がしくて」
「あら?暫く会わない間に紳士的になったのね。いいのよ、此方は儲けさせてもらってるんだから」
「そう言ってもらえるとは助かる。
さて、今夜はリザの白い肌に似合う首飾りを持ってきたんだが気に入ってもらえたらいいがな」
そう言って懐から取り出したのは大粒のピジョン・ブラッドと呼ばれる最高級のルビーを中心にブリリアントカットをされた小粒のダイヤモンドが首周り、留め具まで施されている、貴族や王族に献上してもおかしくはない豪華な逸品だ。
リザは大粒のルビーに指を這わせながら妖艶な目を細め意味有り気に微笑んだ。
「まあ、凄いわね。
ふふ、シラギがこれ程奮発するなんて余程困ったことが起きたのかしら?……そうねぇ、例えばフカヤーブの長距離大砲とか?」
「相変わらず耳が早いな」
「ここじゃ情報が命よ。
先に言っておくけど作成図の入手は不可能だと思うわよ」
「何故だ?故障した場合の事を考えて普通は船に有るだろ?」
「普通は、ね。どうやらギルバートの坊やは作成図を瓶の中に入れてネックレスとして肌身離さずお風呂にまで持ち歩いているそうよ」
「…マジかよ」
何処かズレているギルバートに呆れながらも、この方法は意外と有効なのだ。しっかり着込む軍服の下だとすれ違いざまに抜き取ることも難しい上、叩き上げのギルバートの剣技と体術はシラギと張る腕前であり、何より身に着ける事で気持ちに余裕も出てくる。
しかしそうなると此方が少々困った事になる。今回はたまたま魔の海域という避難場所?があったが次に海の上で出会えばあの砲撃を振り切れる確証はない。
思案顔で顎を撫でるシラギの首にリザの白く細い腕が絡み誘う。
甘く見つめる瞳に苦笑しながら小難しい事は後回しにし、白檀の香りがする身体を引き寄せた。
ふっと違和感を感じて見るとシラギに寄りかかる女の髪を無意識に撫でていたらしい。
シラギの視線に蕩けた瞳で首を傾げるリザに何でもないと首を振った。
指先に違和感を感じながら。
◇□◇□◇□◇□
早朝、眠りが浅かったシラギはベットにリザを残したまま部屋を出た。既に欲しい情報は入手している。朝日が登る前の薄暗い道を船に向かって歩く。
すでに港では積み下ろしの作業が始まっており、浅黒い筋肉質の男達がいい威勢のいい声が交わされている。
それを遠目に見つつ焼鳥への土産を思い出したシラギだったが、今まで宝石以外贈り物をした事がなかった事に暫く悩み、今朝港に着いたばかりの果物を物色した後に瑞々しい大きめのプラムを三つ購入し船へと帰って行った。
甲板へと登るとそこには朝日をバックに、
『旦那様〜、遅いです!夕食じゃなかったんですか!?ずっと待っていたんですよ!………?何ですこの匂い』
焼鳥が仁王立ちしシラギを睨め付けた。
けたたましく鳴く神鳥の声に、修復作業を終えた船員達が顔を上げ何事かと集まる視線の先には、神鳥がシラギを大きな羽でバッサバッサと攻撃しているところだった。
「な、何だ?何で神鳥様がボスに攻撃してるんだ?…まあ、羽だから痛くはなさそうだけどよぉ」
「これってあれか?朝帰りをした旦那を詰るかみさんの図か?」
「…つまり夫婦喧嘩?」
「あ〜、船長は昨晩はリザさんのとこか?『あなた!昨日はどこに行ったの!?香水くさいわよ!』ってか?ぷ、がはっはっは」
「おー!神鳥様のキックが顔に当たった。スゲーマジ尊敬するっす」
「い、いい加減にしろっ!!」
バッサバッサと羽が舞う中シラギが大声を出すが焼鳥も負けてはいない。負けてはいないどころか涙目でキックまで繰り出してきた。
『馬鹿ぁーーっ!!
旦那様の浮気者!私という妻が居ながら他の女に走るなんてー!馬鹿、阿呆、禿げろ、もげろ!!』
「サラリと怖いこと言うな!」
『うあぁあーーーんっ!!!』
ポロポロ涙をこぼしながら船内へと走っていく焼鳥の後ろ姿に、こっちが泣きたくなってくる。見えないがズキズキ痛む額には足跡が残っているかも知れない。
“泣かした〜!” と部下たちの非難がましい目に、見せもんじゃねぇぞ!っと怒鳴り荒い足音で船長室へ帰ればそこに焼鳥の姿は無く、ホッとしたような後ろめたいようなモヤモヤした気持ちのままベッドにドサリと座り込むとそのまま不貞寝をした。
その頃焼鳥は船長室へ帰る気分にもなれず食料庫で一羽べそべそと泣いていた。
食料が入った箱が積み上げられ、大きな樽や天井にはハーブ、ソーセージ、野菜などが吊り下げられた薄暗い室内は、物が多く隠れるのにはうってつけだろうが、何も知らないものが見れば焼鳥自身が食料と勘違いされているだろう。
泣き過ぎてぼうっとした頭で、こんなに泣いたのは異世界の亀裂が消滅した時以来だろうか?とぼんやり思った。
本当は焼鳥自身、シラギの奥さんにはなれない事は一番分かっているのだ。
いつかはシラギは何処かの人間の女性と結婚し子供も産まれるだろう未来予想は想像しただけで寂しく、苦しい。しかしそれでもいいから傍に居たかった。初めて目があった瞬間、紫水晶の瞳に種も本能も全て凌駕した強く強く心を鷲掴みされた。それ程強い一目惚れだった。いつか来る日まで仮の妻で居たかったのにまさかこんなに早く来るとは思わないではないか。
シラギから香る品のいい白檀の移り香が焼鳥を掻き乱し、思わず飛び蹴りを放ってしまった。あれは相当痛かっただろうから後で謝らなくては。
静かにピーピー泣く焼鳥にそっと近寄るものがいた。
『…泣いてるズラか?』
『シャル、さん?』
そこにはこの船に住み着いているしっぽネズミのシャルロットが心配そうに焼鳥を見上げていた。
『えっと、、有ったズラ。じゃーん!今朝港で取ってきたばかりの林檎の芯ズラ!新鮮で美味しいズラよ〜。これ食べて元気になるズラ』
可愛い目をクリクリしながら自慢気に林檎の芯を取り出すシャルロットに少しだけ涙が引っ込んだ。
食欲が湧かないのを申し訳なく思いながら首を横に振ると、今度は秘蔵チーズを勧めてくる。
『チーズは好きズラ?これは五年ものの秘蔵チーズズラ。…え?食欲が無いズラか………。
あ、あの焼鳥様』
『シャルさん、ごめんなさい。焼鳥は旦那様だけが呼ぶ名前なので、神鳥と読んでくれますか?
実際他の部下さん達にも、そう呼ばれていますし』
『………それって恐れ多くて呼べないだけなんじゃ?……何か騙されていないズラか?』
『?それに仲の良い夫婦は旦那様が奥様に付けた愛称で呼ぶと言っていましたよ』
『それ絶対騙されているズラ……。
それは兎も角、神鳥様。苦しいなら一緒に船降りるズラか?』
『え?』
思いもよらない事を言われた焼鳥はパチパチと瞬きし、シャルロットを見るが冗談を言っているようには見えない。
困惑している焼鳥になおも続ける。
『大丈夫ズラ!これでも我輩は貴族の出ズラよ。神鳥様一羽ちゃんと養えるズラ』
『……シャルさん…』
どんっ!と胸を叩き仰け反る男前過ぎるシャルロットの申し出に、焼鳥の瞳に涙がドンドン溢れてくる。何て素敵なネズミさんなのだろう。まるで漫画の主人公ではないか。
一瞬胸がときめいてしまったが、船を降りてしまえば旦那様に会えない。……会えないのはもっと嫌だ。シャルロットの慰める声を遠くにポロポロ涙を零しながら思うのはやっぱり一番はあの紫水晶の瞳を持つ海賊ただ一人だけだった。
シャルロットは用事が出来たとこの場を去りまた焼鳥一羽だけになってしまったが、もう涙が零れる事はない。
せっかくシャルロットが用意してくれた別の道を断ってしまったが、そのおかげで腹は決まった。それに元気も貰えた。本当に感謝してもしきれない。
思い出して目を和ませながら今はこの林檎の芯をどうしようかと思案中だ。誰が食べたか分からないものだがシャルロットが食事を抜くのはよくないと心配して置いてくれた善意の塊だ。
ーーー女は度胸!いざ!!
パクリと咥え飲み込む途中、バタンッ、と扉の開く音に驚き喉に詰まらせもがく。
苦しい!死ぬ死ぬ死ぬ!
苦しさからポロポロと涙を零しつつ何とか芯を飲み込めば、これまたいつの間にやら傍には副料理長のニールが屈んで神鳥を心配そうに見つめていた。
「神鳥様…」
「ビ〜ッ(貴方の所為で死にかけました)」
最後まで主の傍に居ようと決めた神鳥だったが、危うく今日が最後になるところだった。